恋文の返事は、書かなくていい 了



「鴨沢先生、ラブレターを書いたことがあるって本当ですか?」


 知恵もなければ、度胸もない。

 そんなに僕に許された手は、当然のようにアルコールの類を利用した搦手しかない。

 今晩の夕飯処となる個室の座敷で、僕は初手から浴びるようにビールを喉に流し込み、にへらにへらと頭の悪そうな表情を隠さずに鴨沢女史の空いたグラスに酒を注ぎ続けた。

 全てはこの一瞬のため。

 今ならば酒の席ということで無礼講で全ての非礼が許されるはずだと、僕は確信していた。


「さすがヒナさん。まさかの強行正面突破だ。あの風音さんを落としただけある。結局最後はその素直さが決め手となるわけか」

「ちょ、ちょっと夕ちゃん!? どこの風音さんが落とされてるのかな!?」

「やるねぇ。雛太郎くん。うん。案外それが最善手かもしれないな。いやあ。これはいい肴になるよ。酒が美味い美味い」


 夕鳳ちゃんが感心したように、睫毛の長い猫目を見開きながら、林檎ジュースを舐めている。

 なぜか飛び火してしまった鵜住居さんは困惑に顔を赤く染めて、暑そうに手で扇ぎながら烏龍茶で体を冷やしている。

 鷹也さんは鷹也さんでお猪口を片手に、六歌仙という銘柄の日本酒に舌鼓を打つばかり。

 そして肝心の鴨沢女史とはいうと、僕の方を一瞥するとたっぷり時間をかけてビールのグラスを空っぽにして、無言で顎をしゃくる。

 初めて知ったけれど、この准教授はとてもお酒に強いらしい。

 自らの指導教員の意図を汲んだ僕は、アルコールとは別の意味で震える手でお酒も汲んでおく。

 酔って誤魔化そうと思った僕の計画は、すでに破綻していた。


「……ああ、あるぞ。それがどうした?」

「ひぇやあっ!? し、信じられないっ!? 鴨沢先生! どうしてその若い頃の情熱を失ってしまったんですか!? やっぱり雪国だからですか!? それとも日本海がよくないんですか!?」

「ばか添木。東北以北全域と日本海沿岸全てに謝罪文を送っておけ」


 あれほどビールを無限に飲み続けているのに、顔色一つ変えない鴨沢女史はいつも通りの呆れた表情を見せるだけ。

 信じられない。

 どうやら大森親子が言っていた噂は本当だったらしい。

 最も、鵜住居さんも聞き覚えがあると言っていたことだし、今更疑っていたわけではないのだけれど、それでも鴨沢女史本人から聞くと驚きが大きい。

  

