第3話

 方面軍の兵卒に求められる能力は配属される部隊の役目によって変わる。


 歩兵なら射撃と銃剣格闘。偵察なら隠ぺいと隠密行動。騎兵なら騎乗とサーベル剣術。


 なら僕が所属している第三近衛連隊の兵卒に求められる能力は何かというと、戦闘に関わる全てと言える。


 要人の護衛として時には敵国へと派遣される僕達に、一緒に戦ってくれる歩兵部隊はいないし、敵の動きを警戒・監視してくれる偵察部隊も、敵の側面や後方に回って敵軍の動きを阻害してくれる騎兵もいない。


 だから僕達、第三近衛連隊の兵卒は方面軍の兵卒とは一線をかくす広く高い能力が求められる。


 孤立無援の敵中からでも要人を自国まで護送できるだけの能力と精神力を。

 

 それが他人事ひとごとなら僕もなるほどと感心しただろう。


 必要と言われれば必要な能力だし、平凡より非凡の様が良いというのは誰もが当たり前に思う事だから。


 でも手品師の技を誰もが真似出来ないように、誰にでも出来る事じゃない。


 「何をやっている!急げ急げ急げ!お前の遅れが部隊の遅れになるんだぞ!」


 僕が第三近衛連隊に配属されて一年が経った。


 季節は初春。


 陽射しは暖かいが吹き付ける風は肌寒く、冬の名残を感じさせる。


 ——ウィル二等兵を衛生兵に任ずる——


 一年にも及ぶ第三近衛連隊基礎訓練課程を終えた僕は、これでようやくきつい訓練の日々から解放されると思った。


 「止血が終わったらすぐに運べ!もたもたするな!」


 重さも形も人と同じ、砂袋で出来た人形を肩に担ぎ上げた僕は、最新式のボルト操作式ライフルを片手に、戦場を模した訓練場を教育係の伍長に急き立てられて駆ける。


 「敵の攻撃だ!伏せろ!狙われているぞ!今すぐ反撃しろ!」


 担いでいた砂袋人形ごと地面に倒れ込んだ僕は、一息つく暇もなく背後に向かってライフルを構え、訓練場の端に点々と立つ案山子に向かって空撃ちする。


 一発、二発と弾を装填するボルトの横から伸びているハンドルを回して引くと、薬室に装填されていた空薬莢がくるくると空を飛び、引いたボルトを押して回して弾倉に入っている空薬莢を薬室に装填。


 「そうだ。お前の役目は敵を殺す事じゃない。負傷者を安全な場所まで運ぶことだ。よし、敵が怯んだぞ。急げ急げ!部隊の動きもそいつが生きるか死ぬかもお前の働きに掛かっているんだぞ!」


 過酷な第三近衛連隊基礎訓練課程を終えた僕を待っていたのは、平々凡々な兵隊暮らしではなく、次なる地獄、衛生兵基礎訓練課程の日々だった。


 「後一年の辛抱だよ、ウィル」


 同室の第三近衛連隊に所属して二年目のジョシュア一等兵が僕を慰めるように言った。


 「衛生兵は戦闘訓練より座学の方が多いんだろ?戦闘訓練ばかりの歩兵の基礎訓練はじゃなかったことを喜べよ」


 僕より三年、ジョシュア一等兵より一年早く第三近衛連隊に配属しているロニー上等兵が寝転んだベッドから顔だけを僕に向けて言った。


 「君も砂袋を担いで訓練をしてみるといい。歩兵で良かったと涙するに違いない」


 少数精鋭を標榜ひょうぼうする第三近衛連隊に他所よそより楽な訓練などない。


 「早く血を止めないと、今日の夕食はその子のステーキになりますよ」


 事前に注射した痛み止めの副作用で意識が朦朧としているとはいえ、右の前足を拳銃で吹き飛ばされてじっとしてられる豚がいるだろうか?


