ほどけかけた靴紐は、結び直さなくていい 了
僕らに声をかけた後、礼儀としてか一旦レジに行って、キャラメルラテを購入してきてから、鷲見さんは梟崎先輩の横に座る。
どことなく狐っぽいつり目が僕を射抜き、居心地の悪さに帰巣本能が刺激される。
誰お前感が凄い。
僕はちょっと泣きそうだった。
「それで、この子が例の間抜けだけど可愛い後輩?」
「そうだ。こいつが例の間抜けな後輩だ」
「たぶんそうです。僕が例の可愛い後輩かと」
「……ふーん。あっそう」
ありがたいことに僕が同席していることは、事前に鷲見さんに伝わっていたようだ。
その割には態度が冷たいというか、自分で言うなよ、的なツッコミ待ちの軽い僕のボケも粉砕されてしまった。
たぶん僕はもうすでにちょっと泣いていた。
「雛太郎くん、だよね。私は鷲見葵。よろしく。噂はかねがね」
「あ、はい。よろしくお願いします。僕もかねがねです」
軽く礼をする鷲見さんに、僕も合わせて頭を下げる。
どうやら僕のことを一目嫌いしたわけではなく、単純にドライな性格というだけみたいだ。
噂はかねがねという台詞から、僕の醜態がどれほど鷲見さんに知られてしまっているのか心配で仕方ないが、あえて確認することはしない。
世の中、解かなくてもいい謎の方が多いのだ。
「それで? わざわざ私をバスで片道一時間もかけさせて呼び出した理由はなに? しょうもない理由だったらぶっ飛ばすから」
「悪いな。ちっとばかし確認したいことがあってよ」
バスで片道一時間となると、おそらく鷲見さんは隣りの県に住んでいるのだろう。
これで僕の推理がまるで的外れだった場合、ぶっ飛ばされるのは僕の方かもしれない。
やっぱり今すぐ帰るべきな気がしてきた。
「単刀直入に訊くぞ? 朱雀寺が、俺に惚れてんだろ?」
「……は?」
「だから、朱雀寺が俺に惚れてるから、お前ら元陸部の集まりに――って痛ぇっ!? なにすんだよっ!?」
「蹴られたいの?」
「もう蹴ってんだろ!」
ごつ、とやけに鈍い音が足下から聴こえてきたと思ったら、梟崎先輩が素っ頓狂な悲鳴をあげた。
どうやら席の下で鷲見さんがつま先で先輩のことを蹴り上げたらしい。
同期の間での先輩がどんな扱いをされているのかが分かって、僕は心底安心した。
よかった。この意味のわからないナルシストキャラは、ちゃんといじられる程度に機能しているようだ。
これが一切誰にも突っ込まれないようなら、僕は本気で先輩の将来を心配するところだった。
「……あんたじゃないわよ。
「英一郎? へえ。あいつを朱雀寺がねえ。まあ、あいつもモテるからな。俺の次くらいに」
頭痛がするのか、鷲見さんは眉間を指先でさする。
どうやら話しの流れ的に、律という人が鷲見さんの親友である朱雀寺さんのことで、その朱雀寺さんが好意を持っている相手が英一郎さんという人のようだ。
さすが男女混合グループ。
こういった仲良しグループの関係性が壊れるのはやはり、いつも男女の痴情のもつれということか。
僕にはまったく縁のないことだけれど、男女間の友情を保つのはとにもかくにも難しい。
人として魅力的な相手は、たいてい異性として見ても魅力的なものだ。
あちらを立てればこちらが立たず。
人を想うことに申し訳なさを感じてしまうのは、僕がきっとまだまだ弱いからだろう。
「でも、よく気づいたわね。あんたみたいな
「見くびられたもんだぜ。俺だぞ? お前らのことなんて、全部お見通しさ。葵が、何の理由もなく、俺らと距離を置こうとするわけがねぇからな」
「……うるさい。調子乗んな」
本当だぞ。うるさいぞ梟崎。
全部お見通しって、鷲見さんがどうしてもう皆と一緒に走りたくないと言い出したのか、先輩はまるで理由がわからないと言っていたじゃないか。
と、ネタバレをしたい気持ちが少しあったけれど、僕は空気の読める後輩なので、静観に徹していた。
「グループで集まるのが気まずいって、朱雀寺が自分じゃ言い出せないから、葵が代わりに言ったんだろ?」
「まあ、そういうこと」
「相変わらず不器用な奴だな。俺に相談してくれればよかったのに」
「誰があんたにするか。だいたい私の方から、律の気持ちをバラすわけにもいかないし」
キャラメルラテを小さな唇で飲みながら、鷲見さんは恥ずかしいのか若干頬を赤らめている。
一見とっつきにくい人だけれど、案外可愛らしい性格をしているらしい。
