落とし物は、見つからなくていい⑤
どうやら話を聞くところによると、小学生の二人組兄妹で、お兄ちゃんの方がショーヤくんで、妹ちゃんの方がアユちゃんというらしい。
学校に着いた後、アユちゃんが通学路の途中で落とし物をしたことに気づき、帰り道に兄のショーヤくんに付き合って貰いながら、一緒に落とし物を探しているということみたいだ。
「それで、アユちゃんはなにを落としちゃったの? お姉さんに教えてくれる?」
「……」
「おい、アユ。せっかくお姉さんたちがてつだってくれるっていってるんだから、おまえからもおねがいしなきゃだめだろ」
「うるさい。ばかにい。こえでかい」
「は? なんだとこら。せっかく――」
「わかったわかった。喧嘩しないで。アユちゃんは人見知りなんだね? わかるよ。わかるわかるぅ。私もけっこう人見知りだからね。その気持ちはよくわかるよ」
絶対嘘だ。
人見知りの人間は、どんな理由があろうと初対面の男の家に泊ったりしないし、勝手に連絡先を交換して、いきなり自分の家に誘ったりしない。
「じゃあ、とりあえず、ショーヤくんが教えて。アユちゃんはなにを落としたの?」
「ごめんなさい、お姉さん。こいつ、めんどくさい性格してるんだ」
「それもよくわかる。とってもよくわかるよぉ。でも大丈夫。初対面の女の子の前で、外でいきなり靴と服を脱ぎ出すような変人よりはましだよ」
「ちょっと待った! 服は脱いでないって言ってたじゃないか!」
「あんた。そんなことしてるのか? おれしってるぜ。あんたみたいな人のこと、ヘンタイっていうんだろ?」
「だから服は脱いでないってば!」
「靴を脱ぐのも中々だと思うけどね」
くすくすと、
いったいどうして僕は靴なんか脱いだんだろう。
というか僕の左足の靴はどこに行ってしまったのか。
ある意味、僕も落とし物をしたままだ。
「それでまあ、変態のお兄さんはとりあえず置いといて」
「え? 僕のこと変態で置いておくの? 小学生相手にその置いておき方はまずくない? この子たちがあとで親御さんに僕のこと説明する時、大変なことになるじゃないか」
「……置いといて。アユちゃんは何を落としたの?」
「お守り。いつもランドセルにくっついている。赤いお守り。おれがまえ、アユにプレゼントしたんだ」
「なるほどね。お守りかぁー。あんまり高価なものじゃなさそうだし、交番とかにも届けられているか微妙なとこだねぇ」
置いてかれた僕は、助けを求めるようにアユちゃんに向かって、僕は変態じゃないよ、本当だよ、変態なんかじゃあ断じてないよ僕は、と懇願する。
アユちゃんは心底嫌そうな顔で僕を一瞥すると、無言でちょっと後ずさりした。
完全に僕は変態だった。
「実は家に置いてきたりはしてないの?」
「それはないとおもう。アユはいつもランドセルにくっつけてるし、こいつも家をでる前にはちゃんとあったっていってる」
「なるほどね。ちなみにお家は遠いの?」
「ううん。すぐちかく。あそこにあるのがおれらの学校で、あっちにみえるのがおれらん家」
「へー、ほんとに近いね。徒歩十分もかからないくらいか。ってことは通学路はこの一本道。でも見つからないの?」
「うん。見つからない」
ふむふむ、と鵜住居さんは難しそうな顔で考え込む。
街路樹が一定間隔で植えられているとはいえ、ここは普通の街中だ。
深い茂みなどがあるわけじゃない。
それに付け加え、そこまで家から小学校まで距離があるわけでもない。
数十分真面目に探せば、たしかに落とし物の一つや二つくらい見つかりそうなものだ。
鵜住居さんも僕と同意見なのか、やみくもに探し始めようとはせず、何か有効な策はないか考えているようで、まだ動き出そうとはしていない。
「……アユ、いっかい学校に戻ってみる」
「は? なんでだよ。学校にいくとちゅうで落としたっていってただろ」
「うるさい。ばかにい」
「お、おいまてって」
するとこれまで黙りこくっていたアユちゃんが、いきなり学校の方へ歩き去って行ってしまった。
たしかに学校に着いて、教室に辿り着く前に落とし物をした可能性もある。
でも望みは薄いように僕は思う。
なぜならば、もし校内で落とし物をしたならば、それこそ先生が生徒が拾って、今頃はもうアユちゃんの手元に戻ってきているはずだからだ。
「まったく。なんなんだよあいつ。こっちにくる前は、もうちょっと可愛げのある妹だったのにな」
「こっちに来る前? ショーヤくんとアユちゃんは地元の子じゃないの?」
「ううん、違うよ。今月のあたまに引っ越してきたんだ」
「へー! そうなんだ。奇遇だね。お姉さんも、引っ越してきたんだよ!」
「そうなの? おんなじだね」
「うんうん。同じ同じ」
今月引っ越してきたということは、彼らは転校したてなのか。
アユちゃんが落とし物探しを、友達じゃなくて兄のショーヤくんに頼ったのは、そういったところも影響しているのかもしれない。
「引っ越す前はいっしょのへやで寝てて、あいついっつもおれにくっついて寝てたんだぜ?」
「えー、可愛いじゃん! 私は一人っ子だから、そういうの憧れるなぁー」
「なんもよくないよ。暑いだけだし」
小学生らしく照れているのか、ショーヤくんは耳を赤くしてそっぽを向く。
僕は男兄弟しかいないので、少しだけ羨ましく思ったりもする。
いいなぁ、妹。僕も妹欲しい。
