最終章 レクイエム
第45話 風邪
和彦達が言霊祭に出ると決めた日から、彼等は『マンドラコア』でのライブは全てキャンセルをし、マンションで仕事が終わってすぐに練習に精を出している。
言霊祭まで来週に迫った、ある日の木曜日の事だーー
(まだこんなレベルではダメだ、優勝とは程遠い……!)
和彦の練習の度合いは凄まじく、目は窪み、頬は痩せこけており、末期の癌患者か、薬物中毒患者のようである。
咲はそんな和彦の様子を見て、往年の海外のロックスターのように破滅に走るのではないかと不安に駆られる。
「和さん、そろそろ休憩しましょう、もう21時だわ……」
「あぁ、いや、俺はまだもう少しやりたいのだが……」
「休憩は大事ですよ! 次の日仕事でしょう!?」
「う、うん……分かった、休むわ……シャワー浴びてくるよ」
和彦は咲に注意されて渋々ギターの演奏をやめて、浴槽へと足を進める。
「!?」
和彦の背中には、無数の鴉が止まっているのが咲には見え、目を擦って見直すと何もおらず、頼り甲斐がなかった猫背気味の背中が、ピンと張っており、堂々としているのが見え、咲は思わず胸がキュンとした。
♫♫♫♫
次の日の金曜日、和彦は相変わらず何かに追い詰められている表情を浮かべており、そんな和彦を見て周囲は、咲と毎晩性行為に励んでいる淫らな男だとか、退廃的な毎日に刺激を求めようと覚醒剤をやっているだとか、あらぬ噂を立ち上げる。
喫煙所で、和彦は一平と共に煙草を吸っている。
「なぁ、お前……何かあったのか?」
健康上の理由で、ニコチンやタールが殆どない電子タバコに切り替えた一平は、今までの倍の重さの煙草に切り替えた和彦を見て一抹の不安を感じ、和彦に尋ねる。
「いや、何でもねーよ……そうだな、まぁ強いて言えばストレスかな」
(言霊祭で優勝しないと死ぬなんざ、誰にも言えやしねぇ……! 琴音に呪い殺されちまう……!)
和彦は鴉を操る事ができる、死神めいた元彼女の琴音に、自分はおろか、下手したら咲も呪い殺される危険があるという究極のストレスを誰にも言えるはずがなく、毎晩明け方近くまで曲作りに没頭しているのである。
「ふーんストレスねぇ……てかお前ら、最近『マンドラコア』でライブやってねーな、よく考えたら。上から何か言われたのか?」
「ああ……前にあった事なんだが、咲ちゃんは江原から叱られたんだよ、それで……」
一平は気の毒な表情を浮かべて煙草をふかし、口を開く。
「あぁ、そりゃ気の毒だったな……。うちの会社の若い奴らってよく『マンドラコア』を利用するからな、誰かが噂を流したんだ。もうライブはしないとなるとなると、何かやってるのか?」
「あ、いや、何もやってないが……」
「本当か? いやまぁ、別に詮索はしねぇが、動画での音楽活動は控えた方がいいかもな、あんな事があったのならば……」
一平はそう言い、喫煙所を後にする。
(音楽活動を控えろ、か……まぁ確かに副業だからそうなんだが、俺はそれはできない。やめたら俺は殺される……!)
和彦は煙草を灰皿に揉み消して、喫煙所を後にした。
♫♫♫♫
現場での作業を、和彦はこれが最後になるのではないかという一抹の不安に駆られながら、一平や咲、美智子と共に黙々とネジを目視している。
「今日のところはこれで目処がつくわ、後はマイペースでやっていいからね」
美智子は今日のノルマ分を終えた事を確認して、安堵の表情を浮かべて彼等にそう伝え、別の仕事をするために部屋から出ていく。
(背中が冷てぇ……!)
