クリスマスプレゼントは、届かなくていい

クリスマスプレゼントは、届かなくていい①



 年暮れ迫る大学二年の十二月、東北の盆地で僕は晴れてサンタクロースとなった。

 ここより雲に近い蔵王の方ではもう初雪が降ったらしいが、僕の生活圏はまだ白く塗りつぶされてはいない。

 だから僕の着る少しサイズの合っていないサンタの赤服が、閑静な街並みで僅かばかり浮いて見えるのはある程度は仕方がないことなのだ。

 

「ティッシュはいかがですかー! ティッシュ! ティッシュですよ! クリスマスプレゼントにティッシュはいかがですかー!?」


 そして僕こと添木雛太郎そえぎひなたろうサンタは、何の羞恥心もなく大声を叫んで、世のクリスマス組合に破門されそうなほどクオリティの低いプレゼントを配ろうとしている。

 誤解のないようにはっきり言っておくが、僕だって好きでこんな資金難のサンタクロースごっこをしているわけではなく、やむをえない事情があって指先を震えさせ喉を枯らしていることは承知しておいてほしい。

 それもこれも、全ては梟崎慶ふくろうざきけいという名の先輩、あるいは悪友ともいえる彼のせいだ。

 

『おい、雛太郎。いいバイトがあるんだけど、稼ぎたくねぇか?』


 こんな今思えば、詐欺師そのものとしか思えない口車に乗せられるなんて、あの日の僕はやはり飲みすぎていたに違いない。

 もっとも飲みすぎてない日の方が、僕の場合少ないという事実もあるけれど、それはとりあえずシバリングに揺れる身体の奥にしまっておこう。

 まあとにかく、鼻頭を赤くして、もはやサンタクロースというよりはトナカイの方に近い状態の僕は、そういうわけで、梟崎先輩の紹介により、このサンタクロースの格好をしてティッシュを配るという絶妙にピントの外れた短期アルバイトをすることになったのだった。


「雛太郎さん。よくそんなくだらない格好で、何の恥ずかし気もなく大声を出せますね」


 すると、そんな完全にバツゲームとしか思えないやりがないのやの字もないサンタクロース活動に勤しむ僕へ、多分に呆れを含んだ声がかかる。

 そのどこか少年のような鈴声を響かせるのは、眠そうに目を半分ほどしか開けていない退屈そうなトナカイだった。


「それ、翡翠かわせみさんが言う?」

「私はいいんです。ちゃんと恥ずかしがってるので」


 その僕の隣りで、一応仕事中にも関わらず大きな欠伸をするトナカイ、より正確に言えば、トナカイの格好をした可愛らしい彼女は翡翠千尋かわせみちひろ

 この不思議な短期アルバイトに応募した僕以外の唯一の子で、訊けば年齢は僕より三つも下で、まだ現役の女子高校生とのことだった。

 ちなみにこの僕らが手に持つティッシュには、新築マンションの広告が入っているので、つまりはクリスマスプレゼントにマンションを配っているのと同義だ。

 なんでも今なら内見するだけで、ずんだシェイクもプレゼント。

 果たして、あのくどくなるぎりぎり一歩手前の甘さと独特な舌触りが売りのご当地グルメに、物件購入させるほどの集客効果があるのかははなはだ疑問だ。


「だいたいこんなところに今更新築のマンション買う人なんているんですか? 十年後にはゴーストタウンですよ?」

「おっと、だいぶ攻めたものいいをするね。翡翠さんはたしか、ここが地元じゃなかったっけ?」

「なにもわかってませんね、雛太郎さんは。地元だからこそ、攻めたものいいができるんですよ。もし仮に雛太郎さんが、今私が言ったことと同じことを言ったらどうなると思いますか?」

