不審者には、怯えなくていい④


 遠くの空に月が見え隠れ、涼風吹きつける夕暮れ時。

 僕は待ち合わせ場所に指定された、大学前の通りにあるガレージ系ハンバーガーショップへと足を運ぼうとしているところだった。

 誰と待ち合わせをしているかといえば、それは当然の如く鵜住居うのすまいさんだ。

 僕とアルコール抜きの食事を共にしてくれる友人は、ここ最近は鵜住居さんくらいしかいない。

 暖かな橙色光が漏れ出る店に着くと、先に店内に入っているらしい鵜住居さんの姿を探す。

 カランラン、という軽快な鈴音と共に扉を開けて、あの派手なレモン色がないか顔を覗かせてみれば、わりあいすぐに見つかった。


「おーいおーい! ヒナくん! こっちこっち!」


 相も変わらず溌剌はつらつとした様子の鵜住居さんは、奥の二人がけの席で手を大きくブンブンと降っている。

 少しだけ恥ずかしくもあるけれど、僕も遠慮がちに手を振り返しながら、彼女の方へ近づいていく。

 なんだかちょっとカップルみたいだななんて思って、僕はほんの僅かにニヤケてしてしまう。


「あ、ヒナくん。今、なんかやらしいこと考えてるでしょ。顔、めちゃきもだよ。知り合いじゃなかったら通報してるね。うん」

「や、やらしいことなんて考えてないよ! 開口一番、ほんとに失礼だな君って人は」

「えへへ。声が大きいよヒナくん。お店の中なんだから、静かにしなきゃ」


 僕をからかうのが何よりも好きな鵜住居さんは、エルフみたいに整った容姿を笑わせて、僕の方に見やすいようにメニューを差し出してくる。

 というかこの人、なんで僕がカップルみたいだなんていう、いかがわしいこと考えてたことわかったのかな。

 図星すぎて変な汗が止まらない。

 僕は意識して、だらしなく感情をダダ漏れにしてしまう顔を引き締める。


「ほらほら、ヒナくん。はやく注文決めてよ。私もうお腹空いちゃった」

「えぇ、そんなまだ席に座ってから一分も経ってないよ。そんなにせっかちだと、大事なものを見落としちゃうよ」

「たとえば?」

「え? それは、ほら、実はここお店のセットメニューは、フライドポテトを五十円プラスでオニオンリングに変えられることとか」

「わっ! ほんとだ! 全然気づかなかった! さすがヒナくん。頭の中にはわたがしとマシュマロしか入ってませんみたいな顔して、実は観察眼が鋭いんだよねえ」

「ちゃんと硬めの脳みそ入ってるよ。それにべつに観察眼とかじゃない。どっちかっていうと経験だね。僕はここのお店に何回か来たことあるから、それで知ってただけだよ」

「へえ、来たことあるんだ。一人で?」

「一人で」

「あっ」

「その察しましたみたいな憐みの顔やめて。悲しくなるから」


 うふふっ、と鵜住居さんは何も面白いことなんてないのに楽しそうに笑う。非道としか言いようがない。

 だけど実際、ここに来るのはそれなりに久し振りだ。

 入学したての頃は、好奇心で何度か通ったけれど、そのうち一人で食べるのが何だか虚しくなって来なくなってしまった。

 若干懐かしく感じるメニューを眺めながら、どれを注文しようか僕は悩む。

 基本的にはハンバーガーしかないのだけれど、そのハンバーガーが二十種類以上あるので、あっちもいいなこっちもいいなと目が移ろいでしまう。


「よし。僕も決めたよ。店員さん呼んでいいんだよね?」

「うん。ありがとー」


 すいませーん、と僕は手をすっと上げながら、もう秋真中なのにまだ半袖のアロハシャツ姿の店員に視線を送る。


「はいはーい。ご注文を承ります」

「えっと、僕はこのパイナップルバーガーのセットで」

「私はこれ! ハラペーニョバーガーセットの、オニオンリングでお願いします!」

「パイナップルバーガーセットとハラペーニョバーガーセットのオニオンリング、ですね。お飲み物はどうされますか?」

「あー、じゃあ僕はルートビアで」

「私はアップルサイダーお願いします!」

「かしこまりました。それでは少々お待ちくださーい」


 オシャレな山羊髭やぎひげの店員さんは、そのまま店の奥へと消えていく。

 この店はファストフードというよりは本格派なので、注文した品が出てくるまではしばらく時間がかかる。

