恋文の返事は、書かなくていい③
ぴゅるりら、ぴゅるりら、ぴゅるりらら。
どこか聞き覚えのある音色を口笛で奏でながら、機嫌よく隣りを歩く少女の横顔を眺めてみれば、なるほどたしかに少し鵜住居さんに似ているような気がしなくもない。
鵜住居さんの従妹ということは、まさかあの東北のマーガレット・サッチャーこと鴨沢女史の娘かと勘ぐってしまうが、その推理はどうにもしっくりこなかった。
おそらく、僕が思うにまた別の兄妹の娘さんなのだろう。
「なんだい? あたしの顔をじろじろと眺めて、まさかヒナさんは俗にいう、おロリコンというやつかな?」
「こらこら。人聞きが悪すぎるからやめてくれ。接頭に御をつければいいってもんじゃないんだよ。べ、べつにそういうわけじゃないさ。鵜住居さんの従妹だっていうから、ちょっと色々考えていただけだよ」
「色々? なにをそんなに考えることが?」
一緒に鵜住居さんの位置情報が示す駐車場を目指す道すがら、鵜住居さんの従妹らしい大森夕鳳ちゃんは、気づけば僕のことをヒナさんというあだ名で呼んでいた。
「そりゃほら、鵜住居さんの母親ときたら、
「ああ、なるほど。あたしの両親のことを考えていたのか。おそらく、ヒナさんの推察通りだよ。あたしは
「双子? 薺さんって双子だったの?」
「まあ二卵性だからそこまで似ていないけれどね。性格も正反対さ」
夕鳳ちゃん曰く、やはり薺さんには別の姉妹がいたようだ。
しかも、双子。
なんとなく意外だ。
「じゃあ、薺さんのところは三姉妹?」
「そうなるね。あたしは一人っ子だからね。少しだけ羨ましいよ。ヒナさんには兄妹はいるのかい?」
「僕には弟が一人いるよ」
「それは本当に? 案外人は見かけによらないものだね。絶対に兄か姉がいると思ったのに」
「ふっふっふ、まだまだ若いね、お嬢さん。この全人類のお兄ちゃんと言われた僕の偉大なるブラザーフッドを見抜けないなんて」
「……最低でもあたしはヒナさんをお兄ちゃんだと言ったことも、この先言うことも決してないから、二度とその全人類のという枕詞は使わないでくれ」
呆れたような表情で、夕鳳ちゃんが溜め息を吐けば、すぐにそれは冬に白く染め上げられる。
そんな風に鵜住居さんの家族構成にやたらと詳しくなっていると、やがて目的地周辺に辿り着く。
きょろきょろと周囲を見渡すと、黒のランドクルーザーから全身を黄色に染めた派手な少女が飛びだしてくる。
その異様に目立つレモンイエローの、スタイルの良い少女は手をぶんぶんと振り回して、こちらの方へ近づいてきた。
「やっほー! ヒナくん! あけおめ! あれ!? てか夕ちゃんもいるじゃん!?
今年一発目の鵜住居さんも、相も変わらず溌剌としていて、僕はどこか安心した気持ちになる。
年が変わっても、彼女は変わらないままだ。
夕鳳ちゃんのようにニット帽子を被ってはいない鵜住居さんは、僕らの方まで来ると、にひひとだらしなくも可愛らしい笑みを見せた。
「あけましておめでとう、風音さん。父さんは寝坊だよ。起きる気配がしないから、あたしだけ先にバスに乗ってきた」
「あー、そうなんだ。鷹也さん、相変わらず朝弱いんだね」
「申し訳ない。あの人は母と一緒で夜行性の人だから」
「うんうん、いいよいいよべつに。夕ちゃんが謝ることでもないし。それにしても、お父さん置いて一人で来るところが、さすが夕ちゃんって感じで、あたしはなんか嬉しいよ」
「そう言って貰えると、ありがたい」
「旅は道ずれ、世は情け、って言うからね」
「……それ、使い方あってるの風音さん?」
嬉しそうに夕鳳ちゃんの頭をぽんぽんと撫でる鵜住居さんは、わりとテンション高めだ。
夕鳳ちゃんとも仲は良いようで、親戚間の確執のようなものはなさそうだった。
「それで? どうしてヒナくんは夕ちゃんと一緒なの? 誘拐?」
「いや違うからね!? 思いつく一番最初の可能性がどうして法を犯してるの!?」
「ほんとかなあ? ……夕ちゃん、ヒナくんに変なことされなかった?」
「ふむ。しいていうなら、賭けで勝ったらなんでも言うことをきけよって脅されたくらいかな」
「はああっ!? 女子中学生相手にヒナくんなにしてるの!? この歩く公然猥褻!」
「ちょっと待った夕鳳ちゃん!? それだいぶニュアンスが捻じ曲げられてるよねぇっ!?」
と微笑ましい美少女親族たちの交流に頬を緩めて油断していると、突然不意打ちを食らい、僕はいとも簡単に観光温泉地でウキウキでウォーキングするわいせつ物に仕立て上げられてしまった。
賭けで勝ったらお願いを聞いて貰う約束はたしかにしたけれど、それは夕鳳ちゃんの方から提案してきたものだし、だいたい僕はその賭けに負けている。
そういえば、結局賭けに負けた僕は、いったいどんなお願いを叶えてあげなくてはいけないのだろう。
まだ僕は夕鳳ちゃんからの願い事の内容を、聞いていなかった。
「……まったく、朝からギャアギャアと。若者は元気だな」
するとそんな冤罪を払拭するために冬なのに、冷や汗をかいている僕の視界に、能面のような無表情が入り込む。
濃い緑のマフラーに顔まで埋めた、そのスレンダーな女性は、降り積もる雪よりも冷たい視線で僕を射抜くと、なぜか屈んで雪を手に掴んだ。
「あれ。なんで鴨沢先生がここに――ってぐうぇっ!?」
「なんでもなにも、私が主催だ。いくら姪っ子のお願いとはいえ、私的な旅行にわけのわからない太陽系外生命体を混ぜるのはやめるべきだったか」
そして掴んだ雪を軽く手の中で固めると、鴨沢女史はまさかの迷わず投擲。
精密な一投は見事に僕の顔面にヒットし、僕より一回りも年上の准教授は大人げなく鼻で笑った。
とても冷たくて、とても痛くて、とても惨めな気持ちになった。
「芹叔母さん、お久し振りです。今回は旅行に誘っていただきありがとうございます」
「ふっ、相変わらず夕鳳はかたいな。そういうところは菘姉さんに似てるな」
「菘ちゃんも敬語ばっかり使うもんねー。たしかにそこは血の繋がり感じるかも!」
「ってえ? あの、みなさん? 今、この人が僕の顔に思いっきり雪をぶつけたことに関しては何も感想なし?」
「ん? なにか言ったか添木?」
「ふむ? ヒナさんどうかしたのかい?」
「なに? ヒナくんうるさいよ?」
「まじかよこの一族」
僕が顔の雪を払っていると、年齢はバラバラだが血の繋がった三人の女たちは揃って首を傾げている。
僕は直感した。
この人たちは、魔女だ。
魔女の一族の年に一回の集会に、生贄として憐れにも差し出されたのがこの僕なのだと、本能的に悟ったのだった。
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