「え? どうなるの?」

「決まっています。殴ります。元々がどんな顔だったか思い出せなくなるまで殴ります」

「うわあ。唐突に過激だ。しかも真顔で言うからなお怖いよ。ていうか、それ、誰が殴るの?」

「当然私です。私、不良なので、殴るのは得意です」

「もう翡翠さんと喋るようになってから一週間経つのに、どこまでが冗談なのか僕には全くわからないよ」


 理知的な瞳で真っ直ぐと僕を見つめる翡翠さんは、いつものように真剣そのものの表情だ。

 トナカイの格好をした可憐な少女は、このように若干不思議な性格をしている。

 変なアルバイトに募集するだけあって、正直に言えば変な子であるといえる。

 僕はどこの街にも二桁はいそうな平々凡々な真人間なのに、どうしてか周囲にはちょっぴり変わった人が集まることが多い。

 プラスはマイナスを呼び寄せる。磁石のようなものだろうか。物理は苦手なのでよくわからない。


「でも実際、翡翠さんってたしか受験生だよね? こんな意味のわからないバイトとかしてていいの? 受験勉強は大丈夫?」

「たしかに雛太郎さんと喋っていると、偏差値二、三くらいは下がりそうですけど、大丈夫です。持ち前の才能でカバーしますので」

「そっか。まあ、翡翠さんは頭良さそうだからね。余計な心配か」

「ちょっと、つっこんでくださいよ。年下の女の子に、喋ってるだけで偏差値が二十、三十減るって言われてるんですよ? 自尊心はないんですか?」

「ちょっと待って!? 二十、三十は減り過ぎじゃない!?」

「えぇ……急にちゃんとつっこみ出した。喋ってるだけで偏差値が減ること自体は流すのに、その減り幅は気にするんですか……」


 基本的に尊厳というものをまるで持ち合わせていない僕だけれど、さすがに偏差値が二桁下がるほどの悪影響を他人に与えているという言い分には文句をつけたい。

 さすがの僕でも、そこまで害悪な存在には成り果てていないはず。

 もし本当にそうなら、今度から僕は徳川家の家系図が書いてあるTシャツと、数式が模様になったズボンを履いて、生活していかなければならないだろう。


「そろそろクリスマスなので、そのプレゼント代を稼ぐために短期のアルバイトをしているだけです。普段からしているわけじゃないですよ」

「ご両親からのお小遣いだけじゃ足りないの?」

「親からのお小遣いで、友達にプレゼントを買うのとか、なんかダサくないですか?」

「翡翠さん、カッケェ!」

「……まあ私、不良なので」


 年頃の女子高校生とは思えない硬派な返答に、僕は思わず感嘆の声をあげてしまう。

 少し照れているのか、翡翠さんは珍しく顔を俯かせて、口角を緩めている。

 だけど実際、世の十代の女性は全員、頼めばなんでもしてくれるドラえもんを一家に一台常備していると偏見に思い込んでいた僕にとって、その答えは意外に満ちたものだった。


「なに買うの?」

「教えると思いますか? 殴りますよ?」

「最近の女子高校生って、みんなこんなに暴力のハードルが低いの?」

「私の友達も今年受験生なので、ちょっと高級なボールペンでも買おうかと思ってます」

「あ、普通に教えてくれるんだ」

「まあ、隠すようなことでもないので。もっともその代わり殴りますけど」

「勝手に喋って勝手に殴るとかもうそれ通り魔とあんまり変わらないよ!?」

「冗談ですよ。雛太郎さんはぴぃぴぃうるさいですね」


 ふふっ、と軽く笑うと、翡翠さんは寒さに白い吐息を乗せた。

 会話に少しの間があき、僕は暇潰しがてら、というか本来の仕事であるティッシュ配りに勤しむ。

 残念ながら、ずんだシェイク引換券付きのティッシュは、いまだ誰も受け取ってくれない。


「……そういえば去年は、私のクリスマスは、二十五日じゃなかったんですよ」

「どういうこと? 違う文化圏に海外旅行でも行ってたの?」

「その返しは中々新鮮ですね。でも、違います。そういう言葉通りの意味じゃないです」


 あ、という接頭語をつけて、翡翠さんはぼんやりとした表情で言葉を漏らす。

 彼女は何かを思い出すかのように、雲が占有率が少し高めの空を見上げている。


「さっき言ったクリスマスプレゼントをあげる友達なんですけど、実はけっこう遠いところに住んでて、毎年プレゼントはお互いに日時指定の宅急便で送り合ってるんです」

「地元の子じゃないってこと?」

「元々はこっちに住んでたんですけどね。中学二年の時に、関西の方に引っ越しちゃって」

「なるほどね」


 幼馴染ともいえる友人と、距離が離れてしまっても、毎年クリスマスプレゼントを送り合う。

