第4話 御局様

  和彦と一平が従事している部署での業務は、機械から出てきたネジやナットなどの小型部品を目視検査して、傷や凹みがないかどうかを確認する作業である。


 一見楽そうに見えるのだが、集中力と根気を求められてかなり神経を使うのである。


 それに加えて、ある原因により、この部署の人離れは深刻であるーー


「遅いじゃないの!」


 皺を隠すかのようにファンデーションを塗りたくり、濃い口紅をしている美智子は、顔を怒りで歪め、死んだ目をしている咲にそう言い、壁に蹴りを思い切り入れる。


「は、はい、すいません……」


「あんたねぇ、もう入って1週間でしょう!? この仕事はねぇ、10分もやればベテランなんだよ! 気合いが足りないのよ!」


 美智子は地面に唾を吐いて、ドアを思い切り開けて、部屋を立ち去っていった。


「ひくっ……」


 咲の啜り泣く声が、和彦や一平の耳に聞こえて、彼らは悲しい気持ちに襲われる。


(あの糞ババア、やり過ぎなんだよ……! 柊さんなんて普通に仕事してるじゃねぇか、他の奴らなんざすぐに辞めていったし。とっとと辞めちまえよ……!)


 和彦たちの部署の人の定着率が悪いのには、美智子の強烈なパワハラに原因がある。


 45歳の年端で、婚期をとうに逃し、仕事しか拠り所がなく、自分のどうにもならない壁の苛立ちを周囲にぶつけるだけの忌み嫌われる存在ーー


 咲は目に涙を溜めながら、椅子に座り、黙々と目視作業に没頭する。


 白魚のような細い指は過度のストレスで震えており、何度も部品を落とそうになる。


「あの、柊さん」


 その様子を見かねた一平が、咲に何かを言おうとして口を開く。


「はい……?」


 咲の声はうわずっており、目には生気がなく、限界が近いんだなと彼らは咲を不憫に思う。


(他の辞めていった連中のように、精神に変調をきたさなければいいのだが……)


 和彦が光画社自動車に入ってから数年間、20名近い人間か美智子のパワハラによって辞めていった。


 辞めた人間の中には、精神病になり、閉鎖病棟へ入った者がいると風の噂で聞いた。


 和彦自身も新卒でここに配属になった時に、パワハラを受けて心療内科のお世話になったことがある。


 匿名で誰かが労働基準局に告発を入れたりしており、結局証拠不十分で大ごとにはならなかっのだが。あまりにもこの状況を見かねた上層部が、何度か美智子に注意をしてもすぐに元に戻ってしまい、半ばもう諦めているのである。


「あの、こいつが奢るんで、仕事終わったら酒でも飲みに行きませんか?」


「え……?」


 咲が飲みに誘われた事は前のアパレルメーカーの勤務ではしょっちゅうあったが、この会社では前職に比べていい意味でさっぱりした性格の女性の同僚が少なく飲みに誘われるのは同性以外では初めてらしく、軽くためらいがちである。


「いや別に変なことしようとかそんなわけじゃないっすよ、明日金曜日じゃないですか、気晴らしにでも。それに、ここで真面目に働いてても気が滅入るだけだし、息抜きは必要ですよ……」


 一平は、こんな仕事を頑張ったところで給料は変わらないし、適度に気晴らしを挟みつつ頑張ったほうがいいと思い、咲を誘ったのである。


「え、いいんですか、是非行きたいですね!」


 酒が飲めるらしく、奢りに反応した現金な性格なのか、咲はすぐに元気を取り戻す。


「え? いやここは割り勘だろ? 第一俺ら給料日前だし……」


 給料日前なのに、一個8000円近くもする新しいゲームを二つも買ってしまった和彦は、懐具合が寂しく、一平の発言に焦っている。


「どうせお前また新しいゲームとか、秋葉原に行って変なフィギュアとか買ったんだろ? あっこいつね、変な漫画とかゲームが好きなオタク野郎なんですよ。お前ん家にあるゲーム全て売って金に変えちまえよ!」


「馬鹿野郎、それだけは出来ないぞ!」


「だからお前彼女が出来ねぇんだよ! 柊さんこいつってねぇ、10年ぐらい彼女いなくて心の拠り所が漫画とゲームとアニメしかない秋葉原にいる二次元のオタクなんですよ!」


 一平の発言に、10年も彼女がいない、終わってるなと咲は思い、どの女の子にも誰にもあてにされなかった和彦に。哀れみの視線を向ける。


「はぁ!? どこがいけねーんだよ、オタクの! オタクって連呼してんじゃねーよ! それに漫画だって誰でも見るだろ!?」


「お前ん家にある漫画本とか、みんなエロ同人誌じゃねーか! 触手とかってなんだよ、寂しい変態野郎なんすよこいつ!」


 咲は、一平の言葉にプププと吹き出してしまい、その様子を見て和彦は、やっと笑顔が戻ったなとほっと胸をなでおろす。


「ちょっと煩いわよ! 仕事に集中して!」


 彼らの声に気がついた美智子が、部屋のドアを思い切り開けて、壁を殴り飛ばして怒鳴り散らして出て行く。


「あんな糞ババアのことで凹むぐらいならば、気晴らしを見つけた方がいいっすよ」


 一平は小さな声で咲にそう言った。




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