第5章 インスピレーション
第30話 危機回避
音楽祭が終わった後のX市は、いつものように、市街地にも関わらず、閑散としており、古びた雑居ビルや、客の入りが悪く大して旨いものをそんなに出すわけではない飲食店、赤字は日常茶飯事の中小企業、頭が悪い人間を排出するだけの場所と化した、偏差値がお世辞にも高くはない学校がある寂れた街に戻った。
だが、音楽祭で彗星のように現れたバンド、K&Sの噂は尽きず、この街にいるのではないかとか、どこかで聞いた声をしているとの噂が音楽祭に来た観客の間でまことしやかに流れており、その噂は和彦や咲に、一平を通じて小耳に挟む事となった。
金曜日の週末、和彦達はもはや溜まり場と貸しコンテナの中におり、泡銭で稼いだ残りの金を使いカメラを買い、動画の撮影をしている。
「えー、S&KのSとKです! 今日は、音楽祭で歌いきれなかったレクイエムを歌います!」
曲の演奏をする事5分後、演奏が終わった彼等はカメラの前でお疲れ様と言い、一旦撮影を終えて、和彦はこれまた動画編集用に購入した最新式の高性能のノートパソコンを開いてカメラについているSDカードをとり、ノートパソコンに動画データを転送する。
「ここはこうしておいて……」
咲はつけているおかめのお面を外して、真剣な顔つきで動画編集をしている和彦を愛おしげに見つめている。
朴念仁の和彦は、自分がかっこいい奴だと咲が思っているのを露知らず、プロのように淡々と編集に取り掛かっている。
「フォントはもっと大きくできない?」
「そうだな、この表示をでかくして……」
動画編集を和彦がしていると、咲の胸が背中に当たり、思わず股間に血液が漲ってしまい、軽く勃起してしまい、慌てて息をついて、興奮して充血してしまった血液の流れを戻そうとする。
「これでばっちりですよね! きちんといい音が撮れてるし!」
咲は思わず、和彦に抱きつき、はっと我に帰り、慌てて体を離す。
「嫌っ」
咲は和彦の、そそり立つ愚息を見て嫌悪感を覚える。
男性経験がないというわけではなかったのだが、自分と付き合った男性は、自分に魅力があるのかよく分からないが、兎も角よくセックスを望んでくる、性欲が盛んな連中ばかりだったなと、慌てて顔を赤らめて、勃起した愚息をどうにかしようとしている和彦を見て、咲はプッと吐き出す。
「ウブだなぁ〜」
「え?」
「いや、何でもない。気分転換に何か軽く食べにでも行きませんか?」
「あぁ、よく考えたらおにぎりしか食ってないな。ファミレスに行くか」
「そうね」
彼等はパソコンを閉じて、床に置かれている薄手のアウターを羽織り立ち上がる。
コンテナの外に出ようとすると、和彦の背筋に何かいやな予感がし、思わず後ろを振り返るが、そこには咲の顔だけしかなく、鴉がいないんだなと安堵して扉を開ける。
『ギャアギャア……』
鴉が不気味な声を上げながら、和彦の前を飛び去っていき、和彦は思わず軽く悲鳴を上げてのけぞる。
「どうしたんですか?」
「鴉が……」
「え? いや何もいないっすよ、そこ」
和彦は咲にそう言われて我に帰り、辺りを見回すが、そこには、街頭に照らされた民家と自販機、そんなに交通量が多くない道路が視界に広がっており、先程の鴉は幻覚だったのではないかと思いながら、ブーツを履く。
♫♫♫♫
和彦達は当然のことながらサラリーマンが本業であり、本業をして給料が入りそれを生活費に当てている。
「ねぇ私、時給上がったんですよ」
駅前のファミレスに彼等はおり、一杯200円のビールと600円程度のパスタ、ハンバーグに舌鼓を打ち、ドリンクバーを飲んでいる。
咲は時給が上がった事を嬉しそうに和彦に話し、ハンバーグを口に運んでいる。
「いくら上がったんだ?」
「30円アップですねー1080円になりました!」