 けっこうドライというか、あんまり感情に熱を感じないタイプの翡翠さんだけれど、案外友達思いなところもあるらしい。


「でも、去年だけ、二十五日にプレゼントが届かなかったんですよ。その年も送るって言ってたのに、届かなくて変だなと思いましたけど、次の日にはちゃんと届きました」

「二十五日がクリスマスじゃなかったっていうのは、そういう意味か。でもあれじゃない? 普通に日時指定間違えたんじゃない?」

「いや、その可能性は低いと思います。レナはそういうの、けっこう細かいタイプなので。ああ、すいません。レナっていうのがその私のお友達です」

「ミスはないとすると、あえて二十五日じゃなくて、次の日に指定したってこと?」

「まあ、そういうことになりますね。理由はまったくわからないですけど」

「本人は理由訊いたの?」

「はい。気になったので、直接訊きました。でも、なんか秘密って言われました。来年のクリスマスになったら教えてあげるって」

「秘密か。そそられる響きだね」

「雛太郎さん、なんか顔気持ち悪いですよ。あ、元々か」

「元々は気持ち悪くないでしょ元々はっ!? 気持ち悪いのは今だけだよ!」

「いや、今だけ気持ち悪くてもあまりよろしくないと思いますけど……」


 翡翠さんは苦笑しながら、寒さのせいか鼻頭を赤らめている。

 だけど、あえて二十五日じゃなくて、二十六日にクリスマスプレゼントを届ける意味、果たしてそれは何だろうか。

 それは小さな謎だった。

 頭の中に、トルコのアイス屋さんみたいに、クリスマスプレゼントをくれそうでくれない意地悪なサンタクロースが現れて、僕はモヤモヤとした気分を抱く。


「あー、なんか雛太郎さんとお喋りしてたら、疲れてきました。ちょっと飲み物買って来ていいですか?」

「え? バイト自体じゃなくて、僕との会話に疲れたの? なんかごめんなさい」

「冗談ですよ。いちいち本気にしないでください。面倒くさいですね」


 年下の女の子に面倒くさいと言われると、わりと傷つくことを僕は初めて知った。


「でも、飲み物欲しいのは本当なので、買ってきますね」

「え、あ、うん。わかったよ」


 そして翡翠さんは一応仕事中なのに、当然のようにコンビニの方に消えてしまった。

 彼女が口癖のように言う、不良なので、という言葉は案外本当なのかもしれない。


「クリスマスプレゼントか……」


 僕は改めて考えてみる。

 引っ越しをしても、交友関係が続くような親友相手に送るプレゼントを、あえて普段と違う日に送る理由。

 それはいったいなんだろう。

 幾つか可能性は思いつくが、どれもぴんとくるものではない。


 そういえば、僕は去年のクリスマス、何をしてたっけ。


 まったく思い出せないことに、僕は心底恐怖した。

 逸れる思考の中で、僕は今年のクリスマスも、相変わらず何の予定もないことに気づき、その事実にも戦慄した。

 身体の震えが寒さか恐怖かあるいは戦慄か、どれによるものなのかもう判別はできない。


「雛太郎さん」


 そんな風にあまり自分の人生の薄っぺらさに、虚しさを覚えていると、可愛らしいトナカイが僕に向かって手を伸ばしているが見えた。

 どうやら翡翠さんが戻ってきたみたいだ。

 今気づいたけど、この子、トナカイ姿のままでコンビニ行ったのか。

 不良かどうかはわからないけれど、一種のアウトローなのは間違いない気がする。


「あ、おかえり翡翠さん」

「これ」

「え?」

「これ、雛太郎さんの分です」

「僕の分も買ってきてくれたの?」

「なんですかその信じられないみたいな顔。殴りたいです。これは冗談じゃないです」

「ご、ごめんごめん。なんか、意外で」

「まったく、こう見えて私は雛太郎さんを年上の大人として尊敬してるんですよ?」

「そうだったの? 全然気づかなかった」

「冗談に決まってるじゃないですか。雛太郎さんは本当に残念な人ですね」


 こんな短時間で僕を上げて落としては上げて落とす人、変人奇人の巣窟である僕の周囲でもあまりいない。



「ほら、バイトの終わり時間まであと少しです。これ飲んで一緒にがんばりましょう」

「……うん。頑張ろう」



 だけど、翡翠さんが優しい人なのかどうかは、まったく謎でもなんでもない。

 まさに自明。

 どう考えても、このトナカイ姿が似合う年下の女の子は、とても優しい人だった。

 

 


 

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