おっと、今のはちょっとだけ変態ぽかったかな。
「ショーヤくんとアユちゃんは何歳違いなの?」
「ふたつちがい! おれがごねんせいで、アユがさんねんせい」
「そうなんだ。アユちゃん、三年生にしては落ち着ているというか、しっかりしてそうだね」
「まあな。あいつ、べんきょうがとくいなんだ。テストもいっつも百点だし」
「頭いいんだね! アユちゃん!」
「べつに、たいしたことねぇって」
自分では大したことないとか言いながら、妹を褒められたショーヤくんは満更でもなさそうだ。
なんだかんだ、仲の良い兄妹らしい。
「でも、あいつ、さいきん、ちょっと抜けてんだよな」
「抜けてる? どういう意味?」
「今日もさ、落とし物したろ? でも、落とし物するの、今月だけでもう三回目なんだぜ? 前は帽子、その前はヘアゴム、そんで今回はお守り。まったく、そのたびに毎回おれが落とし物さがしを手伝ってるんだ。こまっちゃうよな」
「今月だけで三回目? ふーん……」
ショーヤくんの言葉に、何か思い当たることがあるのか、鵜住居さんは口を噤んで目を伏せる。
だけれど、たしかにこれはちょっと奇妙に僕も思う。
まだ少ししか喋っていないというか、ほぼコミュニケーションは取ってないけれど、話を聞く限りアユちゃんはどちらかといえばしっかり者タイプの子だ。
成績優秀で、シャイな性格。
頻繁に忘れ物や、失くし物をするうっかりさんには思えない。
どうして、このそこまで長くない通学路で、そんなに何度も落とし物をしてしまうのか。
「ねえ、ショーヤくん。その落とし物。いつもちゃんと見つかってるの?」
「え? まあ、うん。最後はなんやかんやで見つかるんだ。結局いつも、だいたいおれじゃなくてアユが見つけてくるんだけど……あ、アユ」
なぜか妙に真剣な顔で、腰を屈めてショーヤくんに鵜住居さんが向き合ったところで、小さな足音が聞こえてくる。
やはり兄ということか、目ざとく真っ先に振りかえったショーヤくんが手を振る。
そこには小さな歩幅で歩いてくるアユちゃんの姿があった。
表情はどこか不機嫌そう、というよりは気まずそうで、右手には赤い何かが握られているのがわかる。
ショーヤくんが小走りで迎えると、アユちゃんは目を誰にも合わせないようにして、ゆっくりと掌をひらいた。
「……お守り、見つかった」
「お! よかったな! どこにあったんだ!」
「……学校」
「学校のどこだよ?」
「いいでしょ、そんなの、どこでも」
「うん? ま、まあ、見つかったならいいか。ほら、お姉さんたちにもありがとう言えって」
「……この人たち、なにかした?」
「おい、アユ!」
「わかったって……お姉さん、お兄さん、ごめいわくをおかけしました。ありがとうございます」
「う、うん。全然いいよー。落とし物が見つかったなら、よかったよ」
噂に違わず、小学校三年生にしてはできた言葉遣いで、アユちゃんは僕と鵜住居さんに頭を下げる。
まさか、本当に学校に落とし物があるとは。
僕の見当違いだったのだろうか。
でも本当によかった。お兄さんから貰った大切なプレゼントだ。
アユちゃんも絶対に失くしたくはなかったはず。
僕も愛する弟から貰った万年筆を失くした人には、それこそ発狂して半裸でブリッジをしてしまうところだ。
「じゃあ、おれたち、家にかえるね。ほんとに、ありがとう、やさしいお姉さん、ヘンタイのお兄さん」
「うん。ばいばーい。気をつけて帰るんだよー」
「だから僕は変態じゃないぞ。妹欲しいなあ、なんて思ってない。僕にはちゃんと弟がいるんだ」
「ヒナくん、うるさい」
「はい、ごめんなさい」
怒られた。
小学生の目の前で怒られるのは、実に恥ずかしい。
「あはは、ふたりもきょうだいみたいだな。そっちのおとうとより、おれの妹のほうが何万倍も頭いいぞ」
「うふふ。それはそうだね」
「ちょっと待った。なんで僕がナチュラルに下の姉弟になってるの?」
まるで僕ができの悪い弟みたいな扱いを鵜住居さんはしてくる。
しいて言うならば、僕が兄で鵜住居さんが妹のはずだ。
僕と鵜住居さんは同学年だけど、僕の方が上だ、性格的に。あと僕は一浪してるし。まあそれは誇れることではないけど。
「ヘンタイのお兄さーん、やさしいお姉さんにめいわくかけるなよー」
「迷惑なんて、かけないよ。僕はこう見えて、結構まめな性格なんだ。かけるとしたら、彼女の方だよ」
「うふふ。もう変態の方は否定しないんだね。まったくヒナくんは本当に面白いなぁ」
僕と鵜住居さんのやりとりがお気に召したのか、ショーヤくんはぐふぐふと笑いながらアユちゃんの手を取って家に帰っていった。
アユちゃんの方は全然笑ってなくて、むしろ呆れたような表情で僕を見つめていて、心底恥ずかしかった。
何にしても、落とし物が見つかったことは本当に良かった。
僕は仲良く手を繋いで帰る兄妹を見送りながら、ちょっと幸せな気分になった。
「……もう落とし物、しないといいね」
でも、隣りに立つ鵜住居さんは、どうしてか悲しそうな顔をしている。
僕にはその理由がわからない。それは小さな謎だった。
そして手を当然のように繋ぐことなく、彼らとは反対方向に一人歩きだす鵜住居さんに、僕は黙って着いていくことしかできなかったのだった。
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