第44話 無情

 和彦は琴音と付き合ってバンドを結成し活動していた学生時代の時期、自分の身の丈を弁えずに、ろくな才能がないくせにメジャーデビューしてミュージシャンになって大儲けするという大きな夢があった。


 だが、現実は無情にも彼等の若いものが持つ特有の夢をぶち壊していった。


「君らには才能はないから、別の仕事を探したほうがいいだろう」ーー


 オーディションを受けに行った時、ある採用担当者は彼等にそう言い放った。


 その採用担当者が安仁屋であり、因縁というわけではないが、そのリベンジとばかりに、今、咲と共に彼の前で演奏を始める。


(確かに現実的ではないだろう、ミュージシャンになるという夢は。俺三十路だし……でも、諦めたくはないんだよ……いや、仕事は辞めないがな……!)


 和彦はギターの弦を、ピックでかき鳴らす。


 ♫♫♫♫


 演奏が終わり、彼等は一呼吸を入れる。


「凄えな、今まで聞いたのとは思えないぐらいの最高の仕上がりだな……!」


 篤は満面の笑みを浮かべて拍手を始める。


「……」


 安仁屋は篤とは対照的に、寡黙であり、終始無言である。


(俺らの腕前はどうだったんだ……?)


 和彦達は、自分達の腕前がメジャーで通用するかどうか、心配といった具合で安仁屋を見つめる。


「……うん」


 10分程の沈黙が流れた後、安仁屋は口を開く。


「確かに10年前とは腕前が上がっているが、ここではまだメジャーで通用するかはどうかだが……」


(やはりダメなのか……)


 和彦は10年前の事を思い出し、酷く落胆する。


「三ヶ月後に、うちでやっているライブイベントで、言霊祭がある。投票ランキング形式だが、そこで優勝したら検討してもいい……」


「……!?」


「えっ……?」


 咲は言霊祭を知っているのか、素っ頓狂な声を上げる。


 安仁屋はそういうと、部屋を後にする。


 ♫♫♫♫


 アイベックスレコードで年に一度やっているライブイベント『言霊祭』は、投票ランキング形式であり、ここで上位に食い込めばかなりの実力を認められ、スカウトが来るのだが、下位になるとダメなバンドだとレッテルを張られてしまう、この映像は動画で全国に流れるのである。


 このイベントはバンドが有名になるかならないかの登竜門であるが、下の方に行くと当然実力は認められずにレーベルから全く相手にされなくなるのである。


 安仁屋から、言霊祭で優勝すればデビューを考えても良いと言われて、和彦はある種の絶望を感じている。


(どうすりゃいいんだろう……?)


 和彦はため息をつきながら、咲と共に近所の公園で木枯らしに吹かれながらブランコに乗っている。


「ねぇ、和さん……」


「ん?」


「この件は、辞めましょう。失敗したら私たちの活動が影響が出るし……」


 咲は言霊祭の事は知ってはいて、過去、高校生でバンドをやっていた時に仲間と共に参加しようとしたがあまりのプレッシャーに耐えきれずに辞めた経緯があり、今回は珍しく弱気になっている。


「うん……あぁ、俺もそう思っていたんだ。これに仮に出たとしても、俺たちよりも凄いバンドは多くいるし、笑い者になるだけだからな……やめよう」


「そうね、ライブハウスとか動画だけの活動にしておきましょう、そっちの方が余程心臓にいいわ……」


 和彦達は深いため息をつく。


『カアカア……!』


「!?」


 鴉の鳴き声が後ろから聞こえ、和彦は後ろを振り返ると、20羽ほどの鴉が電信柱の電線に止まり、和彦達を睨みつけている。


「うっ、うわあああ!?」


「和さんどうしたの!?」


「そこにいるんだ! 鴉が! 嫌だ、俺は殺されるんだ……!」


「え!? いないわよ! 疲れが溜まってるんじゃないの!?」


「ひええええ!」


 和彦は酷く青ざめて、鴉から逃げるようにして交通量の多い道路へと飛び出す。


 荷物を満載にしたトラックが和彦の元へと近づいてくる。


「和さん!」


 急ブレーキで、タイヤがアスファルトに擦れる音と咲の悲鳴が公園に響き渡った。


 ♫♫♫♫


 「う……」


 和彦は頭部に走る痛みで目が覚める。


『ギャアギャア……!』


 無数の鴉が和彦の体をクシバシで突いているのに気がつき、地面にあるなにかを手に持ち追い払うと鴉は飛び立っていった。


「うわっ!? 何だこれは!?」


 和彦が手に掴んでいるのは鳥の頭蓋骨であり、地面を見やると、鳥や動物の骨で敷き詰められている。


「ひええ! ここはどこなんだ!?」


 辺りを見回すと、太陽は3つあり、雲ひとつないのだが空は灰色であり、沢山の鴉から飛び交っており、動物の骨で敷き詰められた地面が和彦の眼前には広がり、建物らしき建造物はない。


(確か俺は、トラックに跳ね飛ばされだはずだが、うーんここは病室ではないし、明らかに異質な世界だ……ひょっとしてここは、黄泉の国なのか……?)


