恋文の返事は、書かなくていい⑥
レンタルショップでウェアと板を借りた僕は、ついにゲレンデなる大雪原に辿り着いた。
スキーとスノボで、どっちを選ぶか迷ったけれど、最終的にはスノボの方を選んだ。
もちろん、どっちもやったことはないので、何を選ぼうがどうせまともには滑れない。
選んだ理由は煩悩丸出しの、盲目的な追従にしかすぎない。
つまりは、鵜住居さんがスノボ派だったので、合わせただけだ。
男子大学生の頭の中は雪だるまの構造並みに単純にできている。
「やっぱりヒナくんはグーフィーなんだね。そうだと思った」
「犬は犬でも、世界で一番有名な犬なら光栄かもしれない」
「ふふっ。そういう意味で言ってるんじゃないけど、当たらずとも遠からずだね」
とりあえず練習ということで、まずはボードの足の付け方と、基礎的な動きを教えて貰っている。
鷹也さんと夕鳳ちゃんの大森親子はどちらともスキー派らしい。
ただ夕鳳ちゃんはスキー経験は一応あるけれど、そこまで得意ではないらしく、鷹也さんに何やらコツを教えてもらっていた。
「それくらい理解できれば十分だろう。あとは習うより慣れろ、だ。行くぞ」
そして僕がしばらくグダグダとやっていると、ゴーグルをつけて更にマフィア味を増した鴨沢女史が講義の時みたいな冷たい声を出す。
ちなみに鴨沢女史はスキーもスノボも両方ともできるらしい。
案外アウトドア気質というか、スポーツ全般得意みたいだ。
今回は気分でスノボの方を選んだとさっき言っていた。
「ほら、行くぞ、添木」
「ぎぃやぁっ!?」
雪面の上でのバランスの取り方を練習していた僕のところに、するりと鴨沢女史は忍び寄ると、何を思ったか突然小突き、転げさせる。
正気か?
人の心を盆地の底に置いて来てしまったのかこの人は。
「あぶな! なにするんですかっ!?」
「よし。受け身はとれるみたいだな。意外にやるじゃないか」
しかし、無様に尻もちをついて抗議の声をあげる可愛らしい僕を見て、なぜか満足げに頷いて、珍しくも誉めてまでくる。
これが飴と鞭か。
だけどちょっと飴の甘みに対して鞭のしなりが良すぎる気がしないでもない。
「芹ちゃんもグーフィーだから、実際に滑る時は芹ちゃんから教えてもらう方がいいかもね」
「鴨沢先生も犬科だったんですね。どうりで気が合うと思ってました」
「間抜けは黙れ。スキーにすればよかったかもしれん」
「うふふ。いいじゃんいいじゃん。芹ちゃんが教えるのがたぶん一番早くまともに滑れるようになるよ」
「たしかにこいつは目を離すとすぐサボるからな。特別講義をしてやってもいいか。雪の上なら多少厳しくしても、怪我はしないだろう」
「冬休みくらい、僕に優しくしてくれてもいいいいんじゃないですか?」
「べつに優しくしてやってもいいが、休み明けはその分厳しくなるがいいか?」
「その分ってなんですか!? 一律で優しくするという選択肢はないんですか?」
「そりゃ、ないだろ。何を言ってるんだお前は」
なにっ言ってるんだこいつ、みたいな目をしながら実際そんなような台詞を鴨沢女史は僕に言ってくる。
そんなに僕はおかしなことを言っただろうか。
この性悪グーフィーめ。
あとでミッキーマウスに言い付けてやる。
「いいねぇ、いいねぇ。盛り上がって来た! それじゃあ早速初滑りしに行きますか! はやくヒナくんと一緒に滑りたい!」
そんな若干ブルーな僕の気持ちはお構いなしに、鵜住居さんは純粋に楽しみにしているらしく、尻もちをついたままの僕へにへらにへらと笑顔で手を差し伸ばしてくる。
僕はそれを素直に掴むと、よっこらせっとぎこちない動きで立ち上がる。
今はもう分厚い手袋をしているせいで、その温もりはわからない。
でも、彼女の暖かな感情は十分に伝わって来て、僕は敵わないなぁと溜め息をつくのだった。
※
行儀よく並ぶ針葉樹と、すいすいと滑り落ちていく他のスキーヤー達を眺めながら、僕はほんの僅かに粉雪が混じる風を受けている。
右足だけ固定したスノーボードを宙にふらふらを揺らしながら、僕はどんどんと標高を上げていく。
「今日は天気が良くてよかったねー。これで猛吹雪とかだったらリフトもまるで動かないし、まともに滑れないからね」
そして僕の隣では、僕とは反対の左足だけボードに固定している鵜住居さんが空から注ぐ陽光に目を細めている。
このリフトは二人乗りで、一つ前の席には大森親子が仲良く並んでいた。
「でもヒナくん。怪我だけは気をつけてよ? 意外にスキーで事故る人多いから」
「そうなんだ。まあたしかに、見た感じ結構スピード出るもんね」
「このくらいの広いコースなら大丈夫だと思うけど、上級者向けの狭いところ行ったらわりと危ないから」
「鵜住居さんにしては珍しく、心配性だね。いつも、怖いものなんて何もありません。崖の上で逆立ちするの得意です、みたいな感じなのに」
「……人がせっかく心配してるのに、茶化すなんて、それ、人としてどうなの? ヒナくん」
「えぇ!? べつに茶化したわけじゃないよ! わりと誉めたつもりなんだけどな」
「どこがよ。ほんとにヒナくんは不器用だなぁ。スノボじゃなくて女の子の誉め方を練習した方がいいかもね」
まったく、これだからヒナくんは、と鵜住居さんはやれやれと呆れている。
女子の褒め方講座。
たしかにそれも単位を取っておいた方がいいかもしれない。
あとで鴨沢女史に頼んでみようかな。
