不審者には、怯えなくていい 了


 消える不審者に関する僕の推理を話してみたところ、鵜住居さんはあまり素直に納得してくれなかったみたいだ。

 僕の考えでいえば、今回の学生寮に現れたという不審者の謎は、解かなくてもいい謎だ。

 鵜住居さんのお友達である和泉ちゃんにも、バイト先の同僚でもある梟崎先輩にも特に僕の推理を知らせる必要はないと思っている。

 しかし残念ながらというべきか、鵜住居さんは僕とは違う意見だった。

 僕が述べた推理はあくまで仮説にしか過ぎず、証拠がまったくない。

 もしこれで僕の推理が間違っていた場合、学生寮を徘徊する危険な犯罪者を野放しにしてしまう可能性がある、ということで鵜住居さんは僕の推理が正しいのかどうかはっきりさせるべきだという意見だった。


 そういうわけで僕が大学構内の中庭で、一人寂しくベンチで秋風に晒されているのは、当然の如く鵜住居さんにここに呼びだされているからなのである。

 大半の学生はもう講義は終えた時間帯。

 帰路に着くコートを着込んだ人達や、サークル部活動にこれから勤しむらしきジャージ姿の男女が道を往来している。

 灰色と煉瓦色の褪せ道には、ところ狭しと落ち葉が散らかされていて、誰かが大通りの銀杏ぎんなんでも踏んできたのか、時々特徴的なすえた香りがする。

 僕は確認のためにスマホのトーク画面を開き、昨晩予めやりとりをしておいた梟崎先輩からのメッセージを確認する。

 そこに表示されていたのは、先輩が不審者に出会ったという夜の正確な日付と時間に、先輩が借りている部屋の番号。

 そして最後に先輩の自撮り写真だ。

 梟崎先輩は散々自分の容姿のことを自画自賛するくせに、自撮りのセンスはまるでなく、売れない芸人のツッコミ担当みたいな写りになってしまっている。

 もっともどんな顔なのかはこれできちんとわかるので、まったくもって問題はないのだけれど。



「おーい、ヒナくん! おまたー!」



 するとボールをバットの芯で捉えたときの快音を思わせる、すっと空に抜けていくような声が聞こえる。

 僕の名前を呼ぶ声の方に顔を向けながら、手だけを振ってそれに答える。

 ゆったりとした足取りでベンチの方へ近寄ってくる鵜住居さんは、イチョウの葉に似た真っ黄色のハイネックパーカーに、膝下の長さがよくわかる黒のスキニー姿。

 風で煽られる鮮やかな金髪を手で抑えて、僕の隣りにひょいと座った。


「答え合わせの準備はもうできてる?」

「まあね。僕はいつでもいいよ」

「ヒナくんは万年落単学生だからね。心配で仕方ないよ」

「う、うるさいな。これは必修単位じゃないから、間違ってたっていいんだよ」

「それだよ、ヒナくん。そういう考えがよくないんだよ。それにこれは必修単位だよ」

「なんだか最近似たような台詞で怒られた気がするよ。というかこれ必修単位なんだ。僕はいったい何から卒業できるんだろうね」

「うーん、私から?」

「鵜住居さんからなら、むしろ卒業したくないんだけど」

「……ヒナくん、それ、セクハラだよ」