そんな感想を本人に言ったところで、僕も蹴られるはめになるだけなのは容易に想像がつくので、大人しく黙り込んでおく。
「そんで? 進展はどうなってんだ? 朱雀寺は最終的にどうしたいんだ?」
「律はまだ諦めてないみたい。でも、今は会いたくないって」
「なんでだよ。あいつがそういうの自分から言えないタイプなのは分かるけど、会いたくないってほどか?」
「あんた知らないの? 英一郎、彼女いるらしいよ」
「は? それマジか?」
「本人に直接確認した。本当、律があいつに惚れてなかったら殴ってた」
ところどころしか情報を拾えていないけれど、なんとなく僕には今回の話の全容が見えてきた。
朱雀寺さんという人が、英一郎さんという人に、恋をした。
しかし英一郎さんにはすでに恋人がいて、自分の気持ちを伝えたり、アピールしたりすることができない。
もっとも仲には、恋人がいても関係ないとか、むしろいた方が燃える、みたいなタイプの人もいるのだろうけれど、少なくとも朱雀寺さんはそういう人じゃなかった。
それゆえに、自分の気持ちを隠しながら、朱雀寺さんは好きな相手と接しなくてはいけなかった。
きっと、それはとてもつらいことだと思う。
かなり苦しいものだったはずだ。
そんな救いのない辛さを抱えた親友を隣りでずっと見ていた鷲見さんには、その状況が耐えきれなかったのだろう。
僕はそんな朱雀寺さんに同情するし、見てられなかった鷲見さんはとても優しい人なんだなと思った。
「だいたい、英一郎のそういうところ、昔からそうだけど、ムカつくのよね」
「そういうところってどういうところだ?」
「律があいつに惚れたのだって、あいつが律に優しくしたり、それっぽい言葉をかけるからでしょ。それがムカつく。律のこと簡単に好きって言ったり、律みたいな子が理想のお嫁さんとかすぐ言うじゃない」
「好きっていうのも、友達としてって意味だし、朱雀寺みたいな奴が理想の嫁って言葉も、あいつなりの褒め言葉っていうか、軽い冗談だろ?」
「だから、それがムカつくの。自分の言葉に責任を持たない奴って、私嫌いなのよね。勘違いする方が悪いっていう意見も理解できるけど、私は絶対に勘違いさせる方が悪いと思ってる」
「責任ねえ。葵は潔癖だな」
「他の奴らがだらしなすぎるのよ」
みしみし、と鷲見さんはラテのカップを握る力を強める。
僕はおいそれと他人に、人としての意味だとしても好きだとか嫌いだとかはっきり言葉にして伝えることはしない。
それは単に僕が臆病で、僕に好かれてるということを伝えても、べつに嬉しくはないよな、とか、あえて言う必要ないな、とか考えてしまうからだ。
だけど、周囲に好意をばらまくタイプの人はいるし、そういった人はだいたいが人気者だ。
日陰者の僕には、彼らのような振る舞いは真似できないし、考え方に共感することは難しいのかもしれない。
「もちろん、律が英一郎のことを好きになることを、否定してるわけじゃないわよ。英一郎にムードメーカー的な素質があって、周囲の空気を明るく華やかにさせる力があるのはわかるし、それはちゃんと美点だと思ってる。でも、だからこそ、人としての魅力が周囲に伝わりやすい人間だからこそ、その扱い方をもっと上手にして欲しいと思うのよ」
「葵らしい意見だな。白か黒か。灰色は苦手って感じだ」
「たしかに私は灰色が苦手だけど、灰色を否定しないわ。灰色が嫌いだからって、灰色が好きな人のことを嫌いになったりはしない。だけど、そのせいで親友が傷つくとしたら、それは許せないだけ」
そこまで言い切ると、ふっと短く息を吐いて、鷲見さんはどこかすっきりしたような表情をする。
梟崎先輩から聞いていた通りの人だ。
いや、想像していた以上に清々しい人だなと感じる。
でも実際鷲見さんのように、迷いなく白と黒に分けられる人は、それほど多くない気がする。
きっと鷲見さんは、人として強すぎるのだ。
そして自分自身でもその事を理解しているから、強い方の自分が傷つくべきだと考えて、今回のような発言をしてしまったのだろう。
「あー、でもなんか全部言いたいこと言ったらスッキリした。まさか慶にこんなこと話すことになるとは思わなかったわ。今日言ったこと、他の人に言わないでよ?」
「言わねぇよ」
「もし言ったら、わかるよね?」
「わかりたくないけど、だいたいわかる。絶対に言わねぇ」
