恋文の返事は、書かなくていい⑤



 大森鷹也。

 わざわざ本人から確認を取らずともわかる。

 どうやらこの真冬だというのに、薄地のパーカー一枚羽織っただけの身軽な男性が夕鳳ちゃんの父であり、今晩の僕のルームメイトらしい。


「あ、ど、どうも初めまして。添木雛太郎と言います。お目にかかれて光栄です」

「なはは。やけに不可思議な挨拶をする子だね。まさかこの世にぼくにかかれて光栄なんて言葉を口にする人間がいるとは思わなかったよ」


 くしゃっと笑わせる鷹也さんは、なんとも暖かい感じのする人だった。

 これは助かった。

 もし鴨沢女史のようなハードがボイルド過ぎる人だったら、今晩は緊張で一睡もできないところだった。 


「夕鳳にはもう会ったかい?」

「はい。なんか、すごい賢い感じの子ですね」

「へぇ。君には夕鳳がそんな風に見えるのか。親からすれば、まだまだお転婆娘って感じだけどなあ。まあ、仲良くしてやってくれな」


 夕鳳ちゃんがお転婆。

 どっからどう見ても、なんなら僕や鵜住居さんよりも落ち着いて大人びて見えたけれど、肉親からすると印象が異なるらしい。

 もし彼女で賢そうに見えないのなら、鷹也さんからしたら僕は何に見えるのだろう。

 まだ猪の方が知的に見えてるかもしれない。


「にしても、妙だな」

「よく言われます」

「え? なにが?」

「僕のことですよね?」

「……違うよ。この本だよ」

「ああ、そっちか」


 そして鷹也さんの中で、一通り自己紹介の件が終わったのか、急に話の方向が変わる。

 蔵王三不思議の冊子について何か気になる点があるみたいだ。


「そういうの、鷹也さんもこういうの結構気になるタイプですか?」

「うーん、どうだろうね。ぼくは結構大雑把で忘れっぽいからね。普段はそこまでだよ。でもさすがにこれは気になるね」


 僕の知識量より薄っぺらそうなペラペラの冊子を眺めながら、鷹也さんはうぅんと首を傾げている。

 何度かページをめくったり、戻ったりしているが、何かを諦めたように最後は閉じてしまった。


「何が気になるんですか? やっぱり、一つ目の花束を届けるアライグマですか?」

「うん? まあ、それも気になるは気になるんだけど、やっぱり一番気になるのは三つ目の不思議だね」


 三つ目か。

 それは僕はまだ目を通していない。

 僕は長年の経験から、尿意に逆らってはいけないと学んできたからだ。


「三つ目ですか。どんな謎なんですか? 僕、まだ三つ目まで読んでなくて」

「ああ、そうだろうね。ぼくもだよ。それが気になってる」

「え? どういう意味ですか? まだ読んでないのに気になってるって、よっぱどタイトルが印象的とかそういうことですか?」

「違うよ。タイトルさえ、まだ読めてないよ」

「はい?」

「最後まで読んだのに、タイトルさえ読めてないから、どうしても気になるんだ。偶然かわざとか知らないけれど、そういう意味じゃよくできてる」


 最初は何を言っているんだろう、こいつ道化か、とか失礼なことを考えてしまったが、僕は遅れて理解する。

 三つ目の謎は、中々に曲者らしい。

 小さな謎か、大きな謎かさえ、わからない。



「書いてないんだよ、どこにも。タイトルは蔵王三不思議なのに、この冊子には二つの謎までしか書いてない。いやはや、これは鈍感なぼくでも、ちょっと、気になるねぇ」







 特別似た者同士といった感覚はないけれど、鵜住居さんと夕鳳ちゃんが言っていた通り、僕と鷹也さんはわりと気が合うようだ。

 デコとボコがピタっとあうようなわけではないが、こうお互いのイボイボがぶつかりあっても何も不快感がなく、むしろ若干くすぐったくて、ほどよく気持ちい感じだ。


「芹はこわいよねぇ。わかる。わかるわぁ。ぼくの妻も怖いところあるけど、芹に比べたら可愛いもんだよ。なんであんなガチガチしてるんだろうね? 前世がアルマジロかな?」