「そっか。今のうちに貯金しておいた方がいいかもな。最賃上がったろ? うちはそんな影響はしないみたいだが、中小の企業さんはなんかな、人件費稼がないといけないからリストラとか進める所もあるみたいだ……」
和彦は咲の行く末を案じながら、自分に一人の派遣社員の人生をどうにかできる力は無いんだと思い、自分の無力さからくる悔しさをかき消すようにビールを口に流し込む。
「貯金かぁ〜しなきゃなあ。てか、競馬の残りの金、あんな貰っちゃっていいんですか? 和彦さんももっと多く取ってもいいし……」
「いいよ、俺あんだけで。てか、そんな多くはなくね? 俺5万で咲ちゃん10万だろ? ミニボーナスだよ、どうせボーナスとか出ないんだろう?」
競馬の残りの金は15万ほど余ったのだが、和彦が5万円、ボーナスが出ない咲は10万円の取り分にしようと、和彦は一方的に決めており、咲は和彦になんか申し訳ない様子で一杯である。
「ありがとうございます。冬のアウターとセーターでも買おうかなぁ。本格的な防寒仕様のやつとか。新しいダウンジャケット欲しかったんですよねー」
「俺は、新しいアウターだな。ネット見たら4万円の本物のN3Bがあったんだよ」
「お! 良いですねそれ! それにしましょうよ! 和さんそんな買ってないでしょ?色んなものとか音楽以外で。たまには自分のものを買っても良いんじゃないですか?」
「そうだな、そうするよ……」
和彦の脳裏には、昨日ネットショップで見た中古のコヨーテファーのN3Bの良品が頭に浮かんでくる。
「てかね、私、来週の土曜に貴姐さんから、クラブに行かないかどうかって誘われてるんですよ。和さんもどうですか?」
「クラブか〜うーん、俺それにあんま興味ないからな、咲ちゃん一人で行ってきなよ」
「うん、一平さんもいるんですよ。でもまぁ、一人で行ってきます」
「あ、あぁ」
和彦の隣の席に、今風のヒップホップスタイルに身を包んだ20代前半の黒人の男性と日本人のグループが入ってきて、深夜にも関わらずにスマホで動画を大音量で流して喫煙をしている。
(ヤベェ、目を合わせたら速攻で殴られる!)
和彦は大学生の時にライブハウスに一人で出向いて、チンピラに絡まれてボコボコに殴られて有金全部を奪われたのを思い出して慌てて目を背ける。
「俺らのライブめっちゃ盛り上がったべ!」
黒人はDJなのか、ライブが盛り上がった事を自慢げに話している。
(ラップかー、これ俺たちの活動にそんな役に立たないしなぁ。ちょい前に軽くEDMは流したけれども本場のものに比べたら屁のようなものだったし。いや、まてよ、これは……)
日本人のラッパー風のスタイルに身を包んだ男は、目を背ける咲に向かってナンパなのか、口笛を吹いている。
「咲ちゃん、俺もやっぱクラブに一緒に行くわ、君になんかあったら俺は……」
「俺は……?」
「あ、いや……」
和彦は咲に先程の発言の意味を尋ねられて、思わず口をつぐんで目を逸らす。
(咲ちゃんが好きだなんて俺には言えない。
俺のようなクズ人間のオタク野郎よりも、この子には今風のできる男の方が合っている。俺なんかより……でも、こんな馬鹿に何かされるのを黙ってみていたくはない……!)
「いや、変な連中ばっかいるかもしれねーから、レイプされて欲しくねーから、ボディガードのつもりでいくわ、そんな役に立たねーかも知れねーけどさ……」
和彦の発言に咲は少し、どきりとしたが、直ぐにいつもの表情に戻り、スマホを手に取る。
「和さんも一緒に行くって伝えておくね」
「あ、ああ……てかな、出ないか、すぐ……タクシーで家まで送るわ」
和彦は伝票を取り、性欲にまみれた目で見やるDJらしき連中から逃げるようにして、咲の手を取りファミレスを後にした。
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