第24話

 目に映るのは、地平線に沈んだ夕日の残照の様に闇夜を照らす街を燃やす火の明かりとそこから幾筋も立ち昇る黒煙。風に乗ってひらひらと舞う雪のように白い灰。耳に聞こえるのは、悲鳴の様な甲高い声で喚き合うような人々の声と絶え間なく続く銃声。

 ——まるでこの世の終わりのような光景だ。

医師ドクターフランシス氏の見立てに間違いはないでしょう」

 カリーナ王女の侍女に鉄扇で頭を殴られて意識不明になったベーデン外務次官の容態を診察したハリス曹長は、その診察を後ろで見ていたクレイン王国外遊団の護衛隊長ホッチス大尉に報告した。

 「助かるのか?」

 「分かりません」

 ホッチス隊長に問われたハリス曹長は、少しの間も開ける事無く答えた。

 「頭の皮を剥いで頭蓋骨を切り開けば怪我の具合が分かりますし、治療も出来るかもしれませんが——それで助かっても、その治療が原因で亡くなる事もありますし、それが原因で重度の後遺症が残る可能性もあります」

 ハリス曹長の説明に、ホッチス隊長の眉間に寄っていた皺がより深くなった。

 「どうにかならないのですか?」

 ベーデン外務次官の補佐を務めているドゥイッチ補佐官が困り果てた顔で言った。

 「どうにかは出来ますが、どうなるかは分かりません」

 ハリス曹長の言葉に、ドゥイッチ補佐官は途方に暮れたように天を仰ぎ深いため息を吐いた。

 「何でこんな時に……」

 革命軍を名乗る反乱者達の武装蜂起で燃えている王都の光景を窓越しに見たドゥイッチ補佐官は、もう一度深いため息を吐いた。

 「ホッチス隊長、あなたならこの状況でどのような手段を講じますか?本来なら、本来なら私がベーデン外務次官に変わってこの状況に対応しなければならないのですが……私には何一つとして打つ手が思いつかないのです」

 「ドゥイッチ補佐官、あなたが外務次官の補佐官に任命されたのは、あなたにはその職務を全う出来るだけの能力があると認められたからです」

 「だとしたら私の能力を見誤ったか見当違いをして私を外務次官の補佐官に任命したのでしょう。げんに、今の私はこの状況に対して何の手立ても立てられていない」

 完全に自信を喪失してしまっているドゥイッチ補佐官から視線を外したホッチス隊長は、思案をする様に視線を上げた後、何故か僕の方へ視線を向けた。

 「ウィル。お前ならこの状況でどうする?」

 ——……え?

 「僕……ですか?」

 「何でも構わん。言ってみろ」

 ——えぇー……

 唐突なホッチス隊長の無茶振りに、僕はどうに言い逃れが出来ないかと必死になって言い訳を考えている悪ガキの様に「あー」とか「んー」とか言いながら目をきょろきょろと泳がした。

 「これが今のドゥイッチ補佐官です」

 ——……ん?

 「……どういう意味でしょう?」

 ——そうだ、そうだ。どういう意味だ。答えによっては鉄拳制裁も辞さないぞ。

 「分かりませんか?何故この一兵卒がこうも見っともない態度を取ったのか」

 ——あんたが急に無茶振りをしたからだろう!

 「それはホッチス隊長が彼が思いもしないことを聞いたからでしょう?」

 ——そうだ、そうだ。あんたが訳の分からん事を言うからだ!

 「……思いもしない事を聞いたから何です?私もあなたも、そこの一兵卒も、その思いもしない事に対処するためにずっと研鑽を積んできたのではないですか?それなのに……思いもしなかったから答えられない……?くそくらえ!貴様のその優秀なおつむは飾りか?違うならそのだらしなく垂れ下がった尻尾を今すぐおっ勃たてろ!分かったか、この腰抜けの負け犬野郎!」

 ——あ~あ、キレちゃった。それじゃさっきまでの紳士的な態度が台無しだよ。ホッチス隊長らしいと言えばらしいけど。

 「何だ、その情けない間抜け面は?ママとはぐれて迷子になっちまったのか?だったら私がとっておきの方法を教えてやる」

 そう言ってホッチス隊長は窓ガラスがガタガタと音を立てるくらいの腹に響く雄たけびを上げた。

 「どうだ?これなら間男とイチャついているママも素っ裸ですっ飛んで来るぞ。貴様もやってみろ」

 「えっ……?」

 ホッチス隊長に無茶振りをされたドゥイッチ補佐官は助けを求める様に僕とハリス曹長を見た。

 ——すみません。お気持ちは非常に良く分かりますが、そうなったホッチス隊長は誰が何を言おうと止まらないのです。抵抗するだけ無駄ですので、諦めてホッチス隊長の指示、ではなく、命令に絶対服従して下さい。それが被害を最小限に抑える唯一無二の最善かつ最短の方法なのです。

