檸檬色の夜は、思い出さなくていい④
ポン姉さんから電話がかかってきたのは、僕が
もっとも、僕がその秘めた想いを鵜住居さんに伝える予定はいまのところない。
そもそも僕らはまだ出会って間もない間柄だ。
梟崎先輩は男女が恋愛関係に発展するかどうかは、最初の三か月で決まるとかなんとか言っていた気がするけれど、僕はそこまでるんるんスキップで人間関係を深められるタイプではない。
だいたい、僕が鵜住居さんに愛の告白をしたところで、いったい誰が得をするのだろうか。
まず間違いなく振られることは間違いないので、僕の心が大きな傷を負うのは確定的に明らかだ。
そして鵜住居さんも、ああ見えて案外優しく気遣いをする性格をしているので、僕を拒絶することに関して、それなりに罪悪感を覚えることだろう。
まさにウィンウィンならぬ、ルーズルーズの結果に陥ってしまう。
それはあまりに無残というか、意味のないことに思えてならなかった。
というわけで、僕はこれまで通り、ゆっくりと
まだまだ僕は、彼女について知らないことばかりなのだから。
また同時に、僕のことも知ってもらいたいと思う。
億が一の確率で、僕と一緒になってもいいと彼女が思ったその時は、勇気を持って想いを伝えるつもりだ。
世の人々は、こんな僕をチキン野郎と罵るかもしれないけれど、これがピヨピヨの雛鳥の精一杯の羽ばたきなのだ。
《駅前についたよ~》
僕がお得意の自己肯定を心の中でブツブツと呟いていると、手元でスクロールすらせずに表示させていたネットニュースの記事の上にポップアップが表示される。
ポン姉さんからのショートメッセージだ。
返信はせずに、僕は辺りを見回す。
すでに僕の方は待ち合わせ場所の駅前に、五分ほど前から到着していた。
「あー、いたいた。おーい、少年。元気だったー?」
すると、冷めた東北の街には不釣り合いな明るい声が鼓膜に響く。
汽笛に似た清々しさを内包させる声の方に顔を向けてみれば、真っ赤なマフラーを巻いたポン姉さんが、小走りでこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「あ、どうもです。もしかして、今こっちに着いたんですか?」
「そだよ、少年。仕事終わりに新幹線でビュン、だよ」
ビュン、のところで、手で風を横薙ぎにするような謎のジュエスチャーを交えながら、ポン姉さんは爽やかに笑う。
そういえば先週会った日も、あれは土曜日のことだった。
もしかするとポン姉さんは、平日は仕事をして、週末にはこちらの方にやってくる、というスケージュリングで動いているのかもしれない。
「二週間連続で新幹線ってことですか? さすが社会人ですね。財布をなくしても資金力が違う」
「もぉー、財布をなくしても、は余計だよ少年。もしかして好きな女の子には意地悪しちゃうタイプ? そういう性格が可愛いと思われるのは、中学生までか、相手があたしみたいな心の広いジェントルな女性の場合だけだよ」
「いや、僕は好きな女の子にはデレデレのベロベロになるタイプなので、大丈夫です。それにジェントルじゃなくてレディの方が正しいんじゃないですか? もっとも、酔って財布を失くして年下にたかるのは、紳士でも淑女でもありえない気がしますけど」
「うるさいな。そんなんだから彼女できないんだぞ」
「その台詞は卑怯ですよ。じゃんけんでダイナマイト使うくらい卑怯です」
ダイナマイト、なにそれ? と可愛らしく小首をかしげるポン姉さんに、僕はわざわざ説明はしない。
じゃんけんで全ての手に勝つことができる、反則技のダイナマイト。
僕の地元にしかないのかな。
「それで、今日はどうしたんですか?」
「ふっふーん、決まってるじゃん。あたしは恩は百倍にして返すタイプなんだよ。少年に借りたお金を返しにきたってわけ」
「え? わざわざ、それだけのために?」
「それだけって、超重要じゃん。あたしの今週の優先順位ランキング堂々の一位だったのに、思ったより反応が薄いなあ」
「そうなんですか。まあ、僕は常に金欠なのでありがたいですけど、財布が見つかってからでも大丈夫ですよ?」
「それなら心配ナッシングだよ、少年。実はなんかもう、財布見つかったらしいから」
「らしい、ってなんですか」
「財布が見つかったら、妹に届けて貰うように警察にお願いしといたんだ。妹はこっちに住んでるから。それで、ちょい前に、財布が届いたから取りに来いって言われたんだー」
「そうだったんですか。なにはともあれ、見つかったならよかったですね。というか妹さんいたんですね。意外です」
「意外? なにが?」
「え、その、人間性的に?」
「うーん? よくわかんないけど、少年、ムカつくね!」
「痛いっ!?」
ポン姉さんは、満面の笑みで肩パンをしてくる。わりと強めだった。
それにしても、妹がいるというのは、どんな感覚なのだろうか。
僕には弟がいるけれど、さすがに妹と弟はまた別ものだろう。
鵜住居さんはたしか一人っ子と前に言っていたはずなので、僕の周囲には妹がいる人が中々いない。
「まあ、少年がムカつくことは置いといて、今日は飲みまくろう! 全部あたしの奢りだぞ!」
「本当ですか? ちゃんとお金持ってますよね?」
「大丈夫、大丈夫、夫のへそくりがっぽりかっぱらってきたから! いくらでも飲んでいいぞ! というかこの前、あたしが奢ってもらった分は最低でも飲むまで、今日は返さないからね!」
僕はポン姉さんの旦那さんに黙とうを捧げる。
こんな自由奔放な奥さんを選んだのは、その旦那さん自身なのだ。
恨むなら僕ではなく、判断力に欠けた自身を恨んで欲しい。
「よし。飲みましょう。僕、こう見えて、お酒好きなんです。とくに他人の金で飲む酒は大好物です」
「気が合うね、少年。あたしもだよ!」
「尊敬を込めて、ポン姉さんと呼ばせてください!」
尊敬はしてないし、実はもうすでに心の中で何度も呼んでる。
「ポン姉? なんのポン?」
「ニッポンイチのポンです」
「いいよ! 許す!」
それに本当は日本酒、チャンポン癖、スカポンタンのポンだけれど、その真実は知らなくていい。
この世界の平和は優しい嘘でできているのだ。
「ただ先に言っておきますけど、僕、けっこう酔ったら面倒になるタイプらしいので、もしそうなった場合も見捨てないでくださいよ?」
「もちのろんだよ、少年。むしろこっちの台詞って感じ。あたしも酔ったらダメ人間になるタイプだからね!」
「たしかにそうでした。忘れてました。僕たち、気が合いますね」
「合い過ぎて怖いくらいだね」
ふっふっふっ、と互いに謎の微笑。
人として駄目な部分だけ気の合う僕とポン姉さんは、目を合わせてどちらともなくニヤリとすると、花金の喧騒の中に飛び込んでいくのだった。
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