梟崎先輩が珍しく真面目な顔をして、こくこくと何度も縦に頷いている。
その様子が面白くて、僕は思わず笑ってしまう。
すると、鷲見さんも小さく口角を上げて、涼し気な容姿とはまた印象の違う可憐な笑みを見せてくれた。
「そこの雛太郎くんも、今日の話は口外禁止だから」
「はい。唇がちぎれても言いません」
「よろしい。もしちぎれたら、その時は私が縫い付けてあげる」
「というかべつに雛太郎は、言うような相手いないだろ。共通の知り合い他にいないし、そもそもお前友達いないし」
「そうなの雛太郎くん? 友達いないの? 可哀想。まあ慶と仲良いくらいだし、当然とも思えるわね」
「そんなことありませんよ。今日、また友達が一人増えましたし」
「そうなの? 私の知らない人?」
「あ、すいません。気のせいだったみたいです」
鷲見さんとお友達になれたつもりが、気のせいだったみたいだ。
今すぐ泣きわめいて枕に顔をうずめたい。
「冗談よ。雛太郎くんとは気が合いそう。友達ってことにしてあげる」
「いよっしゃああ!」
「喜びすぎだろ。きもいぞ雛太郎」
「慶がつっこみ側に回ることがあるなんて。やるじゃない、雛太郎くん」
鷲見さんからお褒めの言葉を頂いた。
なんとなく呆れたような視線に晒されているよな気がしないでもないけれど、気のせいということにしておこう。
「とりあえずまあ、しばらくは俺と葵の二人で走ろうぜ。たまに朱雀寺呼んで」
「……なんでそうなるの?」
「完全に繋がりが切れたら、葵も困るだろ? ほどけかけた靴紐は結び直さなくていいけどよ、靴紐を切り捨てる必要もないだろ」
「ま、まあ、たしかに」
「走ろうぜ。俺と会えないのは葵が寂しいだろうしな」
「私、もう帰っていい?」
「それに、俺も寂しいしな。葵に会えないのは――痛ってぇ!? おい!」
「そんなに蹴られたい?」
「だからもう蹴ってるだろ!」
梟崎先輩は致命的にポンコツなのか、誤解を受けそうな発言を連発している。
しかも誤解を生みそうな発言を嫌がる相手に対してだ。
色々な意味で鈍いのだろう。ご愁傷さまだ。
「まったく、英一郎ほどじゃないけど、あんたもたまにムカつくわね。一緒に走ってあげてもいいけど、今度は慶が私の住んでる街の方に来なさいよ」
「いいぜ。俺のフットワークの軽さはコロンブスも嫉妬するレベルだ」
「たとえが下手糞なの、変わらないわね」
そこまで言うと、鷲見さんは静かに席を立つ。
店に入ってくる時に比べて、少しばかり柔らかな雰囲気になった気がする。
それは僕が鷲見さんのことを知ったからなのか、それとも彼女の中で何かしらの変化があったのか、あるいはその両方か、それは大きな謎だった。
「それじゃあ、本当にそろそろバスの時間だから、私は行くわね。またね、慶」
「おう、今日はありがとな。近々、ランニングに誘うわ」
「……うん、待ってる。雛太郎くんも、またね」
「はい、ぜひ、また会いましょう」
顔を半分だけこちらに向けて、手をひらひらと振ると、そのまま鷲見さんはクールに去って行った。
僕には知人が少ないので、普段考えることが少ないのだけれど、人間関係を維持するのも大変なんだなと、他人事のように思う。
「おい、雛太郎、スマホ光ってるぞ」
「え? あ、本当だ」
すると机の上に置いたまま放置していたスマホの画面が、ぴかぴかと点滅していた。
画面を覗き込んでみれば、僕の数少ない関係を悩む相手が、僕に声を届けていた。
《ヒナくん! いまひま!? 一緒に走らない!? 漫画ばっかり読んでないで、私も運動しようと思って!》
僕らの関係性を、もし鷲見さんから見たとしたら、きっと灰色に見えることだろう。
でもそれは、僕から見れば、実は案外灰色じゃない。
きっちり白黒、ついているのだ。
「先輩、今から走ってくるので、僕もこの辺で失礼します」
「は? いきなりどうした。待てよ雛太郎――」
じゃあ、鵜住居さんから見たら、僕らの関係は何色に見えているのだろう。
僕はそんな大きな謎を考えながら、君の下へ走り出す。
涼し気な風が、頬を撫でる。
追いつけはしないけれど、置いていかないでくれるのなら、僕は――、
鵜住居さんと一緒なら、どこまでも走っていける気がしていた。
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