「なんでっ!?」


 もう、本当にヒナくんはこれだから、とかなんとかブツクサ言いながら、鵜住居さんは呆れたように笑う。

 鼻頭を少し紅葉させた彼女は、僕の視線から逃げるようにそっぽを向くと、はっとしたように両手を広げた。


「あー! 和泉ちゃん来た! おーい! こっち! こっち!」


 鵜住居さんがぶんぶんと童子のように勢いよく振り回す両手の向こう側で、小柄な女子が一人小走りで駆け寄ってくるのが見えた。

 全体的に幼い顔つきで、控えめなポニーテールヘアーの少女は、大学の部活に所属しているのか“陸上部”と印字されたウインドブレーカーを羽織っている。


「ごめーん! 風音っち! 少し遅れたっす!」

「ううん! 全然オッケー! 私も今来たばっかだし」


 ぱちぃん、と勢いよく両手を合わせて謝罪の言葉を口にする黒髪の彼女こそが、どうやらくだんの和泉ちゃんらしい。

 僕たちと同じ様に、和泉ちゃんは鵜住居さんを真ん中にしてベンチに腰を下ろす。


「それで? これが噂の風音っちのヒナくんすか?」

「そそ。これが噂の、私のヒナくんだよ」

「どうも。これが噂の鵜住居さんのヒナくんです」


 心の寛大な僕は、初対面でこれ呼ばわりされても、何ら気を咎めることなく適当に自己紹介する。

 どんな噂なのかとか、どうして僕が鵜住居さんの私物みたいになっているのかとか、色々気になるところはあるけれど、どうせどれもこれも僕が知らなくてもいいことばかりだろう。


「ぬふふっ。話しに聞いてた通り、なんか面白い感じっすね。あ、この面白いって顔のことじゃないっすよ」

「いや、わかってるよ。この文脈で顔が面白いって不自然だし、何より無礼すぎるでしょ」

「それは俗にいう草ってやつっすね。顔面大草原っす」

「だから僕の顔関係ないよね? わざと? やっぱりわざとなの?」


 警戒はしていたけれど、やはりこの和泉ちゃんも結構な曲者だ。

 鵜住居さんの友人なのだから、当たり前といえばそうなのだけれども。


「ほらほら、ヒナくん。今日はそんな面白顔面トークショーをするために、部活前の和泉ちゃんをわざわざ呼びつけたわけじゃないんだよ? 早く本題に入ってよ」

「おっと、風音っち嫉妬っすか? 心配いらないっすよ。うち、彼氏持ちなんで。もしこの雛鳥系漫談師に言い寄られて押し倒されても、一瞬で背後に回ってジャーマンスープレックスかましてやるっすよ」

「そんなことしないし、対応策が過激すぎない? 親鳥系の人でも首のネジ外れちゃうよ」

「し、嫉妬なんかじゃないし! ヒナくんも馬鹿なこと言ってないで、話を進めてってば」


 ぽこり、と軽く和泉ちゃんの肩を一度叩くと、次に僕のわき腹をつんつんと突く。

 いつも僕のことをからかってばかりの鵜住居さんだけれど、意外にも同性の友人同士ではわりといじられ側に回ることも多いようだ。


「話しが進まないの僕のせいじゃなくない? まあ、いいけどさ……ごほんっ、それじゃあえっと、和泉ちゃんが九月下旬にみたっていう不審者について、幾つか聞きたいことがあるんだ」

