第17話 統合失調症その②
和彦は仕事が終わり、咲と別れて、一人寂しく、自分の部屋に籠っている。
「あなたの病は妄想型統合失調症です」――
数週間前に心療内科に通院し、眼鏡をかけた中年の医者から告げられた言葉は、和彦の胸にズシンと響き渡り、楔のように深く突き刺さる。
(俺は……病気じゃねぇ、病気になったら、俺はどこも勤まらなくなる、仮に勤まったとしても、最低賃金の仕事だ、生活が出来なくなる。それだけは何としても避けなければ……!)
障害者の仕事は、データ入力や内職などの軽作業が殆どで普通の企業の正社員が行うような責任のある仕事が任せられず、出世がままならないというのが一般の見識である。
賃金も最低賃金が殆どで、昇給は程遠いし、精神障碍者の雇用形態はパートが多く占め、運よく正社員になれたとしても年収は良くて300万円程度が関の山であるとネットに書いてあるのを和彦は見て予備知識を蓄えていた。
もし仮に和彦がここで障碍者手帳を取ってしまえば、いくらばれないとは言っても、病気が悪化した場合退職せざるを得ず、最底辺の生活が待ち構えている。
(やべえぞ俺……早く治さなきゃ! てか何で、鴉の鳴き声がこんなに酷く聞こえるんだ!? この鳴き声は俺だけなのか!? 幻覚なのか!? いや、きっとこれは地球温暖化か何かでカラスの数が増えているんだ! 落ち着くんだ俺! 障碍者にだけは死んでもならんぞ、俺は認めたくはねぇんだよ!)
「カァカァ……!」
ベランダの外からは鴉の鳴き声が情け容赦なく和彦の鼓膜に響き、ただでさえ鬱屈な気持ちがさらに鬱屈になり、頓服薬として貰ったセルシン等の精神安定剤が入っている薬袋を探す。
(クソッタレ……何故こんなに五月蝿ぇんだ? 眠れねぇ……! 薬はどこだ? 何処にあるんだ?……てか、何故こんなに…‥)
「カアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカアカア……」
「ああ!五月蠅えんだよ!」
和彦は、ベランダに窓越しでいる3羽の鴉に向かって、枕を投げつける。
「ギャア……」
その鴉の群れは、和彦をあざ笑うかのように、漆黒の羽を撒き散らして、曇天気味の空に飛び立っていき、和彦の視界からすぐに消えて行った。
ふと、テーブルを見やると、ノートパソコンの電源が入りっぱなしになっており、メールが入っている事に和彦は気がついた。
(誰だよ? 会社からか? いや、これは、FCFのじゃねぇか……)
和彦は誰だろうな、ルール変更があったのかなとメールをクリックして開く。
『最近全然やってないけれどもどうしたの?』
さっちゃん、というアカウントから、和彦のアカウントのかずくんにチャットメッセージが入っている。
(さっちゃんからだ……いけね、昨日装備品の確認をしていて、軽くログインしていたんだったんだなぁ)
FCF会員用のメールサーバーには、さっちゃんからのチャットメッセージの通知が入っていたのだ。
『いやね、色々とね仕事が忙しくてね、やってないんだよ(>_<)』
本当は、別の趣味が出来て、その活動で忙しくなったんだけどなと思いつつさっちゃんにチャットを送り、和彦はタバコに火を点ける。
『忙しいって、仕事で実験でもやっているの?』
送信してから一分もしないうちに、さっちゃんからすぐに返信が来て、慌てて煙草を灰皿に置き、キーボードをタッチする。
(すぐ返信来るって、この人どんだけ暇人なんだよ……)
『うんそうなんだよね』
「いや、実験ではないのだが、ストリートミュージシャンや動画での趣味による退廃的な世間への自分達の力試しさ」――
だがそう言うと、さっちゃんからドン引きされるだろうし、第一特定されたら色々と面倒臭い事になるので、そう言いたい気持ちを押さえて、和彦は無難な返信を送る。
『こっとんも同じ事言っていたな〜』
『こっとんと連絡とってるの? 全然俺連絡とってないや』
こっとんと和彦はここの所連絡を取っておらず、リアル生活で廃人になりたくないから辞めたのか、それとも、リアル生活が忙しいのか色々と思案を張り巡らせていると、さっちゃんから返信が来た。
『うんとってるよ。なんかね、リアルで会おうってメッセージが来てね、ちょっとどうしようか考えてるんだよ』
『会っていいんじゃない?』
『でもなんかね、ネットの人って誰かわからないじゃない? ネカマかも知れないし。変な人だったら嫌だなあ。あっ、でもかずくんには会ってみたいかも』
