不審者には、怯えなくていい⑤


 表面が薄くカリッと焼かれ、中はフワフワのパンは弾力が抜群で、中々具材まで届かない。

 それでも思い切って噛み込むと、シャキッとしたレタスと肉厚なトマト、そして甘酸っぱいパイナップルの旨味が口の中に流れ込んでくる。

 パイナップルの下には、僕の指の太さくらいあるハンバーグが潜んでいて、バーベキューソースと絡み合い旨味のエンターテインメントを披露してくれた。


「……何度食べても、ここのハンバーガーは絶品だなぁ」

「うん! すごく美味しい! 箸が止まらないよ! 手づかみだけど!」


 目の前では、鵜住居さんが見た目に似合わず大きな口を開けて、僕と同じ様にハンバーガーに夢中になっている。

 唇についた緑色のハラペーニョソースを舌で舐めとる様子は、少女らしい可憐さと共に、どこか大人の妖艶さを感じさせた。

 色んな意味で美味しそう。


「ん? なに? ヒナくんも味見したいの?」

「んやっ!? べ、べつに大丈夫だよ。僕は辛いの苦手だから」

「そう? ヒナくんは名前通りお子ちゃま口なんだね」

「うるさいな。知ってる? 辛みは味覚に入らないんだよ? 辛みを感じてるのは味覚じゃなくて、痛覚なんだ」

「へー。だから?」

「だからって言われると困るけど、とにかく辛いのが苦手だからといって、味に鈍いわけじゃないってことだよ」

「あっそ。じゃあ、なんで私のハンバーガーをそんなに見つめてたの?」

「み、見つめてなんかないよ」

「嘘つきー。味が気になるならそう言えばいいのに。ヒナくんは変なところで捻くれ者だねえ」


 やたらと楽しそうに、鵜住居さんはハラペーニョバーガーを食べる。

 僕が見ていたのはハンバーガーじゃなくて、鵜住居さんだったのだけれど、なんとなくそれはあえて言わなくてもいい気がした。


「う~ん、このオニオンリングも美味美味。もしかしたらこれがタマネギの一番美味しい食べ方なのかも~」


 ご機嫌な鵜住居さんにつられるように、僕もフライドポテトに手を伸ばす。

 三日月のような形に皮つきのままウェッジカットされたポテトは熱々で、口の中に放り込むと舌の上で踊り出す。

 しばしのダンスの後に噛み砕けば、粗びきペッパーによって引き立てられたホクホクの甘味が油と一緒に溶け出した。

 また一口、透明な肉汁の止まらないハンバーガーをかじってから、僕はそれをルートビアで喉に流し込む。

 ひとによっては、シップ味などと言われるルートビアだけれど、僕には杏仁豆腐の風味に感じる。

 要するに僕にとっては、とても美味しいということだ。


「あー、美味しかった。でも私的には、もうちょっと辛くても大丈夫だったもなー」

「えぇ!? 鵜住居さんもう食べ終わったの!? 早くない!?」

「うふふっ。仕事の早い女は、食べるのも早いのだよ、ヒナくん」


 よくわからないことを言いながら、上品に鵜住居さんは口元をナフキンで拭う。

 さっきまでハンバーガーとオニオンリングに舌鼓を打っていたと思ったら、知らぬ間に完食していた。

 優雅にアップルサイダーを啜りながら、彼女はやっとパイナップルバーガーを半分食べ終えたところの僕を眺めている。


「それで、謎は解けた?」

「へ? なにが?」


 あまり鵜住居さんを待たせてはいけないと、やや食べるペースを上げ始めた僕へ、ふいに鵜住居さんが言葉を投げかける。

 彼女の口元にはいまだに笑みが滲んだままだが、その種類は美食に心を踊らせていたさっきまでの笑みとはまた異なるものに変化していた。

 それはもっと、深く、複雑で、喜びでも、嬉しさでもない微笑み。


「ずっと考えてたんでしょ? 消えた不審者のこと」

「あぁ、そのことか。うん、まあ、一応ね」

「やっぱりね。ヒナくんなら、そうだと思った」


 僕のことなんて全てお見通しだよ、みたいな顔をして鵜住居さんは目を細める。

 食べ方が少し下手糞で、先にバンズの上半分が無くなってしまったパイナップルバーガーを、崩れないように姿勢を整えながら、僕は梟崎先輩から聞いた話を彼女にも伝えることにした。