 僕は気が狂ったように暴れる豚の上に覆い被さり、必死にその傷口を止血しようと頑張るが、傷口から噴き出す血にまみれた手はぬるぬると滑り、何度も後少しという所で止血帯を締め上げる手を滑らせた。


 「人間も酷い怪我を負うと、その子と同様に気が動転して暴れる事があります。今の君の様に手が血に塗れてうまく止血出来ない事もあるでしょう。冷静になりなさい。焦ってはいけません。焦りは人から柔軟な思考と判断力を奪います」


 実戦経験豊富なベテランの衛生兵ハリス曹長の冷静沈着な声が、思うように止血出来ない苛立ちと早くしなければという焦りで一杯だった、限界ぎりぎりだった僕の自制心を狂わせた。


 「あああー、もう!何で暴れるんだよ!助けようとしてるのに!動くなよ!あーもう、だから動くなって!血が止められないだろ!」


 「落ち着きなさい、ウィル二等兵。君がいくら喚いたところで状況は何一つとして好転しません」


 「だから何です?!出来る限りの手は尽くしてますよ!これ以上どうしろって言うんですか?!」


 「その子に投与した痛み止めの量を覚えていますか?痛み止めの効果は後どのくらい続くのか把握していますか?」


 「あーもう!ちょっと黙っていて下さい。今はそれどころじゃないんです!」


 追い詰められていた僕は、遠慮も配慮も無く感情の赴くままに怒鳴った。


 その直後のことだった。


 鼓膜に鋭い痛みが走り、目の前の地面が小さく爆ぜた。


 白煙と発火した黒色火薬特有の臭いが鼻をついた。


 ガチャリと撃鉄を起こす音が聞こえ、再度僕の眼の前の地面に銃弾が着弾して土が弾ける。


 「どうしたんですか、ウィル二等兵。手が止まっていますよ」


 「……正気ですか?」


 こんな近くで、しかも僕のすぐ眼の前を狙って撃つなんてありえない!


 「正気ですよ。銃弾が目の前に着弾するような戦場で怪我の手当てをする事に比べれば」


 あなどっているつもりはなかったけど、それでも僕は衛生兵という職務を侮っていたのだろう。


 「手当をすればまだ助かりますけど、ウィル二等兵はその子を見殺しにするつもりですか?」


 ハリス曹長に僕を責める色は無く、単純にどうするかを確かめている様に聞こえた。


 それが僕には恐ろしかった。


 人の生死に無頓着な死神の声のように思えて。


 「ウィル二等兵、最善が常に最善ではありません。手が滑って完全な止血が出来ないのなら、まずは手に付いた血を落とすなり、手が滑らないように指に布を巻きつけるなりしなさい。遠回りに思えるかもしれませんが、手が滑って止血出来ないと何度も失敗する事に比べたら、その方が確実で早いでしょう?」