いや、やっぱりやめておこう。
まともな褒め言葉は教えてもらえず、男子大学生への罵倒レパートリーを体験授業することになるだけな気がする。
「……花束を届けるアライグマ。あれもさ、たぶん真実は事故だと思うんだよね」
「アライグマ? ……ああ、あの蔵王三不思議のやつか」
急に縞々の尻尾がキュートな動物の名前が出てきて、なんのことかと思ったら、例の宿に置いてあった小さな謎のことらしかった。
蔵王山第一の不思議、花束を届けるアライグマ。
そういえば、鵜住居さんはこの謎を解いたと言っていた。
必ずアライグマが現れるスキーコース。
そこに届けられる花束。
僕にはその理由がまだわかっていない。
「ヒナくんには三つ目を解いてもらう役目があるから、代わりに私が一つ目は答えを教えてあげるよ。それとも自分で解きたい?」
「知らない間に謎解きが担当制になってる」
「というか事故まで言ったら、ヒナくんもわかるんじゃない? この謎は普通に考えればいいだけなんだよ。意図的に、謎にしてあるだけで」
いまだに謎の名前すら判明していない三つ目の謎が、気づけば僕の担当になっていた。
まあ、それはいいとして、花束を届けるアライグマと事故。
その関係性を考えてみる。
花束と事故。
ぱっと思いつくのは、献花。
事故にあった被害者に向けた、手向の花。
でも、それを送るのは普通、アライグマじゃなくて、人だ。
「ああ、そうか。“普通”は、献花するのは人だ。これも、花を贈ったのは、人の方なのか」
「あの蔵王三不思議の本には、きちんと意図がある。私と夕ちゃんが、三つ目の謎が書き忘れとかじゃなくて、どこかに用意されてるはずだって思ったのは、この一つ目の謎にはっきりと、“ミスリード”が用意されていて、作者の意図を感じたからなんだよ」
言われてみれば、僕はあの冊子に書かれていた内容をそのまま受け取りすぎていた。
『果たして、こんな雪山の奥に誰が花束を届けるのか。いや、決まっている。アライグマだ。この花束はアライグマが届けているに違いない』
あの一文。
なぜか書き手は花束を届けたのがアライグマだと決めつけていたが、この前提が間違っているのだ。
僕は普通ならば献花と聞いたら、人が贈るものだと考えるのに、この一文のせいでアライグマが届けたという前提で考えてしまっていた。
なるほど。
作者の意図がある。
何気なく読んでいたけれど、案外あの冊子の書き手は曲者らしい。
と、そこまで考えると、ちょっとまた疑問に思ってしまう。
あの冊子は、誰が書いたんだろう?
「つまり、逆なのか。山スキーコースで事故にあったのは、人じゃなくて、アライグマの方。人とアライグマがぶつかって、不幸な出来事が起きた。その弔いに、花束が届けられる。なるほど。わかってしまえば当然というか、当たり前って感じだ」
「そそ、そういうこと。ちょうどアライグマは一月、二月、三月くらいが繁殖期だからね。いつも現れるアライグマは、亡くなって埋められるかした番のアライグマを探しに来てるんだと思う。そう考えれば、辻褄が合う」
アライグマの繁殖期って、冬なのか。
なんて、変なところが気になりはしたが、この推理は間違っていない気がした。
胸の奥にすんと落ちてくる、しっくりとくる感じだ。
花ではなく、花束という表記も、今考えれば、作者からのヒントのようなものだったのかもしれない。
花束、という表現は人の手によるものといった印象を与えるからね。
「なるほどねぇ。鵜住居さんは筆者のミスリードに乗らなかったわけか」
「まあ、私は変なところで疑り深いからね。頭パッパラパラダイスのヒナくんほど純粋じゃないわけよ」
「褒めたのにディス! 鵜住居さんも僕と一緒に褒め方講座を受講した方がいいんじゃない?」
「なに言ってるの、ヒナくん。パラダイスは楽園って意味だよ? どう考えても褒めてるじゃん」
「楽園って意味だとしても、褒めてないでしょ。君の頭楽園だねって言われて喜ぶほど僕は幸せじゃないぞ」
「おー、やるね。私のミスリードには乗らなかったか」
「ミスリードが下手すぎるよ。見破るのは得意でも、騙すのは苦手みたいだね」
「……それ、意外に確信かも。ちょっと考えさせられる」
感心したように少し目を見開くと、鵜住居さんは何かを考え込むように目を伏せる。
時々、僕が何も考えずに反射的に言った一言を受けて、鵜住居さんは何かを考え込むことがあった。
ごとん、ごと、ごと、ぎしししし。
これまでとは違う、軋みと揺れ。
どうやらリフトが頂上にそろそろ辿り着くみたいだ。
鮮やかな黄色の髪が隣で風に煽られ、鵜住居さんはそこでやっと顔を上げる。
するとその横顔をずっと眺めていた僕と視線が合い、彼女は少し驚いた表情をする。
「……なに?」
「え? いや、なんでもない」
「ふふっ。なにそれ。変なヒナくん」
変な雛太郎は、ずっと見つめていたくせに、いざ視線が合うとすぐに逸らす。
ずっとこうやって、二人並んで座っていられたらいいのに、なんて薄ら考えてしまっていたなんて、当然言えやしない。
鵜住居さんが言った、僕の頭の中が楽園だねという台詞は、誉めてはいないけれど、その実間違ってもいない。
でも、そうさせているのは鵜住居さんのせいなので、連帯責任だと、僕は身勝手にも思うわけだった。
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