第六章 転機

第39話 インスタグラム

 和彦と咲が、オンラインゲーム上の人物だった事を知ってから月日は流れ、『マンドラコア』でのライブを二週間やり、12月に差し掛かった時のことだ。


「よう、非モテ野郎……!」


 朝の勤務開始前、和彦はロッカールームで着ている古着のMA1を脱ぎ、薄い青色の作業着に着替えていると、一平が後ろから勝ち誇った笑みを浮かべながら入ってくる。


(こいつ、俺が彼女いない事を小馬鹿にしてやがる……!)


 クリスマスの時期になると、彼女がいるリア充の一平が、非モテの和彦を弄るという毎年の恒例行事を周囲の社員からも失笑が漏れる。


「いやぁ、君は相変わらず、毎年ぼっちのようだが、今年は違うみたいだねぇ……」


 一平は悔しそうな、そして羨ましそうな表情を浮かべている。


「……?」


 和彦は着替え終えて、タバコを吸いに行こうと手で合図をする。


「てか俺は毎年ぼっちなんだがな……」


「……お前、いい加減に告白しちまえよ……!」


 一平の一言を和彦はよく分からないまま、喫煙所へと足を進める。


 ♫♫♫♫


 クリスマスまで三週間を切った土曜日の夜、和彦達は『マンドラコア』でいつものようにライブを終えて、閉店までまだ時間がある店内でジーマとハイネケンを飲みながらフライドポテトをつついている。


 他のバンドの曲で踊り狂う客を見て、自分たちの方が上手いんだよと和彦は思いながら、ハイネケンを口に運んでいると、満足そうな笑みを浮かべた篤が近づいてくる。


「いやぁ、なんかすごいなお前ら……!」


「いえいえ、こちらこそこんなに素晴らしい場を提供してくださって有難うございます……」


 和彦達は篤に深々と頭を下げる。


「まぁ、飲んでくれ。そうだ、うちな、インスタグラム始めたんだよ、今更だがな。店の中の写真撮ってるんだが、お前らを写していいか?」


 篤は俺の奢りだ、と言って封の空いてないジーマを手渡し、スマホを見せる。


「えー、とうとう始めちゃったんですか!? インスタ! 良いですよ、撮りましょう!」


「うーん、でもなぁ……これは……」


 先月に会社からSNSは禁止だと言われたばかりの和彦は、篤の誘いにはあまり乗り気ではない。


「きちんとモザイクかけるから平気だよ」


「そうですか、ならおなしゃす!」


 咲は、ライブ後で体が疲れており、余計に酔いが早くなったのか、篤のスマホの前でピースサインをする。


「こら咲ちゃん! でもまぁ、モザイクならば良いか……」


 和彦は一抹の不安が頭によぎりながらも、気心が知れている人間が言う事は本当だろうなと思い、ジーマを口に運ぶ。


「よーし! いいもの撮ってやるからねぇ! 楽しみに待ってろよ!」


 篤は、スマホを操作してガハハと笑い、タバコに火をつける。


 ♫♫♫♫


 病室のような、壁や床が真っ白な部屋に和彦は立っている。


 ベッドの上には、琴音が寝かされており、顔面は蒼白で生命維持装置なのか、全身に点滴と機械の管が繋がれている。


(琴音……? いや確か俺はついさっきまでは、淀川さんの店で飲んでたんだが、ここは……!?)


 今の状況に至るまでの和彦の記憶では、『マンドラコア』でライブをして、その後に咲や篤と飲んで、そこからは覚えてはいない。


 窓の外は、やはり12月であるためか、葉が落ちている木々と、寒々しい空が広がっている。


「シクシク……」


 琴音は何かに怯えているのか、泣き始めている。


「琴音……! どうしたんだ……? てかお前、体のどこかが悪いのか!?」


 興味がないといえば嘘になるのだが、かつて昔心底愛した女性が病床につき、涙を流しているのを見ていても立ってもいられなくなり、和彦は思わず琴音の元へと歩み寄る。


「和彦さん、私ね……」


「う、うん……?」


 窓の外の枯れかかった木々の枝に、どこからともなく鴉が飛んできて止まり始め、ギャアギャアと叫び声を上げながら、蝋人形のような目で和彦をじろじろと見やる。


「あなたとまた一緒になりたいの……」


「琴音、それは……」


 ーー俺は、他に好きな人がいるんだよ、見向きもされないだろうがな。


 和彦はそう言おうとしたのだが口を閉ざし、琴音の手を握りしめる。


「!?」


 病室の窓ガラスが割れて、無数の鴉が和彦の方へと向かってくる。


 ♫♫♫♫


 和彦は、金切り声をあげたのか、高音域の自分の悲鳴で目が覚める。


「か、和さん! どうしちゃったんですか!」


 和彦の目の前には、咲が不安そうな表情を浮かべて和彦を見ている。


「うーん、ここはどこなんだ……!?」


 和彦は慌てて周囲を見渡すと、そこは自分の部屋であり、咲が自分を介抱してくれたのではないかと疑問に思う。


「えーとねえ、『マンドラコア』で酔い潰れて、タクシー呼んで帰ったんですよ! 和さんトイレで吐いちゃって大変だったんですよ! 鍵をポッケから探し出して部屋に入ったんですよ!」


「え!? マジで! いやごめん! やべぇな、篤さんに謝らないとな……」


 和彦は自分の部屋の時計を見やると、午前4時となっており、流石に今の時間だと迷惑だろうかなと思い、明日だなと呟いて溜息をつく。


「てか、早くシャワー浴びて! ゲロ臭いから! ズボンなんかゲロ塗れですから!」


「あ、あぁ、ごめん……」


 全身から微かに臭う吐瀉物の匂いに、和彦はやっちまったなと心の中で溜息をつく。


「私からLINEしときますからね、淀川さんに! まったく、心配したんですからね!」


 咲はスマホを操作して、淀川にラインメッセージを送ろうとして、はっと気がつく。


「そうだ、淀川さんインスタやってたって言ってましたよね、うちらの写真とか写ってるのかなあ?」


「そうだよな、なんか気になるから見てみよう」


 和彦は『マンドラコア』のホームページを開いてインスタグラムをチェックする。


 そこには、店の写真と、ライブしたバンドに混じり、和彦達の顔写真がモザイク無しに写っている。


『超期待の新人! S&Kの素顔!』


「おいこの人俺らの個人情報書いちゃってるよ!」


「あら本当だわ! やばいわね……!」


 和彦はLINEを開き、淀川のトークページを開く。


『家に着いたかい? ライブお疲れさん、ゆっくり休んでね(^^)』


「ライブお疲れ様ですって……」


「それどころじゃねーよ!」


 和彦はすぐに篤に電話する。


 呼び出し音が三回鳴り響き、篤が出た。


「どうしたんだ?」


「どうしたんじゃないっすよ! 俺らの正体出ちゃってるじゃないっすか! 消してくださいよ!」


「え!? まじか、ごめん、俺酔っ払ってたわ! すぐに消すからな!」


 篤はそう言って電話を切る。


「どうしよう、会社の人に知れたら……」


「いや多分大丈夫な筈だろうかもな、多分な……そろそろ寝よう、遅いからな」


「え、ええ……では、おやすみなさい」


 咲はそう言うと、そそくさと手荷物をまとめてアウターを着て部屋から出ていく。


(さっきの夢は何だったんだ……?)


 和彦は夢の事は鮮明に覚えており、とりあえず服を洗濯しようと服を脱ぎ捨てて浴室へと足を進める。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る