 言われてみればその通りだ。


 むしろ何で僕はそんな当たり前のことに気づけなかったのか。


 「何があろうと常に冷静であることを心掛けなさい」


 「はい、ハリス曹長」


 歩兵には歩兵の、衛生兵には衛生兵の苦労がある。


 だからどっちが過酷でどっちが楽かなんて比較は意味を成さない。


 「それじゃあ、それからずっと豚の看病をしていたのか?徹夜で?」


 僕は厩舎で朝の日課であるエルザさんのお世話をしながら、隣で同じ様に馬にブラシ掛けをしている同室のロニー上等兵とお喋りをしていた。


 「君だって足を吹き飛ばされたら徹夜で看病して欲しいだろ?」


 ロニーは呆れたように鼻で笑った。


 「治った所で肉になるのが少し遅くなるだけだろ?」


 「撃たれて千切れた豚の前足があるんだけど、食べる?」


 「はっ、そんな端切れを俺が喜んで食うとでも?」


 ロニーの実家は僕の実家と同じ十把一絡じっぱひとからげの男爵家だが、彼の実家は懐中時計の工房を経営していて、かなりの資産家だ。


 実際、休みの日に一緒に出かけた時に彼が使ったお金は、僕の給金の半年分くらいはあった。


 「ロニーが要らないなら僕が貰ってもいいかな?」


 同室のジョシュア一等兵が馬の背から期待に満ちた笑みをひょいと出して言った。


 「ああ、もちろんいいよ。拾ったは良いけど、何かこう、食べる気が起きなくてさ、でもだからって捨てるのはもったいないだろ?」


 僕は近くの柵の出っ張りに引っかけていたバッグから布切れで包んでいた豚の前足を出して、嬉しそうな笑みで近寄って来たジョシュアに手渡した。


 「煮込んで食べるの?」


 「いや、時間が掛かるから焼いて食べるよ」


 「千切れたのは昨日の昼過ぎだから、茹でて臭みを取ってから焼いた方が良いかもね」


 「あー、そうだね。少し臭うし、そうするよ」


 ——二人とは仲が良かったの?


 ええ。同じ部屋で寝起きしていたというのもありますけど、二人とは不思議なくらいに気が合いましたから。


 ——そう。羨ましいわ。私にも親しくしていた人はいたけれど、気を許せる人は一人もいなかったから。


 僕らの出身が、実家の都合を考えなくてもいい木っ端貴族だったのいうのもあるでしょう。


 ——そう。私も……意味の無い妄想ね。生き方を変えることは出来ても、生まれを変える事は出来無いもの。


 僕はあなたの友人になれそうですか?


 ——会う度に記憶を失くしている友人なんて嫌よ。


 それは残念です。


 ——でもあなたと会話する事は嫌いじゃないわ。


 僕もあなたとお喋りをするのは嫌いじゃありません。


 ——以前のあなたも同じことを言ったわ。


 本心ですから。


 ——ふふ。それも言っていたわ。


 あぁ……そうですか。ですが僕は何度聞かれても同じ言葉を返しますよ。淑女レディ


 ——ありがとう、紳士ミスターウィル。私もあなたの胡散臭いペテン師の様な誠実な声が好きよ。


 そうでしょう。よく言われます。


 ——時間が来たみたい。また会いましょう、紳士ミスターウィル。


 はい。またお会いしましょう、名も姿も知らない淑女レディ


  ♦♦♦♦


 二年にも及ぶ過酷な訓練を終えた僕は、ようやく第三近衛連隊の兵士としての仕事を与えられた。


 「何をどうやったらこんな……言葉が出ないくらいに圧倒されます。外から見た姿にも圧倒されましたけど……これを作ったのは本当に人間なんですか?」


 「ベルバラード宮殿はクレイン王家の権威を世界に知らしめるために造営されたものだからな。もちろん作ったのは人間だ、間違いなく」


 ベルバラード宮殿から見える丘に建つベルバラード砦を本拠地にしている第三近衛連隊は、日常業務として各中隊が一週間交代でベルバラード宮殿の警備を行っている。


 「入る前にも言ったが、非常時以外は宮殿の中にライフルを持ち込むな。もしこの中でライフルが暴発したら、どうなるかは分かるだろ?」


 「歩くだけでも床を傷つけやしないかと冷や冷やしているのに、そんな事想像もしたくありません」


 「手袋も必ずつけろ。染み一つない綺麗な物を」


 「あのかすり傷一つない鏡みたいにピカピカに磨かれているドアノブのためですか?」


 「誰が触ったか判別が出来るくらいにはっきりと指紋がつくからな。言い逃れは出来んぞ」


 「何か罰則でもあるんですか?」


 「あると思うか?ドアノブを素手で触ったくらいで」


 「いいえ。でも先ほどティンバー中尉が言い逃れは出来ないと言っておられたので、何かあるのかと」


 「使用人頭に手垢一つのために呼び出されて長々と説教されるのは私だぞ。明確な罰則は無くとも、誰がやったか知りたいと思うのは、至極当然の絶対に解き明かしてやりたい疑問だと思わないか?」