「ち、ちなみに、そのラブレターを見ることって、できたりします?」

「ああ、いいぞ」

「いやあああっ!?!? いいんですか!?」

「どういう意味の悲鳴なんだ。質の悪い酒を飲むよりお前と喋っている方がよっぽど悪酔いするよ」


 更には自らがしたためたラブレターを僕に見せることに抵抗がないらしい。

 信じられないを通り過ぎて、これは実はスノボ中に事故に遭い、実は意識不明の中で夢を見ているのではないかと疑ってしまうほどだ。

 次の瞬間には僕の足元に花束が届けられていて、遠くからアライグマに見つめられていてもおかしくはない。


「それに別に私の意思関係なく、見ようと思えば誰でもいつでも見れる状態だからな」

「え? どういう意味ですか?」


 鴨沢女史は僕の退屈で平べったい顔面から興味を失ったのか、スマホを取り出すと何やらペタペタと操作をしだす。

 鵜住居さんの推理通り、全ての顛末を知っているのか、僕に頼み事をしてきた張本人のくせに夕鳳ちゃんは特に驚きもせずに微笑ましそうにこちらを眺めるだけ。

 そして鴨沢女史は、彼女にしては珍しく僅かに自慢げな表情で僕に長方形の電子画面を見せてくる。


「“恋文の返事は、書かなくていい”。この作品に私の書いたラブレターが載っている」

「作品?」


 グーグルの検索画面には、“恋文の返事は、書かなくていい”と記されている。

 どうやら見る限り、恋愛系の短編映画のようだ。

 クリックして概要を確認してみると、そこに見慣れた一つの姓と名が目に入り驚愕する。


 “脚本:鵜住居芹”。


 空いた口が塞がらないとはまさにこの事。

 理解が追いつかないのは、僕の脳味噌のスペック不足か、あるいは飲み過ぎが原因か定かではない。


「この鵜住居芹っていうのは……」

「もちろん私のことだ。趣味兼副業として脚本家も私はやっているんだよ」

「す、すごい! まじなのですか!?」

「驚きすぎて変な敬語になってるぞあほ添木」


 そうは言いつつも、満更ではない様子の鴨沢女史を見て、どうやらそれが冗談の類ではないことを知る。

 この人、性格が残念すぎることを除けば、中々お目にかかれないほど優秀な人なのではなかろうか。


「この作品は、私が中学生の頃に書き上げた脚本をもとに改稿したものを映画化してもらったものだ。学生の頃は、演劇部に属していてね。部員数が少なかったから、脚本から演者まで全てやる必要があったのさ」


 つまりは、こういうことだ。

 大森親子が言っている、鴨沢女史が書いたラブレターというのは、あくまで脚本上の創作のこと。

 だからこの話題を出しても、鴨沢女史が不機嫌になることは基本的にない。

 なぜなら彼女の昔からの努力や才覚の証明になる、どちらかといえば自慢話に属するから。

 それでいて、確かに理性的で冷たいイメージが強い故に、いい意味で意外な一面でもある。

 恋愛物の脚本を書き上げることができるほどの情熱を、彼女は秘めているということなのだから。


「へー! そうだったんだ! 芹ちゃんが脚本家もやってるのは知ってたけど、中学生の頃からの趣味だったのは知らなかった」

「まあ自分から口を大にして言うようなことでもないからな。こう言うのは、他人から請われて、やれやれと言った雰囲気でやっと教えるのが一番気分がいいんだ」

「気分がいいって自分で言ってる!」


 変に謙遜することなく、自らの成果物を語る鴨沢女史は確かに少し見ていて気分がいい。

 鵜住居さんも夕鳳ちゃんも、尊敬の眼差しで鴨沢女史を見つめている。

 准教授で脚本家。

 確かに独身で毒舌家なことを除けば、自慢の親戚かもしれない。


「おい添木。今、変なことを考えなかったか? ビールと日本酒、どっちがいい? 殴られるなら」

「ドリンクメニューから凶器を選ぼうするのやめてください」


 焼酎もあるぞ? と鴨沢女史がなぜか真顔で問答を続けるので、僕はあははと乾いた笑いで全てを誤魔化しておく。

 何はともあれ、これで全ての謎が解き明かされた。

 今晩は獏に挨拶する暇もないほどよく眠れそうだ。


「何はともあれ、これで一件落着だね。謎は全て解けた」

「おめでとう、ヒナくん。年が明けても、雛鳥系名探偵は変わらないね」

「いつになったら、成鳥できるんだろうね。ちなみに、今のは成長とかけてます」

「うるさ。名探偵の名は、迷の方に変えておくよ」

 

 くすくすと鵜住居さんは、僕のつまらない戯言に笑ってくれる。

 そんな見事にハッピーエンドの大団円を迎えた僕の方を、しかし夕鳳ちゃんが少し訝しむように視線を送っていた。


「なんだい? 夕鳳ちゃん? 僕のこと撫でたくなった?」

「それは通報するとして、ヒナさん、まだ謎が一つ残っているんじゃないかい?」

「さりげなく通報しないでください。お願いします。大変申し訳ありませんでした」

「蔵王三不思議の三つ目の謎は解けたのかい? ヒナさんの担当でしょう?」


 僕のくだらない冗談に笑ってくれない夕鳳ちゃんが、通報をしないでくれるのかは大きな謎だった。

 知る人ぞ知る、知らなくてもいい、蔵王三不思議。

 そういえばもう僕の中では解決済みで、鴨沢女史タブレター事件の存在があまりに大きすぎて、すっかり忘れていた。

 

