檸檬色の夜は、思い出さなくていい③
大学生という生き物は基本的に金がない。
とくに国立大に通う学生ならなおさらだ。
お金があるところにお金持ちが集まるように、お金がない場所にはお金がない人間が集まる。
もっとも、沢山の例外があることは否定しないけれど、一般的にはそういった傾向があると思う。
僕だってもう少し実家が裕福な家庭だったら、都会の私大で薔薇より赤く瑠璃より青いキャンパスライフを送っていたところだろう。
まあ、それは言い過ぎかな。
僕の場合は、どこにいたってモノクロはおろか黒一色のくすんだ日々しか送れないかもしれない。
まあとにもかくにも、雀の涙ほどの仕送りと将来の不安と一緒に毎月貸与される奨学金、そしてなんとか食費と飲み会代は払える程度のバイトの稼ぎで、僕は毎季節を必死で乗り越えているのだった。
わりあい寂しがり屋の僕は、だから本当は毎日だって外に飲みに歩き回りたい。
ただ、前述の通り、金銭的にすんでのところで生きている僕には、そんな毎晩毎夜外で飲む余裕はない。
そういうわけで、僕はこうして居酒屋に行くわけではなく自宅に友人を招き、俗にいう宅飲みを開催することがここ最近多くなってきたのだった。
「相変わらずお前の部屋って狭くて汚ねぇよな。なんか土くせぇし。肥料でも撒いた?」
「撒くわけないじゃないですか。僕は地面から栄養素摂取してませんよ。出不精で、自分の家に根を張っている
プシュッ、という小気味の良い音ともに、僕の許可も取らずにベッドに陣取った梟崎先輩は、まだ乾杯もしてないのにプレモルの蓋をあける。
ちなみに今日は、珍しく飲みに誘ってきたのは僕ではなく梟崎先輩からだ。
かなり厄介というか面倒な性格をしているせいで、たぶん他に友達がいないのだろう。
可哀想だから僕が一緒に飲んであげることにしたわけだ。
ただしお金がないので、宅飲みにして貰った。
この男は、僕より一学年上のくせに、毎回必ず割り勘なのだ。
これだから甲斐性のない男は困る。
顔のわりに梟崎先輩が異性から人気がないのも、こういうところなのではなかろうか。
「なあ、お前ってライフオンマーズってドラマ知ってる?」
「なんですか藪から棒に。知らないです。流行ってるんですか?」
「いやまったく流行ってない。というか今から十年以上前のドラマだし」
「はあ、そうですか。それで、その火星のドラマがどうかしたんですか?」
「今から見るぞ。借りてきた。それに火星は関係ねぇから」
「は?」
と、言うが早いか、もそもそとリュックサックからレンタルしてきたらしいDVDディスクを、梟崎先輩は数枚取り出す。
次いでこれもまた家主である僕の許可も取らずに、テレビとDVD再生可のゲーム機を勝手に弄り始め出した。
自由すぎるだろ。
実家じゃないんだぞ。
「なんでそんなドラマ見るんですか?」
「せっかくの宅飲みなんだから、外じゃできないことした方がいいだろ。ドラマ観ながら酒飲もうぜ。それにお前の顔だけ見て酒飲んでたら、なんか眠くなんだよ」
どうやら僕の顔面には睡眠導入効果があるらしい。
知らなかったし、知りたくもなかった。
「珍しく先輩から飲みに誘ってきたと思ったら、僕のドラマを観たかったからだったんですね。この俗物!」
「僕のドラマってなんだ。それに誰が俗物だ。というか俗物の使い方おかしいだろ。語感だけで言ってるだろ」
梟崎先輩は視線を画面に向けたまま、僕の文句を岩清水みたいにさらりさらりと流していく。
僕が男梅の蓋をあけた辺りで画面が切り替わり、オアシスのボーカルみたいな顔をした俳優が、神経質そうな表情でこちらを睨みつけてきた。
「海外ドラマですか?」
「そりゃそうだろ」
