落とし物は、見つからなくていい④


 寝ども寝ども寝足りない。

 成長期なんてものはとっくに過ぎ、身長はここ数年の間プラスマイナス五ミリメートル以内の誤差に収まっている。


 時刻はもう夕方に差し掛かる頃。

 朝の十時までたっぷり眠った後、僕は昼食のうどんを食べ、そしてまた惰眠を貪り今現在に至るというところだ。

 靴を片方失くしたり、初対面の女性を知らない間に家に連れ込んでしまったりと、大騒ぎだった昨日と比べれば、なんと平穏なことだろう。

 僕はわりかし好奇心の旺盛な方ではあるけれど、これまた案外こういった退屈な日常も好んでいた。


 夕飯の準備を始めるにはまだ少し早い。

 もっとも準備といっても、今僕の家の冷蔵庫の中にあるのは卵だけなので、つくるとしても温玉入りうどん。

 必要な工程は茹でるだけだ。時間は余りに余っていた。


 やることもないし、提出期限まで一週間を切っているのに、まだ内容の確認すらしていない課題に手でも出そうかと、やっとこさベッドから身体を持ち上げる。

 なんとなく耳が寂しいので、音楽でも聞こうと携帯電話を触り、そこで友達の少ない僕にしては珍しくメッセージが届いていることに気づく。


《今日の夜、私の家に来て! どうせ暇でしょ!》


 メッセージの贈り主は、“かざね”と平仮名で表記されている。

 どうやら昨日の今日にも関わらず、もう鵜住居うのすまいさんからのコンタクトが来てしまったようだ。

 正直にいって、僕はいまだにあの派手な髪色をした美少女との距離感を計りかねていた。


 というよりぶっちゃけ、あなた誰ですか、って感じだ。


 名前と顔は知っているけれど、それ以外は何もしらない。

 そもそもあの人、僕の年下なのか年上なのかすら定かじゃない。


《すいません。鵜住居さんのお家がどこなのかわかりませんし、靴も片方ないです》


 僕は遠回しにお断りの意志を伝える。

 たしかに同年代の女性から、自宅に誘われるなんて、貴重というより奇跡に近い出来事だ。

 しかし、僕はそれ以上に怖かったのだ。

 どうして僕を家に誘うのか、まったくもってわからない。


 鵜住居風音、彼女はいったい何を企んでいるのか。

 僕をどうしてやりたいのか。まったくもって意図が掴めない。

 本音を言うならば、昨日のことは全て夢だったということにして、僕はなるべくもう鵜住居さんとは関わりを持ちたくなかったのだった。


《じゃあ私がヒナくんを迎えに行くね! 靴も持ってく!》


 嘘だろ。

 わざとか。わざとなのか。

 この人僕にプレッシャーをかける遊びでもしているのか。

 一瞬で返ってくる返信の文面に、僕は冷や汗をかく。

 想像以上に鵜住居さんは強敵だった。


 僕は諦観に短く、わかりました、とだけ返事を送る。

 まったく覚えはないけれど、おそらく元を辿れば僕が招いたことだ、大人しく受け入れよう。

 いそいそと服を着替えながら、僕は素直に認めることにする。

 鵜住居さんの言う通り、たしかに僕は暇なのだ。







「おはよう、ヒナくん! 昨日はよく眠れたかな!」

「……おはようございます、鵜住居さん。おかげさまでよく寝れました」


 おはようと言うよりはおそようと言うべき時間帯にも関わらず、鵜住居さんは散歩に行く直前の子犬みたいに溌剌はつらつとしていた。

 灰色のアンクルパンツに、紺のシャツ姿の鵜住居さん。

 昨日は気づかなかったけれど、案外彼女は背が高いみたいだ。僕と五センチも差はないかもしれない。


「はいこれ、サンダル。貸してあげるよ」

「わざわざ、ありがとうございます」

「うん。一日五千円でいいよ!」

「え!? お金とるんですか。しかもめちゃくちゃ高い」

「えへへ。お金のくだりは冗談だよ」


 なんて悪戯な子。くったくのない笑顔に免じて、でも僕は全部許す。


「それじゃあ、はやくいこいこ」

「わ、わかりましたから、押さないでくださいよ」

「ほらほら、このヒナくんのノロマ。はやく履いて履いて」


 なぜか急かしてくる鵜住居さんに促され、僕はポコポコと穴の空いたシューズ型のサンダルを履くと、財布と携帯だけ持ってとりあえず外に出る。

 どうやらこれから、本当に鵜住居さんの家にご招待されるらしい。

 いまだに謎が多く、絡み方がいまいちわからないし、地味に口の悪い鵜住居さんだが、彼女の容姿は僕が隣りに歩くには不釣り合いな程度には整っている。

 普通に緊張してきて、清涼な秋だというのに足裏が汗でぬめり出す。


 最低限の荷物しか持ってないけど、大丈夫だよね? 

