ほどけかけた靴紐は、結び直さなくていい④
駅前のミスドでオールドファッションを食べながら、僕は梟崎先輩が来るのを待っていた。
先輩の友人がなぜ皆ともう一緒に走りたくないと言ったのかわかったかもしれないと、メッセージで僕の推理を伝えたのだけれど、いまいち先輩には僕の話がよく理解してもらえなかったようで、直接会って話して聞かせてくれと言われたのだ。
だけど、それは僕の説明下手というよりは、推理自体の落ち度に原因がある。
実を言うところ、僕の推理は、まだ完成していなかった。
もっとも先輩に伝えられる程度には、大筋を説明できるような整合性はあるにはある。
でも、細かいところがよくわかっていなかった。
それは単純に推測の限界で、言うならば情報不足。
僕は先輩の友人グループの人の顔はおろか名前すら知らない。
もっとも、これはそもそも誰に頼まれたでもない、解かなくてもいい謎なので、情報に不自由しているのは当たり前といえば当たり前のことなのだった。
「よお、雛太郎。待たせたか?」
こんがり日焼けしたドーナツを四分の三ほど食べたところで、ジャケット姿の梟崎先輩が欠伸をしながらやってきた。
剃り忘れか、単純に面倒がったのか、無精ひげが薄らと見える。
「待ってないですよ。いま来たところです。ドーナツはもうこれで二個目ですけど」
「嫌味か。全然いま来たところじゃねぇじゃねぇか。というか俺もコーヒー買ってくるわ」
ついでに僕のドーナツをもう一つお願いします、ポンデがいいです、と梟崎先輩に声を投げかけたが、それは華麗にスルーされた。
レジで注文をする先輩を眺めながら、半端な時間にドーナツを食べたせいで、夕飯をどうすればいいのか僕はぼんやりと悩む。
店頭の上に表示されたミスドのメニュー表を眺めていると、ドーナツ以外にもホットドッグやパスタの類があることに今更ながらに気づく。
いつも思考停止でドーナツ以外を頼んだことがないのだけれど、美味しいのだろうか。
夕飯もここで済ましてしまうのも悪くないかもしれない。
「ふう、コーヒーが染みるぜ。なんか俺って、コーヒー似合うよな。渋さが際立つ」
「あ、先輩、ポンデ本当に奢ってくれるんですか? なんか最近、優しいですね」
「馬鹿いうな。これは俺のポンデだ」
「え、じゃあ、僕のポンデは?」
「お前のポンデはこの世に存在しない」
僕のポンデはこの世に存在しないとはこれいかに。知らない間に僕はドーナツ業界からハブられていたのか。
片方の手にドーナツを乗せたプラスチックプレートを持つ梟崎先輩は、もう片方の手でブラックコーヒーを啜りながら隣りに座る。
「それで? なんで
「アオイ? すいません。それが例の友人さんですか?」
「あー、名前は教えてなかったか。
「葵さんっていうんですね」
「おい、お前如きが葵のこと軽々しく下の名前で呼ぶなよ。先輩だぞ」
「先輩って言ったって、僕、浪人ですよ?」
「よくそこでドヤ顔できたな」
どうやら噂の梟崎先輩の友人は、鷲見さんというらしい。
なんだか前も友人の友人を下の名前で読んだら、怒られた覚えがある。
敵の敵は友。友の友は友。
この世界には敵より友の方が多いのは間違いないけれど、その肝心の友が僕に厳しすぎる。
「まあ僕の周回遅れについては置いておいて、そもそもどのくらい話しが伝わってる感じですか?」
「お前から聞いた感じだと、葵本人は俺らに対して何か不満とか問題があるわけじゃなくて、“他の友人”が俺らと一緒に走りたくないと思ってるんだよな?」
「ああ、なんだ。ほとんど伝わってるじゃないですか」
「いや、意味わかんねーよ。他の奴が嫌がってるっていうのも謎だし、それでなんで葵がキレることに繋がんだ?」
ポンデを律儀にひとつずつちぎりながら、梟崎先輩は納得いかないといわんばかりに形の良い眉を曲げる。
事前に伝えた通り、僕の推理はこうだ。
元陸上部の仲良しグループの中の集まりに忌避感を覚えているのは、鷲見さん本人ではない。
仲良しグループの中にいる別の誰かが、何らかの理由でその集まりに参加したくないと思っているのだけど、それを中々言い出せず、代わりに鷲見さんが発言したのだ。
「たぶん、鷲見さんは、憎まれ役を買って出たんだと思います。普通に考えて、仲良しグループの中で、いきなりもう皆と会いたくないとか言いだすのって、かなり精神的にタフじゃないと難しいと思うんです。だから、本当はそういった想いを抱えていたけれど、申し訳なさとか、恥ずかしさで言えなかった誰かの代わりに、鷲見さんは自分が汚名を被ることにしたんじゃないかと」
