第18話 悪夢

 世界樹、というものは存在は認められてはいないのだが、樹齢100年はとうは超えているであろう大樹を見て、これは世界樹だと思わざるを得ない者がいてもおかしくはないであろう。


 その神聖なる樹の下、和彦は穏やかな顔でギターを鳴らしてバラードを歌い、観客に鹿や兎、小鳥などの小動物がチップ代わりのクルミや花を持ち聴き入っている。


(嗚呼、なんて気持ちがいいんだろう、平日のような、陰気な部屋で小さな部品をチェックする気が遠くなるような仕事から離れてこれが出来るだなんて最高だ……)


「ん?」


 和彦は、目の前の森から、誰かが来る気配を感じる。


 まるで、懐かしい人物が来るかのようにーー


 パキパキと、落ちている枝を踏みつける音が聞こえて、和彦はギターの演奏を止める。


「琴音……!」


 和彦の目の前には、黒のワンピースと黒のストッキングを履いた琴音が立ち、微笑みながら和彦を見ている。


「和彦さん……」


「琴音、お前そんな体で来て平気なのか……?」


「うん、平気よ、私ね……」


 琴音は、くるりと後ろを振り返る。


「?」


「貴方を道連れにあの世に行く事にしたのよ!」


 琴音の体から無数の鴉が生まれ落ちて飛び交い、和彦の元へと向かっていく。


「うわああああ!」


 鴉が和彦の目玉にくちばしを突く所で、和彦の意識は消えた。




「うわああああ!」


 和彦は自分の悲鳴で目が醒める。


 目の前の景色は、先程の森の中の景色ではなく、フィギュアがショーウィンドウに入って整理され、いつ来客が来ても良いように綺麗に掃除が行き届いている自分の部屋である。


 和彦は咲と知り合ってからちょくちょく咲が自分の部屋に来る事があり、フィギュア集めはそこそこにして、汚物まみれの部屋を一月かけて綺麗にしたのである。


(あれは夢だったか、にしてもなんてリアルな夢だったんだ……琴音は元気なんだろうか? まさか、死んで……?)


 和彦は自分の青春の全てと言っても過言ではない琴音の事が気にかかり、タバコに火を点ける。


 スマホのバイブが鳴り、和彦は画面を開くと、咲からのラインの着信が入っている。


『お疲れ様です、なんか、さっき、すごい悲鳴が聞こえたんですけれども大丈夫ですか!?』


(咲ちゃんを驚かせてしまったんだな、すまない事をしたな……)


 スマホの時刻には、午後11時となっている。


『すまんかったな、軽く悪夢を見てしまったんだよ。起こしてしまったら悪かったな……』


 悪夢を見て起きるだなんて、俺子供みたいだなあ、笑われたりしないだろうかと和彦は思いながら咲にそうラインを送ると、すぐに既読になる。


 今日は土曜日なのだが、和彦の部署では休日出勤があり、夜の7時まで残業をしていた。


 毎週の土曜日にやっているストリートライブは仕事で疲弊しているので休みにしたのである。


『悪夢って笑最近疲れが溜まってるんですよ、気晴らしにゲームでもやってスッキリしてください』


『ゲームかぁー、最近全然オンラインやってないしなぁ、廃人にならない程度にやりますかー』


『オンラインゲーム! 良いですね! 私もゲームやってて、チャットで知り合った人とリアルで会うか迷ってるんですよー』


(前から聞いてたが、ゲームでの友達とリアルで会うのか……何もなければ良いが……)


『そっか、会ってもいいんじゃない?』


『うーん、そうしますね! 決めた! 会います!』


 咲とのラインの後、スマホには別のメールが来ており、ラインを止めてメールの宛先表示を見やる。


(あれっ? さっちゃんからだ……)


 そのメールの宛先には、FCF運営からのチャットメールのお知らせと表示されており、昨日スマホでFCFをやりながら寝てしまったのだなと、和彦は軽く頭を掻きメールを開く。


『ねぇ、一度リアルで会ってみない?』


(リアルで会おう、か……どうせ咲ちゃんとは付き合えないし、暇潰しに会ってみるか……)


『いいよ、いつ会う?』

 和彦は、ネット上での人間と実際に会う事には抵抗があるのだが、ストリートミュージシャン以外に新しい事を始めたいという30代にありがちな活動的な初期衝動に従い、さっちゃんにそう返信を送る。


『うーん、今月は忙しいんですよねぇ、仕事で。来月の30日の土曜日に都内で会いましょうか』


(来月かあ、11月だなもう。そろそろ冬用のアウターを買いに出かけるか……)


 咲と知り合い、ストリートでライブをやるようになった和彦は、ようやく重い腰を上げたのか、何処へ行っても恥ずかしくないような小奇麗な格好をしようと、最近服を買い揃えるようになった。


『いいよ』


『ありがとうございます(^^)ではまた、詳しくは後ほど』


 どうせ俺、来月はストリートライブ以外予定無いし、咲ちゃんに適当に幼児があると話しておけばいいか――和彦はそう思い、先程の悪夢で汗をかいて軽く気分が悪くなってしまった為、立ち上がり浴槽へと足を進める。

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