 「何処を見ている?気になる男に色目でも使っていたのか?」

 額がくっつきそうな距離までホッチス隊長に詰め寄られたドゥイッチ補佐官は、逃げ場を失った野良犬の様に限界まで顔を逸らし視線を泳がせた。

 「何処を見てる!私の顔がお気に召さなかったのか?ふざけるな!世界広しと言えど、そんな事を私に言って良いのは、私の可愛い我儘でクソ生意気な娘だけだ!」

 「この部屋には意識不明の重体の患者が居るんですけどねえ」

 ハリス曹長の非難めいた小言は、案の定ホッチス隊長には届かなかった。

 「うちのクソ可愛い娘がお父様のお髭はちくちくするから嫌いというから髭を剃ったら、どうなったと思う?お父様のお髭が無いと泣いて、お髭が無いお父様は嫌いと言いやがった。貴様はうちの世界一可愛い娘より可愛いのか?貴様はうちの古今東西に比類のない唯一無二の愛らしさを持つ娘より私のことを愛しているのか?私は誰に何を言われようと思われようと気にしない。私はどんな苦境が立ちはだかろうと、どんな苦難が待ち構えていようと、私は決して逃げない。私は娘が誇れるお父様であるためなら、出世も名誉も名声も家名も何一つとして惜しくはない。覚悟しろ、ドゥイッチ補佐官。私は娘に嫌われないためなら何でもするぞ。嫌なら結果を出せ。よく頑張りましたと世界一可愛い娘に私が褒めて貰えるように」

 ——だから怖いんだよ、ホッチス隊長は

 

   ♦♦♦♦


 馬に鞭を入れて帰路を急ぐ馬車の列と主人の指示を受けて王城の外へ駆けていく従者たち。王城に残された夫人や令嬢が休むための部屋を用意するために廊下を速足で行き交う使用人達のせわしない足音。窓から聞こえる反乱者達は一族郎党一人残らず死刑にしてしまえと好き勝手に喚く王城に残った何の役職にも就いていない手持ち無沙汰の貴族家当主たちの声。

 「私には理解できない」

 「だから誰もカリーナお姉様に悪企みを持ち掛けないのよ」

 ちょっとした気の利いた冗談を言った後のような得意げな微笑みを浮かべるソニアに、カリーナは嫌な臭いを嗅いだ時のように眉間に皺を寄せた。

 「あなたは自分が何を言っているか分かっているの?あなたはこの国を統治している王家の一員なのよ。それが悪企みを持ちかけられて——」

 「何でそんな恥知らずな自慢げな顔をしていられるの?ねえ、カリーナお姉様。カリーナお姉様は御存知?どうしてこの部屋が塵一つない綺麗な状態を保てているのか」

 ソニアの子供でも知っている至極当たり前の問いに、カリーナは怪訝な表情を浮かべて言った。

 「使用人達が毎日くまなく掃除をしてくれているからよ」

 そうですねとソニアは頷いた。

 「ではその使用人達が拾い集めたゴミや拭き取った汚れは何処から来たのでしょう?どうして毎日使用人達が隈なく丁寧に掃除をしているのというのに、何故この部屋からゴミや汚れが無くならないのでしょう?」

 「それは……」分かる訳がない。大きなゴミや目に付く汚れなら見当はつくだろうが、目を凝らしてようやく分かるようなゴミや言われなければ分からないような汚れがどうしてこの部屋にあるかなんて、毎日この部屋を掃除をしている使用人達にだって皆目見当がつかないだろう。

 「髪は抜け落ちた瞬間ゴミになる。鏡に手が触れた瞬間、そこは汚れてくもってしまう」

 「あなた分かっているの?今がどんなに深刻な状況か。今はそんな訳の分からない話をしている場合じゃないのよ。ねえ、ソニア。私をあなたを責め立てるためにあなたに会いに来たんじゃないわ。私はあなたを助けるためにここへ来たの。だから——」

 「だからお姉さまにとって都合の良い嘘を吐け?」

 ソニアの皮肉気な口調に、カリーナは思いがけない意表を突かれたように顔をした。

 「私、カリーナお姉様のそういう純粋な所が好きよ。だけど今は……だからお姉様は理解出来ないのよ。何故私があの男の口車に乗ったのか」

 「そうね。分からないわ。何であなたがあんな軽薄な男の言う話に乗ってこの国を捨てようとしたのか。何であの男の話を私達に教えてくれなかったのか。そうすれば——」

 「無理よ。たとえ私があの男から聞いた話をお姉様やお父様に話していたとしても反乱を止めることは出来なかったわ」

 「それはあなたの勝手な予想でしょ?」

 「予想じゃないわ。事実よ」

 反論をしようとしたカリーナの口を塞ぐようにソニアは言葉を継いだ。

 「だから反乱は起きるのよ!そんな軽々しい考えだから反乱を起こされるのよ!何でそれが分からないの?何で彼等の覚悟が本物だって思わないの?彼らは本気よ。本気で私達を打倒してこの国を変えようとしている。お姉様はどう?お姉様は本気で彼等と分かり合おうと思ったことがある?本気で彼等が反乱を起こそうとしているのを止めようとしたことがある?」

 物事を深刻に受け取る事のない楽観的な人間だと思っていたソニアが自分自身以上にこの反乱に危機感を抱いていた事に、カリーナは大きな衝撃を受けた。

 ——これがソニアなの?これが本当のソニアなの……?何で?何で私は分からなかったの?何で私はこの子は何も考えていないと思っていたの?

 「だけどもう遅い。もう後はどちらかが力尽きるまで争うか、どちらかがそうなる前に降伏するか。お父様がどちらを選ぶかは分からないけど、どちらを選んでもこの国は終わるでしょうね」

 ソニアは悼むような寂しげな声で言い終えた。

 「覚えておいて、カリーナお姉様。人はお姉様が思っているほど気高くは無いし強くも無いって」

 


 

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