「ああ、夕鳳ちゃんにはまだ答えを教えてなかったね。まあ教えてなかったというか、教えて貰いに行くように言ってなかったというか」

「ふむ? 今一まだ要領を得ないけれど、その口振りだと三つ目の謎はすでに解けているのかい?」

「うん。そうだよー。ヒナくん、こういうのはやっぱり得意なんだよね。私はもう教えてもらったよ。この夕飯前に答え合わせまで済ませてきた」

「つまりは、そういうことさ。ちなみに鵜住居さんと夕鳳ちゃんが解いた一つ目と二つ目の謎は正解だってさ」

「答え合わせ?」


 いつもはなんでもお見通しみたいな顔をしている夕鳳ちゃんが、あからさまに悩みに目を細くしているのを見ると、確かに若干気分の良いものがある。

 なんて割と本気で変態的気配のする思考をしていると、犯罪の匂いを感じ取ったのか、鵜住居さんが脇を肘で小突いてくる。

 ごほんっ、と咳払いをして、僕は最後の答え合わせをすることにする。


「まず考えるべきは、どうしてこの蔵王三不思議という冊子が部屋に置いてあるか、だよ。目的は何か、まずここを考える必要がある」

「目的。謎を解くこと以外に、という意味で?」

「厳密にいえば、どうして謎を解いて欲しいのか、だね。ここは宿だ。そんな大層な理由はない。シンプルなものだよ」

「なんだろう? 宿に他に時々クロスワードパズルとか置いてあるところもあるし、暇潰しのようなもの?」

「まさに、それだよ、夕鳳ちゃん。宿が謎々が書いてある冊子を置く理由なんて、一つしかない。暇つぶし。言い方をもっと優しいものにすれば、楽しんで欲しいんだ。そしてさらに一歩踏み込んで言えば、お客んさんの、笑顔が見たいってことだよ」


 まだ僕の説明が足りないのか、夕鳳ちゃんは難しい表情を崩さない。

 謎々は、楽しいものだ。

 お客さんを楽しませたい、そんな純粋な願い。

 三つ目の謎は、ただの答え合わせ。

 僕が結局最後は鴨沢女史に直接聞いたように、変に頭をこねくり回さず、真正面からぶつかるのが正解なこともある。

 だってその笑顔が、直接見たいから。


「三つ目の謎が空白なのは、からなんだよ。三つ目の謎は、解かなくてもいい。これはただ、宿がお客さんとのコミュニケーションを取るきっかけになればいいと思って作られただけだから」


 つまりは、こういうことだ。

 蔵王三不思議は、元々はお客さんを少しでも楽しませるために書かれたもの。

 でも、ただ三つの謎を並べるだけじゃ、感想も聞けないし、答え合わせもできないし、お客さんの反応が見えない。

 だから、三つ目は空白にすることにした。

 そうすれば、宿の客の間に話のネタができて、交流に自然とつながる。

 お客さんの笑顔を、直接見ることができるのだ。


 きちんと、丁寧に、こつこつと考えるだけ。

 そうすれば、小さな謎は解きほぐれる。


 三つ目の謎は、解けなくてもいい。

 蔵王三不思議を通して、お客さんとのコミュニケーションが取れれば、それでいいのだから。


「……なるほどね。その発想はなかった。完敗だよ。ヒナさん。お礼に鵜住居家に婿入りする権利を、ヒナさんにもあげよう」

「ちょっと夕ちゃん!? 勝手に添木家を捨てさせちゃだめだよ!」


 謎に添木家の肩を持つ鵜住居さん。

 言われてみれば、鵜住居家って言い方を結構聞いたし、母方の姓名なのだろうか。

 

「そうと分かれば、あたしも受付に行ってくるよ。それで初めて、答え合わせなのだろうからね」

「よいしょっと。ならぼくも夕鳳について行こうかな。ぼくも答え合わせしなきゃ。この謎を書いた人にも興味あるし」


 僕の推理を聞いた大森親子は、二人揃って食事中にも関わらず腰を上げる。

 いつもはおっとりとした印象なのに、こういう時は二人揃って動きが早いのも血筋なのだろうか。


「私も少し出てくる。添木、酒を注文しておけ。持ちやすいやつで頼む」

「どういう注文ですか? お酒を武器として見るのやめてくださいよ」


 危険すぎる発言を残して、鴨沢女史も一度席を立つ。

 少し出るというが、行き先がどこなのかはわからない。

 それは大きな謎だった。


「……なんか急に静かになったね」

「……まあ、新年だし。本当はこれくらい静かなもんだよ」


 いきなり二人きりになってしまった僕と鵜住居さんは、自然と目が合うとすぐに逸らす。

 窓の外に降り続ける、白い雪。

 もうほとんど残っていないグラスを傾け、僕は言葉を発さない言い訳をつくる。

 

