第19話 決意

 和彦はかなり音楽に精魂を詰めており、流石に咲は今の和彦はカッコいいがここまでは心身が疲弊しかねないと和彦に少し休むように話をして週3日でやっていた音楽の練習は週に一度、毎週末やっていたストリートライブも週に一度を限度に決めた。


 今の和彦は、耳栓と精神安定剤や睡眠剤の力でメンタルも落ち着いており、顔色も険が無くなり穏やかになっているのを咲を始めとする社内の人間は、人間的に落ち着いており、少しカッコ良くなったと思っている。


 人間は心が顔にでると言われており、ポーカーフェイスの人間ならば別なのかもしれないのだが、全員にそれをやれと言われても無理なのであり、和彦の険が取れたのを見て、咲は安心した。


 一平と貴子は、何かに追い詰められて生き急ぐようにして音楽活動をやり続ける和彦を見て、こいつは死ぬのではないかと背筋が凍る思いだったが、今の和彦を見て、いつもの、どこか頼りないが、オタクの面影はなくなりつつあり好青年になってきているようで安心している。


「ねぇ咲ちゃん、貴方、和彦くんをどう思っているの?」


 三連休の日曜日、咲はバンドの練習を終えて和彦と別れて、貴子と居酒屋で待ち合わせて飲んでいる。


『おかめ』という名前の居酒屋は、焼肉店からの姉妹店らしく、メニューには肉料理が多く並ぶ。


 Twitterで、ミラクルTという人物が宣伝をしたのが発端に、肉料理が旨いとの評判が拡散して、客がかなり増えているのである。


 貴子の質問に、咲は意表を突かれたのか、少し戸惑っている様子を見せている。


「あの……」


「ん? どうなの?」


 貴子は気になっているのか、急かすように質問を繰り返す。


「いやそんな、嫌いって程の悪い人ではないのですが、愛してるとか、好きだとかそんな感情はないですね、多分……」


「多分……? そう、友達以上恋人未満ってわけね。その割にはいつも一緒にいるようだけれどもね」


 咲は貴子の言葉に、口に含んだ軟骨の唐揚げを思わず吹き出しそうになり、手で口を塞ぐ。


「いや好きとか、そんなんじゃ……うーんその、まぁ、仲のいい同僚、いや上司的な!? まぁそんな感じですよ……」


「ふーんそう、ところで話変わるけれども、Twitterで咲ちゃん達の事が紹介されているわよ。悪いことは書いてないけれども」


「え! まじですか!? そう言えば全然最近Twitter見てなかった……」


 咲は軟骨の唐揚げをウーロンハイで流し込み、先月の給料で購入した最新式のスマホを開き、自分のTwitterアカウントを開く。


『最近X駅でストリートライブをする、男女ペアのツーピースバンド、S &K かなりオススメ!』


 自分のアカウントにツイートしたミラクルTというユーザーに咲は見覚えがあった。


「あー! ミラクルTさんだ! この人フォロワーが1万人いてかなり有名な人なんですよね! 紹介されちゃった!」


 ネットで有名な人に紹介されて、子供の様にはしゃぐ咲を見て貴子は微笑み、モスコミュールを口に運ぶ。




 咲達がTwitterで盛り上がっている間、和彦はただ当てもなく、冬将軍が到来してきたばかりのX駅のそばにある暁月公園に、ホットコーヒーを飲みながら煙草をふかしている。


 暁月公園は駅前の一等地にありながら、それなりに広い面積があり、たまに路上ライブをする学生やストリートパフォーマー、YOUTUBERが来ることで知られている。


(ギター弾きたいなぁ、でもまたストリートでやっちまうと会社から目をつけられるしなぁ……。またやったら、何かしらのペナルティはあるんだろうかなぁ……)


 学生の頃は馬鹿をやっても、周りが許してくれたが、社会人となった今は会社に帰属しており、何かをやらかした場合責任問題に問われる為に、和彦はTwitterやFacebookなどのSNSはやっていない。


