第3章:鴉

第14話 昔の彼女

 和彦達がストリートミュージシャンをやってから二週間が過ぎた。


 変わったことといえば、何故か周囲に知られてしまい、あいつらは陰で付き合っているだとか、暇つぶしの道楽だとか不本意な噂が広がってしまっている事である。


 悪事千里を走るという諺があるが、彼等がやっている事は悪事ではなく、単なる趣味の範疇である。


 暦の上では冬に差し掛かったある日の昼下がり、光画社自動車の食堂で、和彦達は昼休憩を取っている。


「てか、お前にそんな才能があるとは知らなかったな……」


 一平は蕎麦を頬張りながら、和彦を見やる。


 人間には一つや二つの才能があると、神様はそう定めたらしく、和彦には音楽の才能が普通の人よりも優れているのである。


 それに加えてパソコンのスキルも普通の人より優れていて、咲の動画を編集して、決して今風とはいえないのだが、普通に見る分には支障がない程度に仕上げていた。


「なぁ、ぶっちゃけお前らいくら稼いだ?」


「何言ってるのよ、いやらしいでしょ」


 ストリートミュージシャンや、動画の収入が大したものではないとタカをくくってる一平を、隣で麻婆豆腐を食べている貴子は諌める。


 咲は、恐る恐る指を一本上げる。


「……千円?」


「……いえ、一万円です」


「え? いやあんなもんにたったそれだけの価値があるのか?」


「失礼でしょあんた。咲ちゃん達に謝りなさいよ!」


 貴子はそう一平に言っているのだが、自分も本心は一平と同じで、たかが音楽ごときで何故一万円も稼げるのかと不思議な気持ちに襲われる。


「いえね、ストリートミュージシャンで数千円稼げる時があるんですよ。それとね、音楽の副業があるんですよ、楽器のやり方を教えたりとか、楽曲を提供したりするとかで。それで……」


「こら、声がでかいぞ」


 和彦は、周囲に咲の発言が聞かれていないかどうか不安になっている様子である。


「副業か、でもまぁここって、原則は禁止らしいからな。就業規則を隅々まで読んでないから謎だがな、まぁバレないようにやれよ」


「まあでも大丈夫でしょう、副業やってる社員さんもいるみたいだし。まぁでも咲ちゃん達が歌ってる曲とか演奏とか普通に上手いしねぇ。上手くいくといいわねぇ」


 一平や貴子が危惧する通り、光画社自動車のみならず大抵の企業は副業は禁止であるのだが、会社に隠れて副業をしているものは少なからずいる。


 光画社自動車の平均年収は大卒で360万円程であり、昇給はあまり見込めない。


 咲が所属するテンションマックスの時給も1000円から1500円なのだが、いくら咲が美智子から可愛がられて昇給があったとは言え、たったの1030円程度の時給で働いている身分である。


 世の中には色々な副業があり、楽器の演奏方法や楽曲提供などで収入をもらえる副業サイトは存在しており、音楽という金のかかる趣味を副業としてお金に変えようと、和彦と二人で相談して決めたのである。


「食べ終えたら吸いにいくか」


「あぁ、そうだな」


 和彦はご飯を口に運んだ。


 🎵🎵🎵🎵


 夕方の18時過ぎ、和彦は自転車を走らせて家路へと着く。


 和彦だけが事務処理があった為、少し残業をして遅くなったのである。


 部屋の鍵を開けて、和彦は澱んだ空気を入れ替える為に換気扇の電源を入れて、部屋の窓を開ける。


 開きっぱなしのノートパソコンの傍には、パソコンの技術関連の本が置かれている。


(まさかこんな所で、これが役に立つとはなぁ……)


 和彦は昔、ゲーム好きが高じて、MADと呼ばれる動画を作る為に動画編集ソフトの勉強をしていたのである。


 冷蔵庫を開け、咲が作ってくれた回鍋肉と、タッパーに入っているご飯を取り出し、電子レンジに入れる。


 あれだけ忌み嫌われていた和彦だったが、共に音楽の活動をしていくうちに仲良くなり、たまに料理を作ってあげる仲になった。


(回鍋肉かぁ、昔の彼女がよく俺に作ってくれたっけか。でもまぁもう、関係ないしなぁ。兎も角俺は、今を大事にしていけばいいんだ……!)


 昔の彼女の顔の輪郭や体形はもう既に和彦の脳細胞の記憶から消えかけており、思い出せなくなっているのだが、もう関係ないなと自分に言い聞かせて、タバコに火を点ける。


『ピンポン』


 インターホンが鳴り、タバコを灰皿に揉み消し、慌てて扉の方へと足を進める。


(押し売りでなければいいなぁ……)


 念の為にドアチェーンをかけて、扉を開ける。


 扉の向こうには、髪が長くて、背がすらりと高いモデルのような端正な顔つきの女性がいる。


「!?」


 何かに火がついたかのように、和彦の脳内で目の前にいる女性に関しての情報が続々と出てくる。


 和彦は少し考え、ドアチェーンを外して扉を開く。


「……琴音、琴音か?」


「ええ……」


 それが、蓮池琴音(ハスイケ コトネ)との8年ぶりの再会であった。

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