「いやなにがそりゃそうなんですか。というか何系なんですかこれ? SFですか?」
「刑事モノだよ。ふつうに考えてSFなわけねぇだろ」
「だってライフオンマーズっていうタイトルなんですよね? 火星に移住する話じゃないんですか?」
「お前、正気か? 本当に地球人かよ。火星人じゃね?」
僕を地球外生命体扱いしながら、梟崎先輩は心の底から信じられないと言ったような表情をしている。
ライフオンマーズというドラマのタイトルから、空想科学やスペースファンタジー要素のある物語を想像したのだけれど、いったいこの推理のどこがおかしいのか僕にはわからない。
やれやれといったように首を横に振る梟崎先輩は最高に腹立たしい。
僕がエイリアンだったら、迷わずチェストバスターしているところだ。
「ライフオンマーズって言ったら、ディヴィッド・ボウイの曲名に決まってんだろ」
「あー、なんとなく聞いたことある名前ですね」
「お前、マジか? なんとなく? あのディヴィッド・ボウイがそんな薄い認識なのか?」
「僕はあまり洋楽とか聞かないので。あ、でもビートルズとかオアシスとか、マイコーとかはわかりますよ」
「ファ○ク。ホーリー○ット」
「スラングで罵るのやめてください。ここは日本ですよ」
「このゴミクソ野郎」
「やっぱりスラングにしてください。なんかヘコみます」
洋画や海外ドラマでよく聞く台詞を口汚く言う梟崎先輩は、早くもビールを一缶開けてしまったようで、二つ目のプレモルに手を伸ばす。
どうやらライフオンマーズというのは、海外アーティストの有名な曲のタイトルらしい。
茶髪のロン毛という見た目の通り、梟崎先輩は楽器をかじっていて、音楽に詳しいというかうるさい。
邦楽洋楽問わず、様々なアーティストの音楽に毎日のように触れているらしく、時代的な守備範囲もビートルズなどの古めのものから、最先端のEDMといったものまで広く抑えていると自分で言っていた。
「じゃあ、音楽系のドラマってことですか? いや、違うか。刑事モノって言ってましたね。というか見た感じ、たしかにミステリっぽい」
「あらすじしか知らねぇけど、なんか刑事が現代から1973年にタイムスリップして、そこで起きる事件を解決していくってノリらしいぜ」
「あー、なるほど。そのボウイさんの曲が、1973年に発表されたものってことか」
「いや、どうだったかな。1973年ぴったりかどうかは忘れたけど、でもまあ、たしかそんくらいの時代の曲のはずだな」
画面に映る映像は、すでに若干の古さを感じさせるけれど、おそらくまだタイムスリップする前の導入パートだろう。
一応まだ携帯電話のある時代のようだし。
「1973年ってけっこう昔ですね。そのボウイさんってまだ生きてるんですか?」
「いや、もう死んでるな」
「あ、そうなんですね」
俺は十代で死ねなかった凡人さ、と僕の好きなバンドのボーカルも歌っていた。
才ある人ほど早くこの世界から、さっさとオサラバしてしまうものなのかもしれない。
「三年前に死んだよ、ボウイは。あの年は最悪だったな。プリンスも、ジョージ・マイケルも死んだ年だ。嫌な年だったよ」
と思ったら、わりと最近だった。
ボウイさんの享年を僕は知らないけれど、七十年代から三年前まで活躍を続けていたのなら、二十代や三十代で亡くなったわけではなさそうだ。
不器用大貧乏な僕は、きっとボウイさんの才能の万分の一も持っていない。
せめて寿命くらいは、このライフオンマーズの生みの親より長くあって欲しいものだ。
「まあお前も、なにかつらいことがあったら、ボウイの曲を聴くといいさ。少しは慰めになんだろ。こうやって毎回、俺がお前を直接慰めてやるわけにもいかないしな」
