第33話 商売人
クラブの正式名称はナイトクラブと呼ばれ、ダンスミュージックだけでなく、店によってはロックが流れたりすることがあるという。
だが、大抵長年やっている老舗はロックといった激しい音楽ではなく、誰でもが踊れるノリの良いEDMなどのダンスミュージックを流している所が大半であり、普段の仕事で心が擦れた若いサラリーマンや学生が目当てなのである。
この店の店主は、近年EDMが主流のクラブに風穴を開けようとロックを取り入れる決意をしていたが、肝心のライブで必要なバンドが食中毒でドタキャンしてしまっていた。
そんな矢先に現れたのが、和彦達であり、彼等は店のスタッフの期待を背負いながら、控室に一平達と待機している。
「なぁ……本当にこれバレやしないよな?」
和彦は店でイベントに使うペンギンの被り物を見て、バレないかどうか心配している。
「私もこれ……大丈夫かなぁ?」
咲もまた、ウサギの被り物を見て、先程の酔いが覚めて、自分達のことがバレてTwitterに流されないかどうかと思っている。
「まぁ、大丈夫でしょう。そろそろ出番来るし頑張れや」
一平は無責任にも、ふてぶてしく笑いながら、和彦の肩をバンと叩く。
扉が開き、茶髪の坊主頭で黒縁の眼鏡をかけたボーイが入ってくる。
「出番です」
「行ってきなね!」
貴子は不安そうな咲の肩を軽く叩く。
和彦達はそれぞれ被り物を被り、大丈夫かなと不安に思いながら扉を開ける。
♫♫♫♫
音楽に関わっている者で、必ず体験するものがあり、それはどんなに慣れている人間でも極度の緊張に襲われるという。
その体験はライブハウスのライブであり、和彦達は数週間前に野外ライブを経験しており、若干の場慣れはあるのだが、それでもかなりのストレスである事には変わりなく、和彦は手に汗を握りながらギターを持つ。
目の前にいる群衆は、連日ライブに来ており目が肥えているのだろう、和彦達を見て、これは変な連中だろうか、それとも凄い奴らなのかと期待と失望が入り混じった表情をしている。
「えーっと、彼らの紹介に移りたいと思います!『S&K』のお二人です!」
宝くじの売り子のような、金のド派手なアウターを着たMCが、和彦達を紹介する。
本来、このクラブをメインで演奏をしているアーティストやDJを目当てに来ている客は、全く無名の彼らを見て歓声をほとんど上げない。
「おいなんだあいつら……」
「変な連中だな……」
群衆から聞こえる、自分達を小馬鹿にする声が和彦達の耳に入る。
「えー、皆様に伝えたいことは!?」
群衆の心ない声に泣いているのか、それとも緊張しているのか、咲の方が小刻みに震えてるのを和彦は見逃さず、咲の肩をバンと叩き、マイク越しに大きな声で会場に伝える声で言う。
「お前ら! 忘れられない夜にしてやっからよぉ、絶頂にイカせてやるぜ!」
群衆からは歓声が起こるはずがなく、すべった冴えないお笑い芸人のような気まずい空気が流れる。
咲は何かに吹っ切れたのか、持っているギターの弦を思い切り弾く。
和彦も、ここでしくじったら男が廃るとばかりに、弦を思い切り弾く。
彼らの弦の音が合図なのか、町おこしのライブで流した自作のEDMをスタッフは流す。
「こんな廃れた街に……」
和彦と咲のギターの音と、EDMがうまい具合にマッチングし、綺麗な音色を奏で出す。
彼らに興味がなかった観客達は、野次を送り死んだ目をしているのがみるみるうちに目に生気が宿り始める。
「凄ぇな、こいつら……」
一平が和彦達の演奏を聞いたのは3回目ぐらいだが、今のレベルに達した彼等の曲を聴くのはこれが初めてであり、毎日が同じことの繰り返しで、飽き飽きしている現状をこいつらが打破してくれるのではないか、ひょっとしてこいつらは誰にも手が及ばない上の舞台に行くのではないかと期待を持ち、和彦達の演奏を見守っている。
「退廃的な現状を飛びかう鴉……」
咲の声が、決して大きいとは言えない部屋の規模の『マンドラコア』内に響き渡り、彼等の曲に合わせて踊る客が増え始めており、一平達も踊りたくなり、貴子の手を握り、熱狂の渦の中に飛び込む。
その日、『マンドラコア』は、飛び入り参加したバンドにより、過去最高のフードの売り上げを記録した。
♫♫♫♫
演奏が終わった後の控え室に、和彦達はおり、被り物の中が汗で蒸れたのか、水を染み込ませたタオルで頭をしきりに拭いている。
咲もまた、かなりの声量で歌ったのか、喉が乾いており、500mlのミネラルウォーターのペットボトルを二本近く飲んでいる。
「なんか、凄ぇな、お前ら……」
一平は疲弊した彼等を、尊敬の眼差しで見つめている。
(こいつ、俺の事をこんな目で見るのは初めてなんじゃないか……?)
普段一平に舐められてばかりの和彦は、そんな一平の様子を見て、少し自己満足を覚える。
『コンコン……』
ドアがノックされる。
「はい」
ドアが開くと、そこには酷く感動した様子の篤が立っている。
「淀川さん! 何故ここに!?」
「いや、この店、俺が副業で経営してるんだよ、なんか凄いなお前ら……」
和彦は篤を驚きの表情で見つめるのだが、咲達は当然面識があるはずがなく、冬に差し掛かる時期にも関わらずアロハシャツと短パンという出で立ちの篤を頭がやばい人ではないかという不審者を見る目つきで見ている。
「あぁ、紹介するわ、俺の大学の時の先輩の淀川さんだ、俺の勤め先の同僚と、この前会ったバンドメンバーの柊さんです」
「ほう……君が、あの声を出したのか」
篤は、自分が変な人に思われているのをつゆ知らず、興味津々に咲を見つめ、ポケットから名刺入れを取り出して名刺を手渡す。
「初めまして、淀川コーポレート取締役の淀川です」
「はぁ……」
咲は呆気に取られながら、篤の名前と会社の電話番号とQRコードが書いてある名刺を見やり、篤が名も知らぬ会社の経営者だというのを、凄いなという漠然とした尊敬の眼差しで篤を見やる。
「あの……淀川コーポレートさんですよね? 確か、看板作成で有名な……」
貴子は咲が手にしている名刺を見やり、篤を見やる。
「ええ、あの、確か……光画舎自動車さんでしたよね、和彦の勤め先は。ご存知でしたか」
「ええ、ここら辺では有名ですから。申し遅れました、光画舎自動車社内経理部の猪瀬と申し上げます」
「あ、申し遅れました、生産部の栗林です」
一平と貴子は、篤に一礼をする。
「いえいえ、今後ともお見知り置きを。和彦、今夜のライブ最高だったぜ、ところでお前、アドレスは変わってないよな?」
「あ、すいません、携帯ぶっ壊れてしまって、新しく変えたんすけど、アドレスが消えてしまったんすよ。でもアドレスは変わってないっすよ、ラインも俺の番号で検索すれば出て来ますよ」
「そうか、今日はもう遅いからあれだが、今後お前らにここでライブをしてほしい。それなりのギャラは払う。俺の一存だ。この事は、口頭で話すと後々揉めるから、書面上で契約したいからな、来週の休みにでも時間を作れないか?」
「!? え、ええ、もちろんいいっすよ! 全然!」
篤は商売人の笑みを浮かべて、ニヤリと微笑んだ。
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