第1章:出会い

第2話 派遣社員、柊咲

 光画社自動車株式会社は、戦前に堂本弥一(ドウモト ヤイチ)が裸一貫で興した企業であり、民間用の自動車を作っていたのだが、大東亜戦争が始まり戦車の製造に関わるようになってから知名度が一気に増した。


 終戦後、不景気のあおりで自動車が売れなくなり何度か倒産の危機はあったが、朝鮮戦争で需要が伸びて、戦前の自動車製造のノウハウがあってか瞬く間に大企業への仲間入りを果たした。


 会長である弥一は75歳の時、職場で心筋梗塞を発症、救急搬送先の病院で心臓が止まり一時危篤になったことで自分の寿命が長くない事を悟り、会社の運営を役員であった息子の欽一に託し、昭和が終わり平成元年を迎えた時に心臓発作によりこの世を去った。


 自分が亡くなるまで、自分がやらなければならない、全社員への面倒や経営ノウハウの継承、マネジメントなどを全てをやり遂げて、欽一の他、信頼できる役員に会社の経営を全てを任せた為、全てをやりきった安らかな死に顔だったという。


 その後欽一達経営陣の尽力により会社の経営は黒字経営が続き、暫くしてリーマンショックなどがあったが、必死に働いてくれている、能力の高い派遣社員を泣く泣く解雇にして切り抜けて、そこまで影響を受けずに、ここ20年以上安定した業績を出し続けている。


 和彦はたまたま運良くこの会社に入る事が出来、10名入った同期の桜が、やれ結婚の為だとか、少し贅沢がしたい為だと、高年収のある所に転職して辞めていき、和彦一人だけが残っている。


 まだ残暑厳しい9月に差し掛かったある日、いつものように和彦が会社に行った時のことだーー


 🎵🎵🎵🎵


「おい、派遣さんで新しい人が来るらしいぞ」


 たくさんの人数を収容できるロッカールームで、正彦の隣のロッカーを使う栗林一平(クリバヤシ イッペイ)は、鼻の下を伸ばしながら下卑た笑みを浮かべて和彦にそう話す。


「おいなんだその、やらしい顔つきは……ひょっとしてその派遣って子は女か?」


 和彦はまだ30歳になったばかりで老け込む年齢ではないのだが、恋愛を諦めて一人で過ごす時間が長かったせいか、女性に対しては無関心となり、気持ちが悪いと陰で言われているのを知ってからか女性が陰湿なものだと分かり嫌気がさして、この会社の女性とは一部の人間を除いては誰とも喋ってはいない。


「そうなんだよ。いや、俺らの部署ってババアだけだろ? 華が欲しいよなぁ……」


 今の一平の顔は、セクハラエロ親父そのものである。


「お前貴子さんに殺されるぞ、ったく……!」


 和彦は彼女がいる身分にも関わらず、女性への興味が薄れる事がなく、むしろ歳を重ねるごとに強くなっていく一平を見て溜息をつき、昼食の食券と食後のコーヒーを買う為の3000円を財布に入れて、行くぞ、と言いロッカーに鍵をかけて一平の服の袖を掴みロッカールームを出ていく。


 タイムカードが置かれている場所に行くと、光画社自動車が利用している、テンションマックスというふざけた名前の派遣会社の管理者、江原徹(エハラ トオル)が赤の社内ジャンパーを着て営業スマイルを浮かべながら社員の連中に挨拶をしている。


「おはようございます、江原さん、女性の新人が入ってくると聞いたのですが、美人なんっすかね?」


 一平は、性的欲求の塊である高校生のような気持ちでおり、毎日部下へのマネジメントで追われて眠たそうな顔をしている江原に尋ねる。


「あぁ、美人っすよ。とびきりまでとはいきませんが、中の上ってところです」


 やはり、とびきりの美女は顔採用がある大手企業に流れていっちまうんだな、うちの会社そんなに年収高くないからなぁと一平はため息を軽くつき、分かりました、と軽く言って、和彦と共に事務所へと続く道を歩き始めていく。


「おはようございます」


 裏で悪口を言っているのかもしれないが、印象が悪くなると撤退する羽目になるために、必死で営業スマイルを振り撒く江原を彼らは横目で見て、そんなに媚を売って楽しいのかと嫌悪感を感じながらタイムカードを押して、事務所に続く階段を上る。


 事務所に着き、扉を開けると、既に同僚の社員や派遣社員が数名おり、壁に貼られた予定表を食い入るようにして見つめており、作業が神経を使うのか、皆の顔が目に生気が無い。


 事務所の中では、談話をするという雰囲気ではないのだが、それでも事務所の外にいる作業員とは違い目に生気があり、作業員と事務員の気持ちの違いがくっきりと和彦や一平達には分かる。


「昨日残業したけど全然終わらねーな……」


 一平は予定表を見つめて深い溜息をつく。


「仕方ねーよこればかりは……」


 和彦はそう言って、椅子に座った。


 彼等は昨日、生産ラインに遅れがあり3時間もの残業を命じられた。


 原因は、派遣社員数名が意図的なのか、全員が同じ日に無断で欠勤をして連絡がつかなくなったのだ。


「あーあ、あのババアがな……」


「馬鹿野郎、聞こえるぞ……」


 和彦は一平の肩を軽く叩く。


 彼等の視線の先には、化粧が濃い40代後半の中年の女性が事務所で他の社員と談話しているのが映る。


「そろそろ朝礼が始まるぞ」


 誰かがそう言うと、あたりは静かになり、椅子に座っている者達は立ち上がる。


 入り口の扉が開くと、和彦達が所属しているH課の課長の西田弘樹(ニシダ ヒロキ)が、江原とやや長い髪の毛を後ろで縛った、清潔感があり少し遊んでいそうな雰囲気の、20代前半ぐらいに見える女性と、分厚い眼鏡をかけた、背が高くてヒョロヒョロに痩せている30代前半の男、頭がみっともなく禿げ上がり、腹が醜く出ている50代ぐらいの男を連れて入ってくる。


(うおっ!? なんて可愛いんだ!?)


 和彦は思わずその女性に目が惹かれて、凝視してしまうが女性と目が合い嫌悪感に満ち溢れる目つきをされた為慌てて目をそらす。


 西田はホワイトボードの置いてある場所へと足を進め、咳払いをして口を開く。


「皆さん、おはようございます」


「おはようございます」


 ここにいる全員が、西田に挨拶をする。


「先日は、急に派遣の人が辞めてしまいましたが、急遽補充要員として、新しくテンションマックスさんの方から数名人を入れました、自己紹介をお願いします」


 柊さん、と江原が髪の長い女性にそう言うと、その女性は慌てて口を開く。


「えーと、本日付でテンションマックスから派遣された、柊咲(ヒイラギ サキ)と申します。頑張りますのでよろしくお願いします!」


 緊張しているのか、やや裏返った声で咲はそう言って一礼をする。


(柊って言うのか、なんか変わった名前だなあこれは……)


 和彦は咲の顔をジロリと見て、思わず目が合ってしまい、汚物を見るような侮蔑の視線を受けて、心が壊れる前にすぐに目線を逸らす。


 これが、和彦と咲の初めての出会いであったーー




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