「自己犠牲、か。なるほどな。たしかに、あいつならやりかねねぇな」
「その仲良しグループの中で、鷲見さんと特に仲が良くて、そしてあんまり自分の本音を言えないような大人しい性格の人はいませんか?」
「……あー、一人、思い当たるな」
梟崎先輩はまたコーヒーを一口含むと、複雑そうな表情で溜め息を吐く。
友達想いで、自分の意志をはっきりと言える人。
それが僕の抱く鷲見さんのイメージだ。
そんな人が、いきなりグループの和を乱して、しかもろくに理由も言わないのは違和感がある。
だから、それは鷲見さんの強さから発せられた言葉だったとしても、鷲見さん自身の言葉ではないのだ。
グループとは言っても、全員が全員、均等に仲が良いというわけではないと思う。
男女混合とも言っていたし、ある程度その中でも特に気が合うといった間柄の相手がいるはず。
きちんと、丁寧に、こつこつと考えるだけ。
そうすれば、小さな謎は解きほぐされる。
ほどけかけた靴紐は、結び直さなくていい。
おそらく鷲見さんはグループの存続よりも、親友の秘めた想いを尊重したのだろう。
「たぶん、
「守ってあげたくなる感じ、ってやつですね」
「不思議だな。お前も似たような感じなのに、まるで守りたいと思わねぇもんな。むしろお前が野良犬かなにか追い回されてる様子を撮影したくなるよ」
「可愛い娘には旅をさせろ的な?」
「いや、それはなんか違げぇな」
どうやら僕の予想通り、梟崎先輩の仲良しグループ内には、自分の意見をあまりはっきりと言い出せなくて、なおかつ特別鷲見さんと親交の深い人がいたみたいだ。
ドーナツの最後のひとかけらを頬張ると、僕は口元を手の甲で拭う。
「ってことはつまり、朱雀寺が俺らと一緒に走りたくなくなったってことか? それはなんでなんだよ」
「うーん、そうですね。正直言って、そこは正確にはわからないですけど、おそらく……恋、かと」
「コイ?」
「五月五日に飾る方じゃないですよ」
脳裏に小学生くらいの子が家先にひらひらと魚を靡かせる映像を浮かべていそうな梟崎先輩に、僕は念押しをする。
怪我ならば、その朱雀寺さんが言えなくても、鷲見さんが代わりに理由として言うだろう。
鷲見さんがそうしなかったということは、彼女の強さをもってしても他人に言うことが躊躇われるような理由があるということだ。
それはたしかに、恋愛関係以外ないように思えた。
自分の想いならまだしも、親友の恋心を代わりにべらべらと語るのは、さすがに鷲見さんでも難しかったのだろう。
「朱雀寺が俺に惚れて、会いにくくなったってことか?」
「“先輩に”、ではなくて“先輩たちの内の誰かに”、会いにくくなったんだと思いますよ。惚れた段階なのか、もうすでに、その、色々ごたごたがあった後なのか、どっちなのかはわかりませんけど」
「なるほどなあ。モテる男はつらいぜ。いつも知らない間に誰かを苦しめちまう」
「おい、僕の話きけよ」
無駄に小指と人差し指を立ててコーヒーカップを傾ける梟崎先輩は、最高に鬱陶しい。
恋愛感情というものは、実にセンシティブな指標だ。
ちょっとグラつくだけで、まるで異なる感情を人の心に起こしてしまう。
鷲見さんが精神的に不安定になった親友を見て、一旦グループから距離を置けるように一肌脱いだのもよくわかる。
「でもまあ、そこらへんの詳しいところは、本人に直接訊けばわかるか。葵本人が俺に会いたくないと思ってないなら、何の問題もねぇしな」
「そうですね。僕の推理はこれで終わりです。ここから先は、先輩が調べてください」
「おう、助かったぜ。ずいぶんとこれで、今から話すのが楽になった」
「それはよかったです……ってん? 今から?」
ふいにミスドの入り口のドアが開き、ぬるい店内を冷涼で凛とした風が通り抜ける。
そんな、空気を変えるような気配と共に店内に入ってきたのは、刈り上げの跡が見えるベリーショートの黒髪に中性的な容姿の背の高い女性。
上唇の近くにある黒子がどこかミステリアスな雰囲気を醸し出すその女性は、鋭く僕らの座っている方を一瞥すると、どうしてかレジに目もくれず真っ直ぐとこちらへ近づいてくる。
「……
「よお、葵、待ってたぜ」
口の中に広がっていたオールドファッションの甘い残香が、瞬く間に消え失せる。
まさかのご本人登場だ。
気のせいかもしれないけれど、なんかちょっと怒ってる気がする。
これ、もう僕帰っていいですか?
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