 僕は暇潰しがてらに、改めて鵜住居さんの顔をじっと見つめてみる。

 どことなく、マネの有名な絵画、フォリーベルジェールのバーに描かれた女性を思わせるアンニュイさもある。

 明るい内面と裏腹に、静謐な印象を与える容姿だなと今更に思った。


「なに。あんまりじろじろ見ないでよ。鼻頭殴るよ」

「ご、ごめんって。特に理由はないよ」

「理由ないなら私の顔見るの禁止」


 しかし鵜住居さんに顔を見るのを禁止されてしまった。

 暑がりなのか、薄らと頬を紅潮させる彼女は、次来た時のためにかもう注文済みのメニューをぼんやりと眺めている。


「そういえばさ、ヒナくんってせりちゃんのところの学科だったんだね。驚いちゃった」

「あ! すっかり忘れてたけど、そうだった。鵜住居さんと鴨沢先生は知り合いなの?」


 僕にとっては心地良い沈黙だったのだけれど、鵜住居さんにとってはそうではなかったのか、唐突に話題を振ってくる。


「知り合いというか、ふつうに家族だよ。あれ? 芹ちゃんから聞いてないの?」

「は? 家族?」


 それはあまりにも予想外の返答で、僕は思わず固まってしまう。

 頻繁にメッセージをやり取りして、芹ちゃんと呼ぶような関係。

 真っ先に疑うのは姉妹だけれど、それはさすがに年齢差がありすぎる気がする。

 となると、答えは一つだ。

 それは母と娘の関係性。

 苗字がそれぞれ違うので思いつかなかったけれど、それは様々な事情があるのだろう。

 鴨沢女史も性格こそ中々に特殊なところがあっても、年齢にしてはかなり美形だ。若い頃はさぞかしお間抜けな男たちにチヤホヤされただろう。

 それにも関わらずいまだ独身ということにも、これで納得がいく。

 若気の至りで、派手なしくじりをした過去があるということだ。


「言われてみれば、鴨沢先生と鵜住居さん、似てるところあるね」

「でしょでしょ? 私と芹ちゃん、そっくりだってけっこう言われるもん。こんな簡単なことに気づかないなんて、ヒナくんは雛太郎じゃなくて鈍太郎にぶたろうだね!」


 顔もそうだし、僕に対して言葉遣いの当たりが強いところも瓜二つだ。

 屈託なく笑う鵜住居さんを眺めながら、僕は気づく。

 となると、僕はすでに一人娘を自宅に泊めたことを、母鴨沢女史に知られているということか。

 なるほど。

 この前会ったとき、やたら僕に対する扱いが乱暴だったのは、これが理由か。

 大切な愛娘に、単位もろくに取れないぼんくら大学生が手を出したと知ったら、それは腹に据えかねる思いを抱くに違いない。

 そこまで推理をして、僕はなんとなくまずい気がした。

 これはつまり、鴨沢女史に、僕と鵜住居さんがどうやって出会ったかを知られているということだ。僕は知らないのに。

 僕が鵜住居さんを家に連れ込んだことに関して、酔っていて覚えていませんなんて、チャランポランなことを口にしたその日には、本気で鴨沢女史に退学させられてしまうかもしれない。

 これは問題だ。非常に問題だ。

 一刻も早く、どうやって僕が鵜住居さんに出会ったのかという謎を解き明かす必要があるぞ。


「あ、あのさ、鵜住居さん、あの僕らが出会ったときのことなんだけど――」

「はーい! お待たせしました! パイナップルバーガーのポテトセットと、ハラペーニョバーガーのオニオンリングセットでーす!」

「わあ! 美味しそう! ありがとうございます!」


 きゃあきゃあ、という可愛らしい鵜住居さんの歓声に、切羽詰まった僕の声はかき消される。

 運命の悪意すら感じられるタイミングで運ばれてきたハンバーガーセットを、一瞬憎々しい思いで睨みつけるが、香ばしい油と肉の匂いが僕のすきっ腹をくすぐり、すぐにそんな濁った思いは霧散してしまう。


「ほら来たよヒナくん! 食べよ食べよ!」

「……うん。そうだね。食べよっか」


 僕の焦燥感はあっさりと食欲に負け、泥酔した記憶を胃の底にしまって、僕は我慢できずにトーストセサミのバンズに挟まれた厚肉にかぶりつくことにするのだった。




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