「進路とか、考えてる?」

「新年早々、夢のないことを言わないでよ」


 なにそれ、と鵜住居さんは笑う。

 今僕は大学二年生。

 つまり春になれば、もう大学三年生だ。

 単位を落とさなければの話だが、そう考えたらもう来年は就活をしているということになる。


「鵜住居さんは?」

「私はさ、海外行こうかなって、ちょっと思ってる」

「本当に?」


 海外。

 そういえば、元々留学か何かをしていたと言っていた気がしなくもない。

 鵜住居さんは、凄い人だ。

 こんな優秀な彼女が、僕の隣にいるのは当たり前じゃない。

 来年にはもう、蔵王山を超えて、大陸から離れて、太平洋の向こう側にいるかもしれない。

 目の前にあるこの幸せを、当たり前だと思ってはいけない。


「まあまだ、迷ってるけどね」


 初夢よりも儚い鵜住居さんの横顔を、僕は見つめる。

 視線に気づいた彼女は、なんだよ、と唇を少し尖らせて頬を赤くする。


「もし私が恋文ラブレター書いても、返事は書かないで欲しいな」

「どうして?」

「だってやっぱり、返事は直接言って欲しいじゃん」

「自分は手紙書いてるのに?」

「嘘と恥じらいは乙女の専売特許だからいいの」


 恋文の返事は、書かなくていい、と鵜住居さんは言う。

 直接真っ直ぐ、返事は届けて欲しいから。

 贅沢な望みだと思わなくもなかったが、彼女からラブレターを貰うことの方がよっぽど贅沢な気もしていた。

 

「書く予定、あるの?」

「さて、どうでしょう?」


 悪戯気に鵜住居さんは、笑う。

 これが解かなくてもいい謎なのか、それはわからない。


 だから僕はきっとこの先も、鵜住居さんに纏わる小さな謎を解き続けるだけ。


 いつの日か、知らなくてもいい推理を、彼女にだけは知らせることを夢見て、僕は脚本のない日常を過ごし続けるはず。


 

 どうしようもない添木雛太郎ぼくは、どうしたって鵜住居風音きみに、どうしようもないほど惚れている。



 そんなたった一つの答え合わせを胸に、僕は小さな謎を解き続けるのだろう。

 





———






拝啓


 年が暮れるので、手紙を書くことにしました。


 あと数日待てば、年賀状を送ることもできましたが、あえてもう少し形式ばったものにします。


 学校も冬休みに入り、私は退屈しのぎに本ばかり読んでいます。


 いつも私のつまらない話に付き合ってくれる君が、近くにいないせいです。


 時々、不思議に思うことがあります。


 こんな、わがままで、自分勝手で、強引で、いつも君を困らせるばかりの私に、どうして君は付き合ってくれるのでしょう。


 ここしばらくは、君と過ごす時間が多すぎたせいで、ちょっと離れただけで、そんな疑問を抱いてしまいます。


 いつも、素直になれなくて、ごめんなさい。


 これもまた、きっとただの自己満足にしか過ぎないのでしょうが、伝えさせてください。


 きっと、突然の手紙と、普段とは全く違うこの堅苦しい話し言葉に、君は困惑していることでしょう。


 ですが、実をいえば、私も困惑しているのです。


 どうしてか、ここでくだけた言葉遣いをしてしまえば、また結局いつものように気持ちがまっすぐと伝わらないような気がしてならないのです。


 誤解のないようにあらかじめ言っておきますが、これは恋文とか、ラブレターの類ではありません。勘違いしないように。


 これは、感謝と、お別れのお手紙です。


 この手紙が君に届く頃、きっともう年は明けて、束の間の休みも終わりを告げて、また勉学の日々が始まっていることでしょう。


 でも、そこにもう、きっと私の姿はありません。


 だから、年が暮れる前に、手紙を書くことにしたのです。


 この手紙が君に届く前に、私は君を旅行に誘うことにしました。


 さようならと、ありがとう。


 その言葉は、その時に直接伝えるつもりですが、いつもは強がっているけれど本当は弱虫な私は、口にできないかもしれない。


 だから先に、ここに書き残しておきます。


 これはラブレターでも、もちろん恋文でもありませんが、そして君にもう一つだけ、伝えておかなければならないことがあります。



 それは、私は、君のことが好きだったということです。



 これだけはきっと、さよならも、ありがとうも言えても、伝えきれない。


 だから、手紙を書くことにしました。


 返事はいりません。


 ただ、受け取ってくれれば、それでいいのです。


 それでは、またどこかで。



敬具


鵜住居うのすまいより





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解かなくてもいい謎、知らなくてもいい推理 谷川人鳥 @penguindaisuki

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