第11話 ライブハウス『胡』

 和彦は咲に感化されて、再び音楽の道を選ぶことになったのだが、ストリートミュージシャンが恥ずかしいとか、ネットに自分の顔が載るのが嫌だとか、そんな理由などはどうでも良くなっており、肝心の腕が鈍っているのでは無いかと思い、咲と別れて家に着き、部屋の片隅で埃にまみれて10年近く眠りについている、かつての相棒を握りしめる。


 10年程前に、和彦と苦楽を共にしたそいつは、埃にはまみれているのだが、熱い情熱の残り火があるかのように、ズシリとした重みと共に、昔の熱い思い出が和彦の脳裏によぎる。


 このギターは、大学一年生の時、何のサークルに入ろうかと決めておらず、ただ、女にモテたいという不純な理由で軽音楽サークルに入り、入ってから数ヶ月は部活に置かれていたギターを借りていたが、周囲の、借りてばかりでなぜ買わないんだ的な視線が嫌になり、二ヶ月間の夏休みを丸々化粧品メーカーのアルバイトに当てて稼いだ金で、店で一番安いギターを買ったのである。


 ギターを手にしたのはいいのだが、肝心の仲間がおらず、メンバーを募集しても集まらずに、まさか売るわけにもいかず、暇潰しにキャンパス内でギターを鳴らしていた。


 ある日突然、美人が和彦の元へと訪ねてきて、一緒にバンドを組まないかと持ちかけられた。


 その美人こそが和彦の元彼女であり、顔の輪郭だけでなくもう名前すらろくに思い出せなくなったが、ギターを片手に練習に打ち込み、やれストリートミュージシャン気取りだとか、やれ小演奏会だとか出て、それなりの青春を謳歌していた。


 いつの日かメジャーデビューを果たすために、血が滲むまでに弦をかき鳴らしたり、週末に彼女が家に来て、大学という長い間のモラトリアムをお互い楽しんでいたり、時には喧嘩をした。


 和彦が持っているギターは青春を共に過ごしてきた戦友なのだが、長年怠ったチューニングによる音の劣化を直す為に、これは楽器屋に行くかなと和彦はギターを見て溜息をつく。


 和彦はふと、スマホを見やる。


『今日はもう遅いけど、明日にでもセッションをしませんか?』


『寝落ちしたのかなー?』


 咲からのラインの他に、ファイナルクエストファンタジーのチャットメールが入っている。


(ごめんよ、さっちゃん、こっとん、暫く君らと遊ぶのは無理だ)


 和彦は、スマホの中で待つ、さっちゃんとこっとんの二つのアカウントに向けてごめんと謝罪をしながら、ログアウトをして咲とのラインをやる。


 🎵🎵🎵🎵


 次の日、和彦は咲と駅前にある貸しライブスタジオで待ち合わせる事になった。


 ライブスタジオ『胡』は、和彦が大学を卒業するまでバンド仲間と入り浸っていた、たまり場のようなものである。


『胡』の入っている雑居ビルの入り口にある喫煙所にある椅子に和彦は腰掛けて、煙草に火を点ける。


(ここに来たのは10年振りぐらい……いやそんな時間は経ってないが、まぁ、似たようなもんだな。咲ちゃんが来るまで時間はあるから、一服でもして待ってるか。俺、またバンドをやるのか、いや、嫌だというわけではないが、30過ぎのおっさんのやる道楽みたいなものだが、あの子か音楽で飯を食おうと考えてたら止めてやろう、音楽で飯を食うなんざ、ほんの一握り、砂漠で石ころを見つけるような確率なんだ……俺がそうだったように……!)


 和彦の脳裏に走るのは、学校の勉強をろくにやらずに、音楽という夢に向かい、毎日を音楽漬けで、仲間と共に駆け抜けた日々。


 和彦の傍には、常にある女性がいた。


 その子とは、たった8年前に別れたのだが、それでも名前と顔は思い出すことができずに、アドレスや顔写真などの思い出を消すべきでは無かったなと後悔に襲われる。


(あの子名前なんだったか……)


 タバコをすぐに吸い終えて、灰皿に吸い殻を押し付け、溜息をつく。


(何故、たった8年も前のことが思い出せねーんだ……?)


「朝霧さん」


 和彦の目の前に、ラフなTシャツとダメージジーンズ、サンダル姿の咲がいる。


「あ、やぁ……」


「それが、学生の頃に使っていたっていうギターなんですね!」


 咲は、和彦の傍に置いてあるギターケースを指差す。


「あぁ。でもチューニングとか全然やってねーからな、音が出ないかもしれないよ」


「でも行ってみましょうよ!」


 和彦は咲に促されるがまま、『胡』へと足を進める。


 🎵🎵🎵🎵


 エレベーターで地下一階に降りた先に『胡』はあり、エレベーターは当時のままというわけではなく、ビルのオーナーさんによる耐震工事により外観は変わっていたのだが、『胡』の店自体は変わってはいない。


 店の中には既に先客が数名おり、皆バンドをやっているのか、金髪に染めてモヒカンにしていたり、片側をツーブロックにしてもう片方の髪を伸ばしている男性や、ピンク色の髪をした女性がおり、彼等の肌艶は20代前半である。


 レジで彼等の対応をしている男性は、スキンヘッドであり、タンクトップから覗かせる肩に小さなサイコロとハートのタトゥーが彫られており、元シンガーであったことを窺わせる。


「胡さん、1時間ね!」


「あいよ。……ん? 君は確か……?」


 その男性は、和彦の顔を見て、驚いた表情を浮かべる。


「マスター、ですか……?」


「和ちゃん、か……?」


「え? 二人とも知り合いなんですか?」


 彼等の再会を、何も知らない咲は不思議に思い口をパクパクとさせる。


「知り合いも何も……彼は、この店のお得意様だったんだ、昔、な……。元気そうで何よりです、いま何をやってるんだい?」


「いえいえ、マスターも元気そうで良かったです。俺大学出てからプータローってわけにはいかなかったんで、とりあえず就職したんすよ。光画社自動車さんにお世話になっています。この子はうちの会社の派遣社員さんですが、誘われまして、またバンドを趣味でやってみようかなと……」


「ほー、あの光画社さんに仕事が決まるとはな、良かったな。特別サービスだ、好きなドリンクを選んでいい。一緒にいた子は元気なのか?」


「それが、実は別れたんです」


「そうか……悪い事を聞いたな」


「いえ、気になさらないでください。では部屋の方をお借りしますね」


「あぁ、鍵を渡すよ……」


 マスターは部屋の奥へと、鍵を取り出しに入っていく。


「朝霧さん、昔ここを利用してたんですね……」


 咲は、自分が知らない和彦の昔の事をほんの少し知れて、和彦に興味が湧いているそぶりを示す。


「あぁ、昔だけな」


「一緒にバンド活動していた人がいたんですか?」


「あぁ、でも別れたがな」


 和彦は、ふわぁと大きな欠伸をしてそう言った。

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