 べつに、お泊りとかにはならないよね?


 余計な心配をしながら、この二日間で初めてアパートの外にでる。

 夏の気配はもう遠く、爽やかな秋風がひゅいひゅいと、気持ちよく僕の頬をくすぐった。


「そういえばヒナくんも一人暮らしなんだね。ということは、地元の人じゃない?」

「僕は神奈川の生まれです。一人暮らしは大学に入って初めてですかね」

「へー、神奈川か。お隣さんじゃん」

「お隣さん?」

「そそ。私は元々は東京だから」


 なんということだ。鵜住居さんはシティーガールとやらだったのか。

 言われてみれば、綺麗な標準語な気がしないでもない。


「てかさ、なんでヒナくん、私に敬語なの? タメでしょ?」

「え、そうなんですか?」

「でたでた。そういえば何にも覚えてないんだっけ。ほんとゴミポンコツ呑兵衛のんべえだなぁ、ヒナくんは」


 やれやれ、と言わんばかりに鵜住居さんは首を横に何度も何度も執拗に振る。

 とても憎たらしいが、僕に言い返すことはできない。

 なぜなら僕は、たしかにゴミポンコツ呑兵衛だからだ。


「大二でしょ、ヒナくん。私も同学年だよ。通ってる大学も一緒だし」

「あ、そうなんですね。すいません、覚えてなくて」

「それはいいけど、敬語、やめてってばー。心の距離ぐいんぐいんに感じるじゃん」

「わ、わかったよ」

「よくできました」


 馬鹿にされているのだろうか。たぶんされてる気がする。

 だいたい鵜住居さん視点の心の距離が、無駄に近いんだと思う。

 記憶があるとは言っても、昨日が彼女にとっても僕との初顔合わせのはずなのに、なんでこんなにフレンドリーなんだ。

 都会の女はみんな冷たいと聞いていたけれど、どうやらそれは嘘だったらしい。

 それに鵜住居さんは僕の学年を知っているみたいだけれど、どこまで知ってるのだろう。

 僕が一浪してることも知ってるのかな。


「それで鵜住居さん、今日は何の用なの?」

「うん? 言ってなかったっけ? それはね――ってあれ?」


 同い年かどうかはまだわからないが、とりあえず鵜住居さんが僕と同じ大学の同級生だとわかったところで、僕はやっと本題に入ろうとする。

 すなわち、僕はいったい何のために、鵜住居さんのお宅にお邪魔するのかということだ。


「あの子たち、私がヒナくんの家に行く時もあそこにいたなあ。なにしてるんだろ」


 しかし、僕の問い掛けを宙ぶらりんにしたまま、鵜住居さんは道脇にいる二人の子供たちに興味を移してしまう。

 困ったように頭をかく男の子と、どこか拗ねたような顔つきの女の子。

 二人ともランドセルを背負っていることから、小学生であろうことが予測できる。


「ね、ね、どうしたの? なにか困りごと?」


 すると驚くべきことに、鵜住居さんは迷わずその二人に話しかけに行ってしまった。

 僕では到底真似できないことだ。

 面識のない小学生に話しかけるなんて、若い女性の特権だろう。

 僕が同じことをしたら、下手をしたら通報されてしまう。

 とにもかくにも現代社会は世知辛い。


「え? あ、あー、じつは、おれの妹が落とし物をしちゃったんだ。それをさがしてる」

「落とし物か。なるほどね。見つからないの?」

「見つからない。このあたりだっていうんだけど」


 男の子の方が鵜住居さんの呼び掛けに答えてくれる。

 その男の子の妹さんの方は、警戒しているのか、鵜住居さんのことを睨みつけるようにしていた。

 僕の家に来る途中にも、この二人を鵜住居さんは一度見かけたという。

 どうやら落とし物を探していたとのことだ。


「よし、わかった。じゃあ、お姉さんたちが落とし物探しを手伝ってあげよう!」

「え、いいの!」

「もちろんだよ! 私たちに任せなさい!」


 どんと、勢いとは裏腹に薄っぺらな胸を張る鵜住居さん。

 なんとなく、お姉さんたちとか、私たちとか、あたかも僕も巻き込まれているような気がしなくもないけれど、きっと聞き間違いだろう。


「こらヒナくん、何をぼけっとしてるの。未来ある若者を手助けするのは、国民の義務だよ」


 どうやら残念ながら、僕の耳は正常に鼓膜を震わせていたみたいだ。

 というか僕だってどちらかというと、未来ある若者側に属してると思うんだけどな。


 ……え? 僕にも未来、ちゃんとあるよね?





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