「まるで今日の飲み会を、わざわざ僕を慰めるために開いたみたいな言い方ですね」
「まるでというか、その通りだからな」
「はい? どういうことですか?」
「いや、いい。みなまで言うな雛太郎。お前が言わなくても、わかってるぜ……振られたんだろ、お前?」
いきなり何を言いだすんだこの人は。
知らない間に僕が失恋したことになっているぞ。
手に持ったチータラを指揮棒のようにひゅいんひゅいんと揺らしながら、梟崎先輩は全て分かっていますよ、みたいな遠い目をしている。
その目をカルパスで突いてやりたい。
「ここ最近、なんか仲の良い女友達できましたアピールをしていたお前が、今週になって急にピタリとそのアピールを止めて、バイト中ずっとうつらうつらしてたからな。この天才的な俺の推理によれば、お前は女友達ができたことに調子に乗って、それ以上の関係を望み、案の定失敗したってことだろう」
なんだこのボンクラ深読み迷探偵は。
わけのわからない見当違いの推理に僕は唖然とする。
だいたい仲の良い女友達できたアピールなんてしてないし。
いや、ちょっとはしたかもしれないけれど、決して彼女とそれ以上の関係を望んだことなんてない。
「全然、違いますよ。なにいってるんですか先輩。変なこと言わないでください。変なことしますよ」
「変なことってなんだよ怖ぇな。でも実際図星だろ。お前は案外顔にでやすいからな。なんで僕の失恋を知ってるんですか梟崎大先輩マジ神スゴ過ぎガチ尊敬っすって顔に書いてあるぞ」
「感情が顔に出やすいことは否定しませんけど、その誤訳は徹底的に否定します」
「まあいいさ。俺は頭脳明晰なだけじゃなく、寛大でもあるからな。素直になれない後輩を責めたりはしないさ。こうやって一緒に酒を飲んで、お前の寂しさを紛らわせてやる手伝いをしてやるだけだ」
自己満足に浸る梟崎先輩は、とても美味しそうにビールでごくごくと喉を鳴らしている。
後輩の不幸を勝手にでっち上げて、それを肴にするなんていいご身分だ。
しかし、僕はどうしても思い出してしまう。
数日前に見た、鵜住居さんの家にあった、明らかに彼女の趣味にそぐわないもう一本の歯ブラシを。
たかが歯ブラシ一本。
それが男友達が泊っていった際のものとも限らない。
女友達かもしれないし、鵜住居さん本人が気分転換に予備として置いているのかもしれない。
そもそも、あの歯ブラシが誰のものであっても、ただの友人の一人にしか過ぎない僕には関係のない話だ。
それにも関わらず、僕はずっと考え続けてしまっている。
鵜住居さんが、僕以外の誰かと、にこやかに会話をしている姿を想像しては、なぜか胸の詰まるような想いを抱いてしまっていたのだ。
「あ、ひかれた」
テテテン、とどこからともなく、どこか切なさを感じさせるピアノが聴こえてくる。
驚いたような声をあげる梟崎先輩の視線を追ってテレビ画面を見てみれば、そこではドラマの主人公が自動車にひき逃げされて、地面に瀕死の状態で横たわっている映像が見えた。
カーステレオからはハイトーンの声で、男性ヴォーカルが高らかに歌っている。
わざわざ梟崎先輩に確認しなくてもわかる。
たぶんこの声の持ち主がディヴィッド・ボウイだ。
たしかに聞き覚えのある、特徴的な声をしている。
「ひかれちゃったんですね」
そうだ、認めなくてはいけないのだろう。
きっと僕は、惹かれてしまったのだ。
この知らなくてもいい
流れ続けるライフオンマーズを耳にしながら、火照る気持ちを冷ますためにチューハイを一気にあおるが、それはむしろ胸の内の熱を上げるばかりだった。
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