和彦は、背筋に悪寒を感じながらも、黙々と作業を行なっている。
「なぁ、和彦……お前、顔色良くないぞ、風邪ひいてるんじゃないか?」
一平は、青ざめた和彦の顔を見て一抹の不安を感じている。
咲もまた、ここ最近おかしい様子の和彦を見て、何か嫌な胸騒ぎを感じているのである。
「ん、あぁ、いや、何でもねーよ……」
和彦は機械油がついた手を拭こうと、雑巾のあるテーブルへ、椅子から立ち上がり向かおうとする。
「う……!」
ぐにゃりと、和彦の視界が歪み、薄い灰色の床へと和彦は崩れ落ちていく。
「和さん!」
「和彦!」
咲達は慌てて和彦の方へと向かうが、彼等の声は和彦には届かない。
♫♫♫♫
和彦と咲はギターを片手にステージに立っている。
200メートル程ある会場にいる観客達は皆、和彦達を心待ちにしていたのか、大歓声を上げて彼等の登場を待ちわびていた様子である。
「えー皆さん! ここに来てくださってありがとうございます! 『S&K』のお二人です! 新曲、レクイエムをお聞きください!」
腰まで伸ばした長髪を金髪に染め、豹柄のシャツを着ている、ピッピーのような風体のそのMCは、和彦達に合図を送る。
和彦と咲はギターを鳴らして演奏を始める。
「彷徨える魂へ捧ぐ……」
咲の歌声が、観客達の耳に響き渡り、大盛り上がりを見せる。
「……俺達は、命の灯火を……」
『ギャアギャア……』
どこからともなく、鴉の群れが現れて、が会場を覆い尽くす。
「ひぇええ!」
和彦は演奏を止めて、咲を置いて思わずその場から逃げ出そうとする。
『あんた、逃げたら呪うわよ……!』
どこからともなく、琴音の声が和彦の鼓膜に響き渡り、和彦は卒倒した。
♫♫♫♫
「うーん……助けてくれ……! はっ……!」
和彦は自分の悲鳴で目が覚め、ベッドに寝かされていることに気がつき、身体を起こそうとするのだが、水底にいるかのような重くてだるい感覚に襲われる。
「和さん……!」
横から聞こえる咲の声に気がつき、重い顔を横に向けると、咲が心配そうな表情を浮かべて和彦を見ている。
「咲ちゃん、ここは……?」
和彦は力を振り絞り辺りを見回すが、地色は白色なのだが、長年の汚れでクリームがかった壁と天井のある部屋におり、自分だけでなく他の人達もベッドに寝かされていることから、ここは病室で、自分は病院に運ばれたのかなと察する。
「X中央病院よ、和さん高熱出して倒れてね、救急搬送されたの……」
「そうか、今は何日なんだ?」
「3月○日よ……」
「そっか、まだ、大会まで6日もあるんだなぁ……練習しなきゃな……」
和彦は全身の力を振り絞り、ベットから立ち上がろうとするが、よろけてしまいうまく立ち上がらない。
「和さん! 無茶よ、辞めましょうよ、大会に出るのは……仕事が優先だって言っていたじゃない……」
咲は泣きそうな表情を浮かべて和彦の手を握る。
「いや、俺は出たい! 仮に死んだとしても! 自分が今まで生きてきた証を残してから、死にたい! 何が何でも俺は出るぞ!」
和彦はそう言って咲の手を握り返す。
「……!」
咲の胸に、熱いものが込み上げ、和彦の手を再度強く握りしめる。
「……出ましょう! 必ず出て、優勝しましょう! でも風邪治さないとダメよ?」
「あぁ、そうだな……! 医者呼ばなきゃな」
和彦は冷静になり、自分が病人だという事を思い出し、ナースコールを押す。
「いや、熱すぎだろ……」
隣のベッドに寝ている、中年の盲腸患者はぼそりとそう呟き、ウォークマンのイヤフォンを耳にねじ入れて、内容が奇想天外なギャンブルで有名な漫画本に手を伸ばした。
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