第12話 相棒

 防音措置の施された、20畳程の部屋の中には、音響機械が置かれている。


(この部屋に入るのは約10年ぶりか……)


 決して最新とはいえない音響機械を、和彦は優しく撫でる。


 10年前のこの日、和彦はこの、お世辞にも広いとはいえない部屋の中で、一人でギターをかき鳴らしていた。


 部屋でギターを演奏すれば、退室処分を受けるのは目に見えてわかるし、かといって屋外ではどうかといえば、警察を呼ばれるのがオチである。


 18歳を数ヶ月程過ぎ、思春期のような衝動は落ち着いたものの、目立ちたいだとか、モテたいなどの欲望に身を焦がれるよりも、何かに没頭していた方がマシだなと思い、和彦はバイトがない日はいつも『胡』に足繁く通いつめていた。


 人生誰でも一度は味わう、何かに没頭する至福の時間を再度またここで味わうのである。


 まるで、何かに引き寄せられるように――


 🎵🎵🎵🎵


「上手いっ……!」


 和彦の演奏が終わった後、咲は驚嘆の声を上げる。


「上手い? いやでも俺、仲間内からしてみたら下手糞な方だったが……?」


「いや、めっちゃ上手いじゃないっすか! 私なんかよりも! うわぁー、私こんなプロの人と一緒にバンドやれて良かったわー!」


 咲は、音楽とは全く無縁に見えた和彦が、自分の演奏スキルとは比べ物にならない、数段も上にいる事を知り、感動を隠しきれない。


「だがよ、俺ができるレパートリーは少ないんだよ」


「なにが弾けるんですか?」


「8年前の曲だ。パンプオンチキンが二曲、ザバッドボーンが二曲だけだ。オリジナルは作ったがな、解散するのに従って、もうやらないと決めたから捨てたんだよ、全部……」


 和彦は哀愁を漂わせながら溜息をつく。


「うーん、いや私もできる曲は少ないですよ。高校の時に作った曲と、リッドウィムプスとオンオフロックの二曲だし……知ってますか?」


「いや、それがさっぱりなんだ。てか聞きたいんだが、咲ちゃんはバンドをやっていたことはあったのか? 普通にうまかったが」


「ええ。高校の時に軽音楽部にいたんです。バンドを組んでたんですが、方向性で揉めてしまって……そのメンバーがアニソンが好きで、私アニソンよりもロックが好きだったんです。社会人やってた時もツイッター繋がりでバンドを組んだりしたけど、空中分解したんです……」


 咲は、方向性が違った事で、楽しいはずのバンドができなくなった事が悔しいらしく、唇を噛んでいる。


「ならばな、今更既成の曲を使ってやるよりかは、オリジナルの曲を使うのはどうだ? 俺も思い出す。無理かもしれないが。咲ちゃんが作った曲を改良して、世に出す。これでやってみないか?」


「え!? 良いですね、やりましょう、是非!」


 咲の目に、ギラギラした生気が宿り始め、和彦は、音楽をやる人間の目つきになったな、こんな目をする奴は大抵がヤバイんだと、ニヤリと笑う。


 和彦はふと、咲が持ってきている化粧落とし用の携帯式鏡を見ると、自分の顔が、学生時代、何かに飢えて、音楽を貪るようにしてやれば満たされるのではないかと期待していた頃を思い出した。


「ひっ……!」


 咲は、和彦の肉食獣のように、何かに飢えているギラついた殺意の目つきに恐怖を感じて思わず悲鳴をあげた。


「何かあったのかい?」


「あ、いえ、別に……」


 和彦のこんな顔、希望と、狂気に近い欲望の目つきを見て、破滅するのではないか、誘うべきではなかったのかと咲は恐怖に襲われるのだが、その破滅か成功の二極化に続く階段を歩んでみたいと思い、咲は覚悟を決めた目つきで和彦を見やる。


「ほう……」


(昔のあいつそっくりだ、アイツも覚悟を決めた、特攻隊員の出撃の時の写真に映る彼らの顔のように、やけに清々しい顔をしていた。こりゃあ、ひょっとして、いや、成功への道のりは遥かに長いのだが、やってみるか……)


 和彦は昔の彼女、顔はもう忘れてしまったのだが、何かに飢えている、何か凄い事をやってやるぞと言いたげなギラついた目だけは鮮明に覚えており、咲の今の目つきが、その彼女と同じなのであり、こりゃあ、鍛え方次第では化けるかもしれない、ゼロに近いのだろうが、やってみようと思っている。


「咲ちゃん、まだ時間はあるから、オリジナルの曲を弾いてみてくれないか?」


「え? いきなりっすか!! いいですよ。では、高校の時に初めて作った『ブルースプリング』!」


 咲の演奏が始まり、和彦は静かに聴いている。


 ――演奏が終わる事数分、咲の曲は確かに、初めて作ったこともあってか演奏は幼さが残るものであったのだが、和彦は思わず拍手をした。


「ええ!? こんな上手くないですよ! 演奏も下手くそだし……」


「演奏は俺がどうにかして、この曲ベースの曲を作ってやる。君の場合は声がいいんだよ。透き通る声をしている……」


 和彦は、これは売れるのではないのかな、というもしもの希望と、でも、これぐらいのレベルの人達が沢山いるから、売れないだろうという現実を見据えながら咲にそう言って続ける。


「咲ちゃん、君が目指す道は険しいものだ。砂漠で石ころやゴマを探すようなものなんだ。俺は芽が出なくてドラッグに逃げたり、仕方なくブラック企業で働いてるやつを何人も知っている。君にこの長い道を歩む覚悟はあるか?」


「当たり前です、ありますよ、あくまでも趣味の延長ですから。兼業でやってる人は沢山いますよ。でも……どうせやるならば、デビューしたいかな」


「ならば、今までのオリジナルの曲を作り直して、動画も作ろう、動画編集ソフトや撮影機器を金貯めて買おう。今からやるぞ……」


「ええ。やりましょう!」


 咲は和彦の手を固く握りしめる。


 その掌からは、絶対にデビューして売れるんだという強い野望で、熱がこもっており汗ばんでいた。

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