「ちょっと待ってヒナくん? なんで私のことは苗字で呼ぶくせに、和泉ちゃんのことは下の名前で呼ぶの? 馴れ馴れしいよ。この変態」

「変態はやめて変態だけは。というか和泉って勝手に苗字だと思ってたよ。下の名前だったんだね」

「風音っち、意外に束縛系っすね。うちの名前はクオイズミ。久しいかもめ久鴎くお、平和の和に泉で和泉いずみっす」

「なら、久鴎さんで」

「ちなみにうちはヒナっちと呼ばせてもらうっす」

「お好きにどうぞ」


 というか、私のことも下の名前で呼べばいいじゃん、とかなんとかモニョモニョ言っている鵜住居さんに聞こえない振りをして、和泉ちゃんの呼び名を久鴎さんに修正する。

 それにしても和泉が苗字じゃなかったのは、わりと驚きだな。

 僕は案外、思い込みが激しく、細かいところを確認しておかない癖がある。

 きっと僕の人生の中でも、他にも何か思い込みで勘違いしていることが沢山あるのだろう。


「えーとじゃあ、気を取り直して、話を本題に戻すけど、まずは久鴎さんが彼氏さんの部屋で不審者を見たっていう日にちを教えてくれる?」

「あれはわりと衝撃的な出来事だったっすからね、けっこう覚えてるっすよ。あれは九月二十一日の深夜零時過ぎ頃、だから正しくいえば二十二日になったちょうど辺りっす」


 先に鵜住居さんから、消える不審者についての話を聞きたいと伝えられているおかげで、スムーズに情報のやりとりが行える。

 九月二十一日から二十二日に移り変わる零時過ぎ。

 それは僕が予想していた通りの日付で、隣に座る鵜住居さんは思案げな表情をしている。

 そう、その日は彼女にとっては不審者が消えた日じゃない。

 彼女の前に、僕が現れた日なんだ。


「あとはそうだな、これはちょっと個人的な情報になるかもしれないんだけど」

「下着の色なら教えないっすよ?」

「いや訊かないよ!? どう考えても関係ないでしょ!?」

「そうすか?」

「そうだよ!」


 ボケなのか本気なのか、謎に真顔の久鴎さんにペースをずらされながらも、僕は推理の補強作業を続ける。


「その日久鴎さんが寝ていた部屋、つまりは彼氏さんの部屋番号を教えて欲しいんだ」

「それくらいなら、たぶん大丈夫っすね。ヘヤバンは221っす」


 やはり、そうか。

 そこまで聞いて、僕は自らの考えの正しさを確信する。

 梟崎先輩の言葉を思い出す。あの人はこう言っていた。


 部屋を開けて、中に入ったら、違和感をかんじた、何か変だと。


 僕は最初、これは部屋の中に不審者がいることによる違和感だと思っていた。


 でも、それはきっと違う。


 梟崎先輩が抱いた違和感は、部屋の中にいた謎の人影ではなく、“部屋そのもの”に対するものだったのだ。


「久鴎さん、ちょっとスマホを見せてくれない?」

「いいっすけど、ロック画面の開き方は教えないっすよ?」

「だから訊かないって。ただ、見せてくれるだけでいいよ」

「これがうちのスマホっす」


 久鴎さんがナイロンのポケットから取り出したスマホには、彼女のはっきりとした性格を表すように真っ赤なカバーが付けられている。

 ここまでくれば、確定的だ。

 梟崎先輩はこうも言っていた。

 自分の部屋にいた人影は、片手を紅く染めていたと。


「じゃあ最後に、写真を一つ見て欲しい。この人に見覚えはない?」


 今度は僕がスマホを取り出し、用意しておいた写真を一枚久鴎さんに見せる。


「……これは! こいつっす! うちに襲い掛かろうとしてきた不審者!」


 僕が久鴎さんに見せたのは、フォトグラファーの才能を微塵も感じさせない梟崎先輩の自撮り写真だ。

 消える不審者のうち、“片方”は梟崎先輩だったのだ。

 やはりこれは、解かなくてもいい謎だった。


「誰なんすかこいつ? もう捕まったんすか?」

「この人は、大学の先輩だよ。名前は……まあべつにいいか。とにかくこの人は、久鴎さんの彼氏さんと同じ大学寮に住んでる現役大学生で、部屋の番号は222。つまりは彼氏さんのお隣さんってことだよ」

「へ? じゃあ、それって……」

「そう。久鴎さんのところに現れた不審者っていうのは、ただ部屋を間違えて入ってきた隣り部屋の住人ってことさ」


 考えてみれば、簡単なことだった。

 大学寮というところは、家具付きのところが多く、部屋の間取りはほぼ一緒。

 部屋がずらりと並んでいれば、酔っ払いなら部屋を一つくらい間違えてもおかしくはない。

 寮生なんだから、もちろんオートロックなんてなんの障壁にもならない。

 当然、梟崎先輩が自分の部屋で見たという人影は、彼氏さんの家で寝ていた久鴎さんのことだ。

 赤く染まった片手というのは、まさに警戒に赤いカバーのなされたスマホを久鴎さんが手に取ったというだけのこと。

 その五分後に帰ってきた彼氏さんが誰の姿も見ていないというのも当たり前のことだ。

 恐怖から慌てて間違えた部屋を出た梟崎先輩は、スポーツドリンクを飲んである程度目を覚まして、今度こそ本当の自分の部屋に戻ったのだから。

 

 きちんと、丁寧に、こつこつと考えるだけ。

 そうすれば、小さな謎は解きほぐれる。

 