「アルマジロ。顔は可愛いですもんね。なのにあんなに甲羅で身を固めちゃって。アルマジロ准教授と今度から呼んでみます」

「なはは。それはいい。意外に本人気に入るんじゃない?」

「ワンチャーンってやつですね」

「そうそう、これは噂のワンチャーンってやつだね」


 お互いに視線を合わせて、僕と鷹也さんはくつくつと楽し気に笑った。

 確実にワンチャンの使い方もイントネーションも間違っている気がしたけれど、それを指摘する人はどこにもいなかった。


「なんだか気色悪い笑い声が聞こえたと思ったら。頼むから通報はされないでくれよ」

「あ! 鷹也さんだ! あけおめことよろ!」

「ああ、父さん。無事ここまで辿り着けたんだね。よくできました」


 そしてそんな初心な男性二人組に、険のある低い声と若々しい少女の声がかけられる。

 鴨沢女史を先頭に、鵜住居さんも夕鳳ちゃんもスキーウェアに着替えていて、なんだか新鮮な印象を受ける。

 なんというか、眼福だった。

 ありがたやありがたや。

 中身の攻撃的な部分を知らないでいれば、うっかり天使かと勘違いしてしまうかもしれない。

 これがスノーマジック。

 冬の魔物は恐ろしい。


「おー、風音ちゃん。大きくなったなぁ」

「いやいや、挨拶適当すぎでしょ。ここ何年も身長ほとんど変わってないよ私」


 さすがに既婚者の余裕か、僕とは違って鷹也さんはこの可愛らしい三姉妹(仮)の輝きに特に何も思うことはないらしく、鷹揚に挨拶をしている。

 こうして並んでみると、鷹也さんと夕鳳ちゃんはきちんと血のつながりを感じる。

 全体的な造形はあまり似ていないけれど、目元とか目つきがそっくりだ。

 穏やかなようで知性ある眼差し。

 二人はたしかに親子だ。


「芹も今日は企画ありがとうな。夕鳳がもう楽しみで昨日からずっとぴょんぴょん跳ね回ってたよ」

「こら父さん。さらっと意図のわからない誇張を混ぜるのはやめてくれ」

「ふっ、鷹也義兄さんは変わらないな。相変わらず食えない人だ」

「芹も変わらないな。さっき雛太郎くんと話してたんだけど、アルマジロに似てるよな」

「は?」

「ちょっと鷹也さんっ!?」


 と油断してぼうっとしていると、突然の裏切り。

 なんてこった。

 わりと気が合う気がしてたのに、まさか真横から短剣を脇腹に突き刺されるとは思わなかった。

 しかし鷹也さんは、特に表情も変えずに、のほほんと穏やかに笑うばかりだ。

 その隣では、鴨沢女史が東北の新雪よりも冷たい表情で僕を見つめている。

 いやいや、おかしいだろ。

 アルマジロに似てるって直接今言ったのは鷹也さんの方だぞ。

 まずは先にそっちを詰めてくれ。


「おい添木、知ってるか。アルマジロの主食は昆虫なんだ」

「し、知らなかったです」

「そして、お前は虫ケラだよな?」

「いえ、違います。人間です」

「残念ながら、日本では虫を雪に沈めても法に裁かれることはない」

「鷹也さんっ!? あなたの義理の妹が今、あなたの同居人の息の根を止めようとしてますよっ!?」

「これが本当の虫の息、だね」


 言うてる場合か。

 鷹也さんはけらけらと笑っていて、僕を擁護する気は毛頭ないらしい。

 たしかに、食えない人だ。

 

「だから言っただろう、ヒナさん。あたしの父さんは、色々と癖があるって」


 そして僕が鴨沢女史の絶対零度の視線を受けて、暖房が効いているのに館内でガクガクと震えていると、夕鳳ちゃんがやれやれといった様子で話しかけてくる。


「あれでも夕ちゃんのお父さんだからね。血は争えないねぇ」

「ちょっと風音さん!? まるであたしにも癖があるみたいな言い方じゃないかな!?」


 すると今度は鵜住居さんが苦笑しながら、呑気に、いやあでもぼくアルマジロ好きだよ、なんてよくわからない擁護をしている鷹也さんの横を通り過ぎて、僕らの方へ近づいてくる。

 彼女の困ったような笑顔から察するに、どうやらこのようなやりとりは日常茶飯事みたいだ。

 

「そういえばヒナくん。部屋にあった蔵王三不思議の本読んだ?」

「うん。読んだよ」

「さすがヒナくん。ヒナくんなら絶対読んでると思ったよ」


 その話題をしたくてうずうずしてたのか、鵜住居さんは元々輝いている瞳を一段とキラキラさせて、あの奇妙な冊子を話題に出す。

 あんな好奇心を惹かれるもの、彼女が手に取らないわけはない。

 なんだかんだで、僕に一番似ているのは鵜住居さんなのかもしれない。


「謎、全部とけた?」

「いや、まだ一つも」

「ありゃ。ヒナくんにしては、出遅れてるねぇ。こっちはもう、二つ目まで解いたよ」

「もう二つも? 早いね」

「……まあ答え合わせをしたわけじゃないけれどね」

「いやー、たぶん合ってると思うけどなぁ。ちなみに一問目は私が解いて、二問目は夕ちゃんが解いたんだよ」

「そうなんだ。すごいな。やっぱり夕鳳ちゃんって頭良いんだね」

「そんなに褒めても餌はあげないよ」

「僕は犬でも虫でもないぞ。ちゃんと二足歩行してるじゃないか」


 ひょこっと夕鳳ちゃんが僕と鵜住居さんの会話に頭を突っ込んでくる。

 どうやらあの不思議な謎を鵜住居さん一人で解いたわけではないみたいだ。


「問題は三つ目だよ、三つ目。一応きいておくけど、ヒナくんの方にも三つ目書いてなかったよね?」

「なかったね。白紙だったよ」

「やっぱりそっか。それが不思議なんだよねー。どうして三つ目だけ書いてないんだろう?」

「それ自体が不思議ってことなんだと思うけれど……ただ、答えがない」


 二人は真剣に悩んでいる。

 申し訳ないが、僕はまだその前の二つの謎すら解けてないから、悩みのレベルが一段階手前にある。


「どう、ヒナくん? この謎は、解くべき謎? それとも、解かなくてもいい謎?」


 鵜住居さんは、挑戦するかのように、僕に上目遣いの視線を送る。

 解くべきか、解かなくてもいいのか。

 真夜中の旅館で、花束を頭に乗せたアルマジロが走り回る景色を思い浮かべながら、それにしてもスキーウェアの鵜住居さん可愛いななんて、僕は謎でもなんでもない明白な事実だけを考えてしまっていた。


 

 


 

 

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