第16話 統合失調症その①

 冬の足音が近づいてきた11月の上旬、和彦と咲は仕事を終えて、会社近くの喫茶店『上亀珈琲』にいる。


 今の時刻は午後の18時近くであり、会社帰りのサラリーマン達が休憩をしにここに来る為、スーツ姿の人間達が多く見える。


 ライムの果汁が隠し味になっている一杯480円のアイスコーヒーを咲は口に運び、和彦を不安そうに見やる。


 和彦の今の顔は、何かに取り憑かれたかのような、それはまるで、薬物を常用してこの世を去っていった往年のロックスターの晩年の表情そのものである。


 人生に絶望をしているが、一縷の望みをかけて、悪魔の薬という覚醒剤の力を借りて音楽にのめり込み、最後は骨と皮だけになり、人生に絶望をして拳銃自殺をした海外のロックスター。


「ねぇ、朝霧さん……」


「ん?」


 和彦は豆引きの一杯380円程のホットコーヒーを口から離してテーブルに置く。


 咲の表情は不安そのものである。


「最近なんかすごい、修羅的にっていうか、なんか、てか……いやその、大丈夫ですか? 顔つきがなんかねぇ、やばいっすよ……」


「あぁ、いや、何でもないよ。悪いね、俺音楽にのめり込むと、こんなにね、顔がやつれたりするまでハマってしまうんだよ。あ、でもちゃんとご飯は取ってるからね」


 和彦は、先に心配をかけてなんか悪いなと思いながら、カフェラテを口に運ぶ。


「ねぇ和彦さん……? なんかね、あの美人の人と和彦さんが会ってからなんか、和彦さん変ですよ……」


「いや君には関係ない……」


(何故俺が何も話してないのに分かるんだ? 女の勘ってやつなのかこれが……)


「でもなんか、その日からなんか、やつれちゃってますよ。失恋でもしちゃった感じですか〜?」


「君には関係ないって言ってるんだ!」


 和彦は、思い切りテーブルを叩き、煙草を口に咥えて火をつける。


 周囲の客は、ただならぬ様子から、このカップルらしき男女が別れ話でも進んで喧嘩している修羅場なのかと、退屈な日常での憂さを晴らすかのようにしてジロジロ見ている。


「す、すいません……」


 咲は涙目になり、和彦に謝る。


(この子、俺の事を相当気を使ってくれているんだな、なのに俺ときたら、あんな事を……!)


 和彦がここまで怒ることは全くなく、一平の悪戯に軽くキレるぐらいで、脳の血管がくっきりと青く浮かび上がるのを先は今まで見た事はなく、逆鱗に触れてしまったのだなと後悔する。


「……だが、咲ちゃんの心配は嬉しい。この前の女の子は、昔の知り合いだ。俺の悩みはそれではなくな、鴉の鳴き声が耳にこびりついていて離れないんだ。音楽に傾倒すれば少しは消えるかなと思っていたが、消えないんだよな。どうすれば良いのかなぁ……?」


 和彦の言葉は、琴音とのことを詮索されて欲しくないので嘘を交えているのだが、鴉の鳴き声が五月蠅いというのは本当であり、昼間だけでなく夜まで聞こえてきて、心療内科の薬が効かなくなってきているのだ。


「そうですか……うーん、心療内科に通って睡眠薬を処方してもらうとか……」


「いや、心療内科に通っていることが周りに知られたら、俺は会社にいられなくなる。君も知っているだろう、精神に病を抱える人間が職を追われてるのを……」


「うーん、私の前の職場でも鬱病になって休職した人がいたけれども、光画社さんではそれが出来るんですかねぇ? その制度を利用したほうがいいかとは……」


 5大成人疾患のうちの一つに、精神疾患があり、鬱病や統合失調症が挙げられる。


 和彦が掛かっている統合失調症は木の幹のように色々な種類が枝分かれをしているのだが、大元の原因が脳の器質が先天性の異常や環境や人間関係などの外因性のストレスなどにより神経伝達物質の分泌異常が巻き起こり、それにより幻覚や幻聴、果ては幻触などが現れる。


 治療方法は投薬治療と認知行動療法なのだが、投薬治療で副作用でブクブクに太った人間や、女性で妊娠していないのにも関わらず母乳が出る等、それだけ危険な薬を飲んでも完治した人間は全体の約30%程である。


「気持ちはありがたいが、気合いでなんとかするよ。今日はそろそろ帰るよ、なんか最近疲れが酷いから。お代は俺が払うからゆっくりしていてね。また明日な……」


「朝霧さん……え? ん?」


 和彦の隣には、髪が長い黒髪の女性が和彦に寄り添って立っているように咲の目には見えるのだが、見間違いだろうと目を擦ったら女性は消えており、和彦の疲れ切って猫背気味で丸くなった背中が見える。

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