第41話 スカウト

 師走のある日曜日、和彦達は篤と駅前にある、ウインナーコーヒーが有名な全国チェーンの喫茶店で待ち合わせている。


「本当にあの人、部屋用意してくれるのかしらねぇ……」


 咲は先日の一件以来、篤を快く思っておらず、彼をバンドマン崩れの胡散臭い商売をしている冴えない壮年の男性と捉えているのである。


「うーん、いまいち信用できないが、でもまぁ、音響機器を売り払うよりかはマシだろうかな……」


 和彦は折角高い金を出して購入した高価な音響機器や動画用の機器を売り払いたくはない様子である。


「そうですよねぇ、売りたくないですよ、折角の高価な買い物が……」


「いや俺もだよ、もう万馬券が当たる事は無いだろうからなあ……」


「折角私たち上手くなってきたのにねぇ……」


 咲は深い溜息をつき、多分売り払う事になるであろう音響機器のことが頭から離れられないのである。


 和彦達はまだかまだかと、キョロキョロと不審者気味に外を見回すと、紺とベージュのスタジアムジャンバーと黒のニットキャップを被った篤が根拠のない自信なのだろうか、意気揚々と店内に入り、和彦達に気がついて手を振り、コーヒーを注文して受け取って彼等の元へと歩み寄る。


「よう、待たせたな……」


「ちょっとね、困りますよあんな事されちゃあ……私クビになりそうだったんですよ。ネットのまとめサイトにも名前が載っかってしまうし。まぁ別に悪いことしてるわけじゃないからいいけれども」


 咲は江原に、次また目立つ事をしたら解雇か減給だと釘を刺されており、篤を睨みつける。


「まぁ咲ちゃん、ここは、篤さんが持ってきた良い条件のことを詳しく話を聞こうじゃないか……!」


 和彦は苛立ち気味の咲が粗相をして篤のヘソを曲げないように諫めている。


「ふふふ……実はな、俺昔メジャーデビューしようとしててな、親父の後継いで、余裕ができてきた時にな、防音設備があるマンションが安く売りに出されてるのを知ってローン組んで購入したんだよ。そこ人気があってすぐに埋まったんだ。だがな、俺専用の部屋は残しておいてあるんだ。俺もう使わないからお前ら使っていいよ、家賃は別に要らないからな」


「え? いやいいんすか? でも、デビューとかは考えているんじゃ……」


 和彦は、篤と昔飲んでいた時に、酔っ払って、働きながらミュージシャンになる事をよく話していたのを知っていた。


「いやそれがな……」


 篤は、和彦の前に右手を見せる。


 右手の小指が第二関節から無くなっており、和彦達は何があったのかという表情を浮かべて篤を見やる。


「5年ぐらい前に自動車事故にあってな、指を切断したんだ。もうギターは弾けない。もう諦めたんだ。この部屋はな、デリヘルの女を連れ込む用に取って置いてあったのだがな、お前らを見てて、未知の可能性に賭けてみたくなった」


「……でも俺は、もう、30過ぎてるし、才能だって……そんなには……」


「諦めてどうするんだ? 俺が知っている昔のお前より今のお前の方が比べ者にならないほど凄いんだ。レベルが上がっている。それにお前、まだ燻ったまま終わりたくないだろ?」


「……」


「叶えてくれよ、俺がどうしても手に入らなかった夢を。お前らならば、出来るよ」


 篤は、和彦の手を握りしめてそう言い、篤の熱い思いが和彦の心の中に染み渡って伝わる。


「あの、音楽会社の人を紹介するって……」


 咲は男同士の友情に些か、本当はそう思ってはいけないのだろうが、暑苦しくて気持ち悪く感じながらも、熱いものが込み上げており、篤が紹介したいと言っていた音楽会社の人間の事を尋ねる。


「あぁ、それならばな、アイベックスレコードさんは知ってるか?」


「え、ええ……あの、島崎あゆこやラッパウィンプスが所属してる大手ですけど、まさか、そこにコネがあるって事ですか?」


 咲は胡散臭そうな表情を浮かべて、篤を見やる。


 篤はブランド物の名刺入れから一枚の名刺を取り出し、最新式のスマホを操作する。


『アイベックスレコード 人材発掘課 安仁屋弘(アニヤ ヒロシ)』


『いつもお世話になっています、先日は看板作成ありがとうございました。そちらの方で活動しているS&Kさんを一目お伺いしたくメールを送った所存であります。彼等の演奏は何度か聴いたのですが、一度直に聞いてみたくなりまして、彼等にコンタクトはできないでしょうか?』


「これがその証拠だ。この安仁屋って人はちょくちょくうちの店に来てては、いいバンドがいないかと聞いているんだよ。で、お前らをこの前見て、興味が沸いたんだと……」


(安仁屋……? 確か、昔そんな名前の人が俺の知り合いにいたっけ……?)


 和彦の脳裏に、安仁屋という珍しい名前の人間がいたような断片的な記憶が蘇るが、直ぐに忘れてしまう。


「へー! え!? じゃあ私達の演奏を聴きたいって事は、スカウトしたいって事なの!?」


「あぁ、まぁ文体の流れ的にはそうなるんだろうがな、兎も角は演奏を聴きたいと。どうだ?」


 篤は先日のミスを忘れ、ドヤ顔で和彦達に尋ねる。


「ええ、私的には勿論OKですよ! メジャーデビュー出来るかもしれない! 和さんは?」


 咲はやる気が充満した顔つきで和彦を見やる。


「うーん、会社の人にバレたらあれだが、でもメジャーデビューしつつ、会社で働くのは出来るんだろうかなぁ……?」


「でも、副業は禁止ではないかと。私、こんなね、派遣の生活はちょっともう勘弁なんで、不安定だし……なんかね、人生一度きりなんで、やってみたいですね!」


「うーん……」


 和彦は咲の気持ちを知り、少し腕を組み考え、口を開く。


「よし、取り敢えずやってみよう、もしデビューが決まったら上の人に話してみるか。篤さん、コンタクトお願いします」


「よっしゃ、分かった!」


 篤はニヤリと笑い、スマホを操作する。

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