「実は僕のバイト先の先輩にも学生寮に住んでる人がいるんだけど、どうやらその人も九月の下旬辺りに不審者を見かけたらしい」

「バイト? ヒナくんってバイトしてたんだ。なんのバイト?」

「旅館だよ。配膳とか片付けとかの食事周りのバイトしてる」

「へえ。そうなんだ。なんか似合いそう」

「わりといいバイトだよ。そんなに忙しくもないし、皆優しいし。鵜住居さんもくる?」

「うーん、私はいいや。ヒナくんと同じバイト先とか、なんかちょっとアレだし」


 ちょっとアレってなんだ。

 僕はひそかに傷ついた。


「それでそのバイト先の人も不審者は見たんだ? 九月下旬っていうと、和泉ちゃんが不審者に会ったっていうのも、たしかそのくらいだったはず」

「その先輩は梟崎っていう人なんだけど、梟崎先輩いわく、自分の部屋に入ったら、知らない人がいて、慌てて一回部屋を出てから戻ったら消えてたんだって」

「また消える不審者、だね。梟崎さんはその不審者の顔見てないの?」

「部屋を暗くしてたから顔とかはわからなかったって」

「そっかー。でも和泉ちゃん以外にも、この消える不審者を見た人がいたんだね」


 鵜住居さんはアップルサイダーのストローを指で弄りながら、悩ましそうに眉を曲げる。

 その言い回しに若干の違和感を覚えた僕は、最後のフライドポテトを手に取りながら確認をとる。


「なんか引っかかる言い方だね」

「相変わらずこういう時は鋭いね、ヒナくん。……実はさ、私もこの消える不審者のことが気になって、自分なりに軽く聞き込みみたいなのしたんだ。でも私は和泉ちゃん以外に、不審者らしき怪しい人を見たっていう人を見つけられなくて」

「他に目撃情報がなかったってこと?」

「ま、そういうことだね。だから、ヒナくんが梟崎さんの話をするまで、この消える不審者の正体は、実は和泉ちゃんの彼氏さんなんじゃないかって思ってたんだよ。だけど、他に目撃者がいるなら、また私の推理は外れかー」


 ちょっとだけ落ち込んだように、唇を尖らせてアップルサイダーの残りを鵜住居さんは一気に飲み干す。

 やっとこさパイナップルバーガーを平らげた僕は、げっぷをしないように息をぐっと飲み込んだ。


「消える不審者の正体は彼氏、か。これまた突飛な推理をしてたんだね」

「いい線いってると思ったんだけどなー。ただ単に彼氏さんがドッキリしただけだっていう説。もし彼氏さんが消える不審者の正体なら、学生寮のオートロックを通り抜けられるのも寮生なんだから当たり前だし、消えたっていうのも本人が正体ならそもそも消える必要がないかなって」

「たしかにそれはそうだけど、消える不審者の正体が彼氏さんだったら、その鵜住居さんのお友達が気づくんじゃない?」

「だって部屋が暗かったから、顔まではよくわかんなかったんじゃない?」

「それはあくまで暗い部屋に入った側の話だよ。先に暗い部屋で寝て待ってたなら、目が暗闇に慣れてるはずでしょ」

「あー、たしかにそれはそだね」


 納得と言った表情で、鵜住居さんは頷く。

 しかし、そこで僕の鼠色の脳味噌が、きゅるりと廻るのが分かる。

 梟崎先輩は、酔った状態で、さらに真っ暗な部屋の中で不審者を見た。

 酔っていて、さらに暗闇。

 もし鵜住居さんから和泉ちゃんの話を聞いてなかったら、迷わず見間違いだと切り捨てているような話だ。

 和泉ちゃんは酔ってもいないし、暗闇に目が慣れている。

 だから見間違いは基本的にありえない。

 その前提を持って、僕は梟崎先輩が見た不審者も見間違いではないと断定した。

 

 だけど、それが僕の根本的な間違いなんじゃないか?

 和泉ちゃんが見間違いしていないからといって、梟崎先輩も見間違いをしていないと言い切ってはいけないのではないか?

 和泉ちゃんは正しく目撃していて、梟崎先輩はやはり見間違いをしているとしたら?


「だけどあれだね、やっぱり本当に不審者がいるなら、やっぱり大学とかに通報した方がいいかもね。和泉ちゃんとか、その梟崎さんって人になにかあってからじゃ遅いし」


 鵜住居さんの心配そうな声が、やけに遠くに聴こえる。

 僕の頭の中では、急速にある一つの推理が組み立てられていった。


「いや、通報の必要は、たぶんないよ」

「……え? まさかヒナくん、わかったの? 消える不審者の正体が? 通報しなくていいってことは、不審者なんて本当はいなかったってこと?」


 リスみたいに瞳を丸々とさせ、鵜住居さんが驚きに表情をかためる。

 ルートビアの微炭酸が弾け、僕は誰も知らなくてもいい推理を彼女に語る。

 不審者はどこにも消えていなく、全ては秋の酔いが生み出した幻に過ぎなかったのだ。


「いや、鵜住居さんのお友達が見たっていう不審者はたしかにいたけど、大丈夫なんだ。この不審者には、怯えなくていい」





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