第48話 ハッピーエンド

 週末の土曜日の夜、『マンドラコア』には、沢山の客で賑わう。


「ねぇ、新しい曲ですって!」


 縞模様のニットキャップを被った、10代後半の大学生のような女性は、入り口で手渡されたフライヤーを見て、彼氏らしき、長身で細身の男に嬉しそうにそう話す。


「あぁ、なんかこの曲ってさ、2年ぐらい前に音霊祭で歌ったやつだ」


「へー、そうなのね。あのライブ、なんか伝説的だったんでしょう?」


「あぁ、そうなんだよ、観客が全員失神したんだよね」


「一度行ってみたかったなー」


「YouTubeで観れるんじゃない?」


「それがねぇ、その時の映像が不思議に残されてないんですって! 他のは残ってるんだけど、それだけが不思議にすっぽりと抜けているのよね……」


「ふーん、そうなんだな。まだライブまで時間あるから、飲んでようか」


「そうね」


 彼等は、カウンターに行き、仕事で疲れた体を癒すかのようにして、メニューを見やる。


 ステージには、ライダースジャケットとダメージジーンズを履いた30代前半の男と、ボブカットの20代後半の女がそれぞれがギターを持ち、軽く弦を鳴らしている。


 ♫♫♫♫


 この瞬間がいいんだーー


 和彦は、ギターをかき鳴らしながら、私服の笑みを浮かべる。


 隣にいる咲もまた、和彦と同じ気持ちでギターを鳴らしている。


「真っ黒い羽を……」


 観客達は歓声を上げて、彼等を見入っている。


 約2年前、言霊祭でのライブの時、和彦達のあまりの曲の凄まじさに観客は全員が失神し、救急車が出る騒ぎになった。


 この事はネットやテレビのニュースになり、和彦達の元へとマスコミや、ネット民が押し掛けてくる騒ぎになり、和彦達は退職を覚悟する。


 体調が戻り出社し、和彦達は人事に呼ばれ、用意していた退職届を出す事にした。


「メジャーデビューしても、会社を辞めずにいて欲しい、柊さんを正社員として登用する」ーー


 その一言に肩透かしを喰らった和彦達は、晴れて音楽活動をして良くなり、咲は正社員として登用される事になった。


 これには裏話があり、ライブを聴いていた裕也達は和彦が売れる事が宣伝になると踏み、大人の話し合いの結果、和彦達をアイベックスレコードでデビューさせると同時に、スポンサーであった光画舎自動車でも咲を正社員として採用することが決まったのである。


 そして、X市のイメージキャラクターとしても採用された。


 和彦達は贅沢な三足の草鞋を履く事になったのである。


 ♫♫♫♫


 「でねぇ、こいつ、会社ではオタク野朗って言われたんだぜ!」


 和彦達のライブでの打ち上げで、一平は酒に酔っており、上機嫌である。


「ちょっとあんたねぇ、酔っ払い過ぎよ!」


 貴子は大きくなったお腹をさすりながら、一平の肩を叩く。


 半年前、一平は酒に酔った勢いで避妊をせずに貴子と性行為を行い、案の定妊娠し、できちゃった結婚をしてしまった。


「名前はまだ決めてないのですか?」


 咲は女性の幸せを満喫している貴子を羨ましそうに見つめ、まだ決まってない生まれてくる子供の名前を尋ねる。


「私的には蓮がいいんだけどねぇ、まだ女の子が男の子かどうか決まってないのよ」


「男だったら龍、女ならば桜だ!」


「いやね、まだ決まってないでしょ!」


 貴子は、脳の容量がそんなに多くはないであろう一平の頭をごつんと叩き、パコンという音が聞こえて、周囲はどっと笑い声に包まれる。


 その様子を見ている和彦は、羨ましいなと思い、尿意を覚える。


「俺、トイレに行ってくるからね」


 和彦は立ち上がり、店の外にあるトイレへと足を進める。


 ♫♫♫♫


 夜の帳が降りた、ある初夏の20時過ぎ、和彦は店内の、ゴミゴミした空気が嫌なのか、人気が少ない外でタバコを吸っている。


(俺達がメジャーデビューしてからもう2年が過ぎたんだな、あっという間だったなあ……)


 光陰矢の如しというが、和彦達がデビューしてから出す曲全てがヒットを飛ばし、動画の再生件数が100万回を超えている。


 文字通りのロックスターになった和彦は、少し自慢げな気持ちになり、満月の空を見上げる。


「あのう……」


 和彦の元に、金髪のパーマをかけた10代後半の女性が、目をキラキラさせながら立っている。


「?」


「えーと、私ずっと前から、和彦さんのファンでした! 私と付き合ってくれませんか!?」


「え!?」


 音楽の世界にいる人間には必ずと言って良いほど男女関係があり、人一倍気を遣っていたはずだったが、和彦は少し自慢げになる。


「えー、いや、でもねえ、俺には……」


「えーLINE交換から始めましょうよ!」


 その女の子は、最新式のスマホを和彦の方へと見せる。


「うーん……」


 和彦は心が揺れ、スマホを取り出す。


『カアカア……!』


 鴉の鳴き声が後ろから聞こえ、和彦は後ろを振り返ると、1羽の鴉が道路におり、和彦をジロリと見ている。


『浮気したら呪うわよ……!』


 鴉は口を開き、琴音の声でそう言うと、道路に散乱した生ゴミを啄んでいる。


「ひぇつ……!」


「あの、どうしました?」


 店の中から、咲が出てきて、和彦は慌てて咲の元へと走り出す。


「ごめんね、俺たち付き合ってるんだ! またね!」


 和彦がそう言うと、咲の顔は赤くなっていく。


 彼等は付き合っていると明言してなかったため、その女の子は玉の輿になるのを諦めたのか舌打ちして彼等の前から立ち去っていく。


『カアカア……!』


 鴉の鳴き声が、夜の街に木霊した。

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