 不審者には、怯えなくていい。

 消えるもなにも、そもそも本当の意味での不審者は、最初からどこにもいなかったのだから。


「はー、なんだ。そういうことだったんすね。うちの彼氏も、何か見間違いでもしただけだろって、まともに取り合ってくれなかったっすけど。変に騒ぎにしなくてよかったっす」

「よかったね、和泉ちゃん。もうこれで安心して彼氏の家行けるじゃん」

「そっすね。これでまた飯たかりに行けるっす」


 恋人の家に行く理由があまりにも俗物過ぎる気がしないでもないけれど、恋愛エアプの僕は何も口を挟めない。

 恋愛弱者に発言権はなかった。


「でもヒナっち。風音っちが言ってた通り、妙なところで頭が回るんすね。毎日パンケーキのことしか考えてません、みたいな顔してるのに」

「だからどんな顔だよそれは。僕ってそんなに牧歌的というか、幸せそうな顔してるの?」

「うん! してるよ!」

「してるっすね」

「してるんだ」


 これは褒められているのだろうか、それとも馬鹿にされているのだろうか。

 いつもの通り、なんとなく後者な気がしていた。


「ふぅー。じゃあ、うちのモヤモヤをヒナっちに解消させてもらったところで、そろそろ部活の時間なんでおいとまさせてもらうっす」

「おー、もうそんな時間かー。じゃあ、頑張ってね」

「あざっす。今日はなんだかいいタイムが出せる気がするっす」

「でるでる。私も今日の和泉ちゃんは、いつも以上にキレッキレな感じするもん」


 久鴎さんが握りこぶしを突き出して、それに笑いながら鵜住居さんが拳を突き返す。

 華やかな女子大生にしては、やたらと体育会系な挨拶だった。


「ヒナっちも、今日はありがとっす。すっきりしたし、何より面白かったっす」

「こちらこそどうも。僕の話に付き合ってくれてありがとう」

「また変なことがあったら、ヒナっちに相談するっす。あ、ちゃんと、風音っちを通してね」

「なにがちゃんとなのかわからないけど、手伝えることがあったら、力は貸すよ。そこまで期待されても困るけどね」


 ぬふふ、それじゃあまたっす、と言い残して、颯爽と和泉ちゃん改め久鴎さんは小走りで去って行く。

 軽やかに跳ねる足取りは、どこか宙をゆらゆらと舞う紅葉に似ていた。


「うーん、今回は怪しいんじゃないかと思ったけど、やっぱりヒナくんの推理が合ってたね」

「偶然だよ。梟崎先輩と僕が知り合いじゃなくて、偶然久鴎さんの彼氏の人と隣り部屋じゃなかったら解けなかった」


 考えてみれば、案外世間は狭いものだ。

 意外なところで、意外なものと人が繋がっている。

 この推理は梟崎先輩には話していないけれど、あの人にとっては知らなくていい推理かな。

 かっこつけなところある先輩のことだ、自分が間違えて隣り部屋に入ったなんてかっこ悪い真実は、べつに知りたくないだろう。


「偶然、か。和泉ちゃんがその先輩さんと出会った日に、私とヒナくんも出会ったんだもんね。そう思うと、偶然より、もっと相応しい言葉がある気がしない?」

「もっと相応しい言葉?」


 憂いを帯びた、どこか定まりのない視線。

 鵜住居さんの唐紅の瞳が、秋と冬の境目のように曖昧に揺れる。

 気づけば僕と彼女しか座っていない中庭のベンチ。

 酔っているわけじゃないのに、僕は仄かに身体が熱に疼くのを感じる。



「そうだよ、ヒナくん。これはきっと、“運命”って、呼ぶべきだよ」



 運命、それは僕の胸の内側をトクンと波打たたせる。

 二人の間に優しい風が通り抜ける。

 空の色に、僅かに朱が差し込む。


 笑みを消した鵜住居さんが今、何を考えているのか、それは僕にはわからない。


 それが解くべき謎なのか、解かなくてもいい謎なのか、今の僕には答えを出せなかったのだった。





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