第22話 博打

 「なぁ、最近なんかちょっとお前変だぞ……」


 喫煙所で、一平と和彦は二人きりでおり、一平はいつもとは違う和彦の様子に気がついている。


 ほんのひと月前の和彦は、ストリートミュージシャンをしていたとはいえ気持ちが悪いオタクの殻を抜けきれてはおらず、無理やり変わったのか、自信がある精悍な顔つきなのだが、少しやつれており焦燥している表情を浮かべている。


「いや、何でもねーよ……」


(こっちは時間がねぇ……!)


 和彦は2週間後に迫った大会に過度のプレッシャーを感じているのである。


 30過ぎて音楽の夢を追い求めるのは単なる馬鹿だというのが世間様の見解であり、自分には夢を追う時間があまり残されていないのを和彦は気にしており、せめて咲だけは何が何でもデビューさせてやりたいという気持ちで心の中は一杯なのである。


「ふーん……いやまぁ、どうせお前の事だから多分音楽なんだろうが、まぁあんまし無理するなよな……あくまでもあれは遊びだからな。仕事辞めたりするなよな……」


 大した職務スキルがなく、即戦力にならなそうな冴えない30過ぎた人間を何処も雇う職場は無いと言いたいのを一平は抑えながら、2本目のタバコに火を点けてスマホを見やる。


 スマホには、折れ線の棒グラフが出ており、和彦は一平が株か何かのギャンブルをやっているのでは無いかと不安に駆られる。


「一平、それは株か? いやお前やめたほうがいいんじゃねぇ?」


「馬鹿野郎、これはバイナリーだよ。バイナリーオプションだ」


「何だそりゃ?」


「お前何も知らないんだな。このグラフは円高が円安かのなんかのグラフで、お金を賭けてやるやつだよ。グラフが上がるか下がるかでお金をもらったり失ったりするやつだ、おっ、当たったな。一万円分稼げた」


 一平はニヤニヤしながら、スマホの画面を見つめている。


 その様子を見て、ひょっとしたら、何かあるのではないかという淡い期待感が和彦の中で芽生える。


「ふぅーん……なぁ、それ俺にもやり方教えてくれないか?」


「あぁ、良いぞ。仕事終わったら教えてやるわ」


 一平はタバコを灰皿にもみ消した。


 ♬♬♬♬


 和彦達が喫煙所でバイナリーオプションについついて談話している時、咲と貴子は食堂にある休憩所で一杯80円程のコーヒーを飲んで休憩している。


「ねぇ咲ちゃん、なんか最近貴女やつれてるわよ、何かあったの?」


 貴子は、連日深夜まで音楽に興じている咲と和彦に気がついており、そのやつれようを不安に感じている。


「いえ、特には……」


「ひょっとしてねぇ、貴女達音楽祭に出るんでしょう?」


「え? いやなんで知ってるんですか?」


 咲は驚いた表情を浮かべて、まじまじと貴子を見つめる。


 それもそのはず、社内の誰にも音楽祭に出るとは一言も言ってなかったのである。


「いやね、風の噂ってやつよ……まぁ、動画ってわけじゃないから副業には当てはまらないけれども、仕事が最優先だからね……」


「は、はぁ……」


 貴子の情報収集能力の高さに、咲は呆気にとられ、情けなく返事をする。


「あら、ストリートミュージシャンさん、秘密会談?」


 彼女らの前に、美智子が何か良い事があったのか、上機嫌で近付いてくる。


「あぁ、お疲れ様です」


 咲は先ほどの発言が聞かれてないかどうか気になりながら、普段は仕事の事で不機嫌なのに何故美智子がこんなに上機嫌なのか疑問に思っている。


「何か良い事でもあったんですか?」


「ふふふ、ウマよ、ウマ!」


「ウマウマ!? なんか、穴場的な場所でも見つけたんですか!?」


「違うわよ! お馬ちゃん! 競馬のことよ! 私ったらねぇ、ついててねぇ一万円儲けたのよ!」


 美智子は、男にも見放される年齢になり、楽しみがないのか、ギャンブルにはまっているような噂は貴子を通じて小耳に挟んでいたのだが、泡銭の事ではしゃぐ彼女を見て、人間というものは支えてくれる存在がいなくなると、こうも堕ちてしまうのだなと咲は心の中でため息をつく。


「へぇ……」


「何!? あんた、競馬とかした事ないの!?」


「ええ……」


 咲はギャンブルは、前職についていた時、20才の8月の夏休みに同僚に勧められて、近所の寂れたパチスロ店で一円パチンコをやって、一万円負けてからそれ以来やっておらず、今の職についてから音楽の事ばかり追いかけている為、博打に手を出さずに半年程が過ぎていたのである。


「あんたねぇ、人生の大半を損してるわよそれは! 勤労は義務だけどねぇ、仕事一辺倒だと息抜きは必要よ! 人間ねぇ、仕事だけとかに傾くと必ず失敗するようにできてるのよ!パチスロとか雀荘とかボートレースとかホストクラブとか行ってないの?」


「いや行きませんよ! いや、なんかこう、別の趣味とかないんすか!? 音楽とかゲームとか、スポーツとか……」


「そんな趣味とっくに卒業したわよ! てかねぇ、音楽は控えなさいよ! 動画も禁止だからね! まぁ趣味レベルならいいけれど」


「は、はぁ……」


 やはり音楽は、控えた方がいいんだな――


 会社によっては、情報漏洩などのリスクを踏まえた上でツイッターやライン、フェイスブックなどのsnsでの活動を禁止するところはあり、YouTubeやニコニコ動画での活動も当然の事ながらご法度なのが当たり前となっている。


 幸いにして和彦達は、ほんの僅かな広告収入だけだったので問題になる事は無く、YouTubeのアカウントを消しただけで処分は終わった。


「てかね、あんたも競馬に興味があるのならば、いつでも教えてあげるからね! 土曜日はまた競馬よー!」


 美智子はギャンブル狂いのダメ女ぶりを周囲に見せつけながら、足軽に喫煙所の方へと足を進めていった。


「はぁーあ、ねぇ貴子姐さん、あんないい加減な人が上司でいいんですかねぇ……てか、大抵の工場の人って競馬とかやってるんだなあ……」


「まぁ、あのおばさんはちょっと終わっちゃってるからねぇ、間違えてもギャンブルに手を出したらダメよ。一平にも注意しようかしらねぇ……」


 貴子は、パチスロだけでなく、最近バイナリーオプションにハマりだしてしまった一平の顔を思い浮かべてため息をつく。


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