 「そう、ですね」


 「よし。それじゃあ次は宮殿の外回りの説明だ」


 「え、もう終わりですか?まだエントランスからラウンジに入っただけですよ?」


 「宮殿の中は第一の管轄だから、私達がこれ以上中に入る事は許されていない」


 「ですが、中で何か遭った時はどうするのですか?宮殿の中に第一が駐留しているなんて聞いた事ありませんけど。居るんですか、中に」


 「王都育ちのお坊ちゃんたちが、宮殿以外に何も無いこんな辺鄙な田舎に来ると思うか?」


 「田舎育ちで都会の暮らしの事は全く分からないんですけど、そんなにいいものなんですか、都会の暮らしって」


 「さあ、どうだろな。実の所、私も都会で暮らしたことが無いから良くは分からない。だが、あいつらがここに来たがらないのは間違いのない事実だ」


 「でもこの中の警備を受け持っているのは第一なんですよね?どうするんですか、中で何か遭ったら」


 「そん時は中に入って良いとさ」


 「ティンバー中尉は中に入った事があるんですか?」


 「ある訳ないだろ。どんなに盛大な宴会が開かれても、我々に任されるのは外回りの警備だけなんだから。たぶん、うちで入った事があるのは連隊長と副連隊長くらいじゃないか」


 僕は宮殿の奥へと続く大きな両開きの扉を見つめた。


 「行くぞ。冷めた昼食を食べたくはないだろ」


 銀鎖でつながった懐中時計で時間を確認したティンバー中尉は、踵を返して宮殿の外へと足を進めた。

 

 ベルバラード宮殿の警備は本当に何も無くて、僕は外壁の外と内をぐるぐる歩く以外は、ハリス曹長から覚えるようにと渡された医学書や薬学書を読んで警備の大半の時間を占める何も無い暇な時間を潰していた。


 「今度の休みはどうする?俺と一緒に町に行くか?」


 町と言っても宿場町の様な小さな町で、僕達が楽しめるような娯楽は酒場と娼館、後はたまに開かれる露店市場の見物くらいだ。


 「市がやっているなら行くけど、そうじゃないなら僕はエルザさんに乗って遠乗りに行こうかな。ジョシュアも一緒に行かないか?途中で鳥を見つけたら撃って食べよう」


 「いいね。調味料の調達は僕がやるから、ウィルは鳥撃ち用の弾を頼む」


 「弾ならもうあるよ。廃棄される予定だった湿気った弾だけど」


 「素晴らしい。さすがはウィルだ。抜け目ないね」


 「君ほどじゃないさ。調味料は彼女から手に入れるつもりなんだろ?」


 「彼氏の特権だからね」


 「おいおい、何だよ。俺は除け者か?」


 「だって君は町へ行くんだろ?」


 「絶対に行くとは言ってないだろ」


 「じゃあ僕達と一緒に遠出に行くのか?」


 「俺と一緒ならクリーブ産の紅茶が飲めるぞ」


 「あぁ……紅茶はちょっと」


 「渋いよね。ロニーが飲んでる紅茶って」


 「お前ら本当に貴族出身か?紅茶を飲むのは貴族の嗜みだろうが」


 「うちではお客さんに出す物だから、実は君に呑ませて貰うまで紅茶の味を知らなかった」


 「嘘だろ……?ジョシュア、お前は飲んだことあるよな?」


 「ごく潰しの三男や四男にお高い紅茶を飲ませる余裕が貧乏貴族にあると思う?」


 「……お前らの実家は本当に貴族か?今日日きょうびそこそこの土地を持った農園主の子供だって紅茶を飲んだことぐらいはあるんだぞ」


 「姉の嫁入り道具を買うお金が足りないから、少しでもいいから送って欲しいと言われたことがある」


 「おい、ジョシュア。それってまさか……俺がお前にだいぶ前に貸した10シリルのことか?」


 「あの時は助かったよ、ロニー。ありがとう、感謝してる」


 「……だったらそう言えよ。お前の姉さんの為なら10シリルくらい喜んで出したのに」


 「ロイはジョシュアが友人のお金を当てにするような人間だと思っているのか?」


 「思ってねえよ。だけど……困っている友人に金を貸したいとも思わねえよ。そうだろ?」


 楽しかった。訓練はきついし、給金も休みも少なかったけど……それでも僕は、生まれて初めて生きる事が楽しいと思った。

 

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