「ええその通りよ」


「!?」


 後ろから声が聞こえ、和彦は後ろを振り返ると、喪服を着ている琴音が微笑みながら立っている。


「琴音……!」


「久しぶりね、和彦……!」


「お前、確か……いや、そんな筈は、いや、まさかお前、幽霊なのか……?」


 和彦の脳裏には、半月程前に琴音が家に来て、子宮頸癌であった事を自分に話していたのを思い出しており、ここは死後の世界だと聞き、もしや琴音は既にあの世に片足を入れているのではないかと薄々感づいている。


「そうよ、私ね、もう既に死んでたの、あなたに会った時から……」


「……え!?」


「ねぇ、私と一緒にここに来てよ、ねぇ……」


 琴音は和彦にそういって頰を指でなぞる。


 かつて自分が心底愛した女からそう言われ、和彦はどうせ退廃的な世界で生きる意味はないと思うのだが、それよりも、咲との事が頭をよぎる。


「あ、いや、俺はまだ……」


「私よりもあんな小娘がいいの!?」


 琴音の顔は、昼ドラマに出てくる嫉妬深い娼婦のようになり、和彦を突き飛ばす。


「うおっ!?」


 骨に足を取られ、和彦は尻餅をつく。


「ここに来るのよ!」


 琴音は指をパチンと鳴らすと、無数の鴉が和彦の周りを囲む。


「……!? お前まさか……!?」


「そうよ、私が鴉を操っていたの。貴方をこの世界に呼び寄せる為に。でももうこっちの世界に来かかっているしねぇ……」


「……」


「でも貴方とは一度メジャーデビューしてみたかったけれどもね、私達才能はなかったのよねぇ。それだけが心残りだわ……」


「……なぁ、それならば……」


 和彦は何かを思い立ったかのようにして、決意した表情で立ち上がり、口を開く。


「三ヶ月後にある言霊祭で俺達は優勝する。必ずだ。もしできなかったら、地獄に落としても構わない。だから……三ヶ月間だけ、俺を生かしてはくれないか?」


 琴音は和彦の言葉を聞き、腕を組んで少し考える。


「うーん、仕方ないわね、それでもいっか。ただねぇ、三ヶ月間待ってダメだったら、貴方をこの世界に呼び寄せるからね。咲って子にも鴉の幻覚を見せようかしらねぇ……」


 鴉の幻覚を見せられて自分と同じように精神を病むであろう事を和彦は想像し、自分がこのまま黄泉の国に旅立った方がいいのではないかと思うのだが、まだ何もしていないのに諦めるのは嫌だと思っている。


「それだけはやめてくれ、三ヶ月待ってダメだったら俺を地獄に落としてもいいし好きにしてもいい……」


「ふーん、あんた余程あの子に興味があるのねぇ、まあ、結果次第では検討しておくわ、じゃあね、貴方の魂をこれから現世に戻すからね……」


 琴音は掌を和彦の額に乗せる。


「……?」


 掌からは柔らかく暖かな光りが出、和彦は安らぎを覚え、目を閉じる。


 ♫♫♫♫


 「はっ」


 和彦が目が覚めると、そこは白い壁と白い天井、生命維持装置らしき機械が置かれ、腕には点滴でチューブが刺されてベットに流されている。


「……和さん!」


 咲が驚いた表情で和彦を見ている。


「咲ちゃん、俺は……?」


「トラックに跳ねられたんです。昨日。でもね、ぶつかる寸前でブレーキを踏んでくれて、軽い打撲で済んだんです。でも、どこも悪くはないのに意識が戻らなくて……ふえっ、良かったよお〜!」


 咲は目に涙を浮かべ、和彦に抱きつく。


 その様子を、他の入院患者がお邪魔なんだろうかと思い慌ててしきいを閉める。


(俺は生きているんだな……!)


 和彦は、両方の掌を握り、熱い血液が漲っているのを感じ、咲の頭を撫でる。


「咲ちゃん、やろう……!」


「え……?」


 咲は顔を上げ、鼻水と涙で薄化粧がぐしゃぐしゃになった顔で和彦を見やる。


「言霊祭だよ、必ず出よう、そして、必ず優勝するぞ……!」


「う、うん……!」


 和彦の強い決意と自信に満ち溢れた顔つきを見て、咲は和彦の手を握る。


「青春だな……」


 隣にいる、盲腸で入院している中年の男性患者は、和彦達の一部始終を横で見て、ぼそりと呟いた。

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