 咲はTwitterやFacebookをやっており、仲良くなりたくてやろうかと一時期本気で考えたことがあったが、所詮は正社員と派遣社員であり、仲良くなる事は考えられづらいと和彦は見えない壁の様なものを貼り、やるのをやめた。


(俺と咲ちゃんがここまで仲良くなれるとは思っていなかったが、咲ちゃんは派遣社員だ、俺とは違っていずれにせよ、会社を辞めて別のところに行くだろう。本当はTwitterやFacebookをしたいが、それをやってしまったら、会社に居づらくなってしまう。SNSが原因でもめた人間がいるのを俺は知ってるんだ……!)


 光画社自動車の社員の中にFacebookやTwitterをやっている人間はいるのだが、炎上などのネガティブな事を考えてか、上層部から控える様とのお達しが彼等にあった。


 本当はLINEも禁止なのだが、和彦達は内緒でやっている。


 数年前に和彦とは別の部署の人間がTwitterに残業が多いなどの会社の愚痴を書いてしまい、不特定多数の人間に知られてしまった事があった。


 会社の方に誹謗中傷の電話が相次ぎ、その書いた人間は損害賠償を求められて裁判沙汰となり、敗訴して数百万円を支払い退職をした。


(あーあ、結局俺が付き合えたのは琴音だけか……でもあいつ、死んでしまうんだよな。最後にやっておいて良かったが、あんなにいい女、もう二度と俺の前に現れないんだろうなぁ……)


 冷たい北風が吹き、頭に紙のようなものが飛んできて、和彦は着ているグレーのチェスターコートの襟を立てる。


「何だよ、これ……?」


 和彦は頭についている紙を取り、街灯の下の朧げな明かりを頼りに、紙に書いてあることを読む。


『X市民音楽祭参加バンド募集 令和元年12月◯日土曜日の夜7時から開催 締め切り令和元年11月20日まで』


(音楽祭……? 締め切りは明日までだ。でもこれは必要ないな、どうせやらないし。……いやでもこれは副業に入るんだろうかな? でも仮に出たとしても、俺達では笑い者になるのがオチだろう、咲ちゃんの腕前は上手いとは言ってもまだアマチュアレベルの域を脱してはいないし、俺も下手糞なんだ。辞めようか……いやでも、一応取っておいて、咲ちゃんと相談して……ん?)


 和彦はスマホのバイブに気がつき、液晶を見やると、咲からの着信が入っている。


「はい、もしもし……」


「もしもし! 和彦さん! 来月音楽祭やるのよ、この街で! ねぇ、出ましょうよ!」


 咲は意気揚々とした声で、和彦にそう言っているのだが、電話の外からは誰かが、咲にこれ以上飲むのを止めなさいと言っているのが聞こえ、居酒屋にいるのではないのかと和彦は思う。


「え!? いや奇遇だな、俺もそれ知ったんだよ! いやでもな、俺達の腕前まだまだだぜ、プロ並みでは無いし……」


「ダメ元で出てみましょうよ! 動画とかストリートでの制約があるし、何もしないよりかはマシだわ! ねぇ、出ま……うっ……!」


 スマホの外からは、何かを吐き出す音が聞こえ、誰かが咲のスマホを取ったのか、音が聞こえている。


「もしもし、和彦さん? 貴子だけど、さっきまでねぇ、咲ちゃんと飲んでたんだけどねぇ、彼女強い酒飲みすぎちゃってトイレで吐いてて、グロッキーなのよ! 今から部屋まで送るから、ちょっと部屋の前で待ってて!」


「えー!分かった、待ってるわ、じゃあな!」


 やれやれ、と和彦はスマホを切り、先程の紙を見やる。


(無理かもしれない、俺達の腕前ではまだアマチュアレベルだし。だが、何もしないよりかはマシか……!)


 寒空の下、和彦の立っているところだけが、気温が上昇していた。


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