『そっか、こっとんと会うのはのはやめたほうがいいかもね。てか俺は少し考えさせてくれ。いやさっちゃんが変な奴だったらどうしようとかそんなんじゃないんだ。ただね、最近忙しいんだ。時間が取れたらまた連絡するよ』
『わかった、楽しみにしているからね(^_-)-☆』
(でも一度、さっちゃんに会ってみたいなぁ。こっとんにも。でもなんか、ネットの人だしなぁ、特定か何かされて実害とか食らうとあれだからなぁ……うーん、音楽もあるしなぁ、迷うぜ、何よりも、咲ちゃんが気になるな、音楽の腕前がメキメキと上がってきてるし、まるで、琴音と同じ、いや、それ以上なんだよなぁ。抜かされないようにしないとなぁ……それに……)
和彦はFCFをログアウトして、動画編集ソフトを立ち上げる。
そこには、自撮りで撮ったストリートライブの映像が流れている。
(有名どころのライブ動画というわけにはいかないが、これをクオリティ高く仕上げないとなあ。でもな……)
咲が天真爛漫な子供のような満面の笑顔で歌っている姿を見て、和彦は溜息をつく。
(かわいいな咲ちゃん、まるで女神みたいだ。付き合いたい。いや、でも、俺のような気持ち悪いオタクの人間がこんなかわいい子と関われる事自体が奇跡に近いんだよな……)
「咲ちゃん、俺は君が大好きだ」――
だが、和彦のそんな心の叫びも、鴉の鳴き声でかき消された。
♫♫♫♫
光画社自動車の上層部は、根がひん曲がっているわけでもないのだが、元々の人間としての筋が通っているとは決して言いがたく、人のアラを探しては足を引っ張る、自分よりも更に上の人間に媚を売り諛う、部下に理不尽な仕打ちをするなどといった出世にしか興味が無い反吐が出る行為をする。
美智子もそうなのかも知れないのだが、決して悪人というわけでもなく、ほんの些細な言動が、社会人失格だとか小学生以下だとか馬鹿だとか、決して社会人として入ってはならない暴言を平気で放つ、ただのヒステリーじみたモンスターおばさんだというレッテルを貼られている。
仕事後の事務所での事務処理をしようと、和彦は事務所に入った時に、美智子が和彦の前に立ち、傍には何故か咲がばつが悪い表情を浮かてべおり、隅の方へと手招きをしている。
「朝霧さん、ちょっといいかしら?」
美智子は何か言いたげな、不満のある顔をしている。
「は、はぁ」
(俺なんか悪いことしたのかよ、この糞婆……!)
「噂で聞いたんだけれども、貴方達ストリートなんとかって、街中で流しのようなことをしてるみたいね……」
「……!? な、何故それを……!?」
和彦は、酷く動揺した様子で美智子を見やる、それもそのはず、会社の人間で知っているのは一平と貴子であり、彼等がポロリと話すはずがないと思っているし、お互いのツイッターで活動をしているのだが、そのツイッターは光画社の人間には知らないし、ニコニコ動画やYouTubeも知っている人間は全くと言っていい程いない。
「別の部署の人が、柊さんが映っているどうかをみつけたのよ。ユーなんとかってやつ? そこに映っていた、朝霧さんもね。 うちの会社が副業が原則的には禁止だということは知っているわよね?」
「は、はぁ……」
和彦は俯いて、咲の顔をちらりと見やるが、咲もまた、悪いことがバレて教師に叱られている学生のような、バツの悪い顔をしている。
美智子は咳払いをして、口を開く。
「でもまぁ、柊さんから聞いたけれども、金銭の取引はそんなに大きな額ではないから良いけれどもね、趣味の範囲でならばいいわ。動画は消して頂戴、万が一だけれども、うちの会社に影響が出る場合があるからね。街中で何かをやるのはいいけれども、今後は動画は禁止よ。次から気をつけて頂戴……」
「は、はぁ、すいません……」
和彦と咲は、美智子に頭を下げる。
世の中にある企業の大半は、原則的には副業は禁止であり、YouTubeやニコニコ動画での広告収入をしてはいけない場合もある。
社員がSNSで活動をして、うっかりネット民を敵に回す言動や仕事での愚痴を話してしまい、炎上をしてしまい経営が傾いた会社があったのである。
「まぁでも、貴方達の歌良かったからね……応援してるわ……次からはばれないようにこっそりとやるのよ、またね……
美智子は彼等にそういうと、事務所を後にしていく。
「和彦さん、これって……」
咲は小声で、和彦に尋ねる。
「俺達の活動を許してくれてるってことなんじゃねぇか……?」
和彦は、美智子が先程言った言葉の意味を、ポジティブに捉えて、美智子の後ろ姿をいつまでも見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます