第3話 引越し
夕方の18時頃、和彦は疲れた体を引きずりながら、自分が住むアパートへの帰路を、5年前のボーナスで購入した4万円程のメーカー物の自転車をトロトロと走らせて進んでいる。
(あのババア、マジで辞めてくれねーかな、自分が原因で辞めて行ってく派遣が増えてるのに気がつかないのだろうかなぁ……!)
つい先刻まで、和彦は一平や榊原に混じり、神経を使う仕事を数時間休憩なしでぶっ続けで行ってきた。
一平が目当てにしている柊咲という、自分よりも4.5歳は年下であることを窺わせるやや可愛い派遣の女性社員は、工場内の見学をすると言われて、気持ちが悪い外見の男二人組とともに江原に連れられて別の所へと行ってしまっていた。
(可愛かったなぁ、あの子。付き合いたいな、けど、俺のような不細工なオタク野郎では釣り合わないんだろうなぁ……)
和彦は溜息をつき、『音羽荘』という2階建ての建物に備えついている自転車置き場に自転車を置き、オタク御用達のダサいリュックを背負い階段を上がる。
和彦は大学4年生の時、今から約8年近く前からこのちょっとおしゃれな外観のアパートの2階の201号室、端の部屋に住んでいる。
大学4年生の頃、通っていたFランクの大学のキャンパスがこの街、V県Q市に変わり、地元のL県から電車で1時間半かかる為、家賃4万円程のこのアパートに引っ越してきた。
大学時代は学業よりもバイトやサークルのバンド活動、恋愛に精を出しており、それなりの、ネットスラングで言う所謂リア充の生活を謳歌しており、何度か留年の危機はあったが、友人の尽力により、何とか大学を卒業して仕事が決まり、今に至る。
「ん?」
和彦は隣の202号室に誰かいることに気がつき、肩まで伸びた髪の毛を見て女性だなと分かり、不審者や変態に間違えられないといいなと思い、自分の部屋へと足を進める。
その女性と目が合い、和彦は驚いた顔でお互いを見つめる。
「あのう、ひょっとして光画社さんの……?」
やや茶髪に染め上げた、栗色の髪の毛の女は、和彦を見て呆気にとられた顔をしたが、すぐに我に帰り、うわぁやべえこんなオタク野郎と隣の部屋かよ、粗相なんかできゃしない、最悪だよと言いたげな忌み嫌う目つきをする。
「テンションマックスの柊さんだったよね?」
和彦は、咲の気持ちを目つきで薄々感づいているのか、所詮俺はオタクで、世間様から人権を与えられることがない汚物のような存在なんだなと歪んだ気持ちで下を向く。
「実は私ここの部屋に先日越してきたんです、よろしくお願いしますね……」
「あ、ええ、こちらこそ、宜しくです……」
和彦はやや声が途切れがちになりながらも、そう言うと、咲の冷たい視線に耐えずに、そそくさと部屋を開けて中へと入っていった。
🎵🎵🎵🎵
シャワーを浴び終えた和彦は、万年床と化した部屋の真ん中にある、大学時代に買ってそのまま使い古してシミが付き、綿が所々から出てる座椅子に座り、いつものようにパソコンの電源を入れる。
仕事が終わった後はいつもシャワーを浴びて、オンラインゲームに勤しみ、たまに一平とパチスロで遊びに行くのが和彦の日常である。
(何だ、お隣さんが新人の派遣さんだったのか。何かな、やり辛いなぁ。まぁでもここから会社まで近いからな、ここに引っ越してきたのは多分会社が借り上げているからかな? まぁ俺にはどうでもいいのだが……)
ドタドタという音が壁越しに聞こえてきて、多分今頃は引越しで来た荷物を出しているのだろうなと想像しながら、和彦は電子たばこを口に咥える。
パソコンが立ち上がり、和彦はいつものようにオンラインゲームのサイトを開き、数年前から使っているアカウントでログインをして、今度こそダンジョンの奥にいるSランクのボスキャラを倒すぞと首をポキリと鳴らす。
『ドシンッ』
「ギャー!」
隣の部屋から聞こえる咲の悲鳴に和彦は驚き、パソコンの操作をやめて、何事か、大丈夫かと部屋を出て咲の元へと足を進める。
(柊さん何かあったんだろうか……?)
和彦は、マジックで書かれた真新しい『柊』の文字を見て女性なのに下手くそだなと思いながら、インターホンを押す。
「はい!」
部屋の中から咲が苦痛に顔を歪ませて、酷く慌てた表情で出てくる。
「柊さん! さっき凄い金切り声が聞こえましたが、何があったんすか!?」
「いえね、ベットを買ってきたのですが、立てようとしたらコロコロの所に足を挟んでしまって……」
「え!? 大丈夫っすか!?」
「大丈夫です、心配をおかけしてすいません!」
(やれやれこの子はドジだなあ……)
和彦は軽く頭をかき、溜息をつき口を開く。
「柊さん、俺特にこれから予定は無いんで、手伝いますよ」
「え!? 良いんですか!? ありがとうございます」
咲のほっとした笑顔を見て、和彦は軽く、仲良くなれるポイントを稼げたなと心の中でガッツポーズを取る。
🎵🎵🎵🎵
咲の部屋は、女性にも関わらず、荷物は殆どなく、あるといえばベットと安っぽい寝具にリサイクルセンターで買ったのであろう、古びたタンスとテーブルぐらい、必要な電化製品は小さなノートパソコンぐらいしか無い。
和彦は仕事で疲れた体に鞭を打ち、引越しを全て終えた後、ふうと溜息をついた。
「あの、有難うございました! かなり助かりました!」
咲の満面の笑みを見て、和彦は今までの疲れが吹っ飛んだ具合である。
「ねぇ、ここなんか荷物少ないね……」
和彦の発言に、咲の顔が少し暗くなる。
「あ、いやごめん、変なこと聞いちまったかな……?」
「いえね、私D町に住んでたんですが、アパートが放火で燃えてしまって、裸一貫でここに来たんです。実家に戻ろうかと思ってたら、今いる派遣会社の方が決まって、ここに来たんですよ……」
「いやそうだったか、それは辛かったな。放火って何だよそれは……キツイな」
「そうなんですよ、犯人とかまだ捕まってなくて、最悪なんですよね……」
(後で検索をして見にいってみよう……)
和彦は野次馬根性でそう思い、咲がそう言った時に、ぐう、と彼らの腹が空腹を知らせるように鳴った。
「あ、すいません……」
「いや、ご飯でも食べに行こうか。ここら辺に美味いイタリアンがあるんですよ、初めてだし、奢りますよ」
「え? ありがとうございます」
彼等は微笑みながら、立ち上がった。
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