第16話

 ”最悪に備え最善を尽くせ”

捕らえた男の首筋に彫られた文言もんごんに、ベルナルドは鼻を鳴らして嘲笑する。

 「最悪ってのは誰にとっての最悪だ?」

 椅子に手足をがっちりと拘束された男の背後から前へとゆっくりと足を進めたベルナルドは、猿轡と目隠しをされている男の握り締められた右手をこじ開けるようにナイフを突き刺して前後に揺する。

 痛みに耐えるように男の体が震えた。

 「お前にとっての最悪は何だ?」

 突き刺していた男の右手の中からナイフを引き抜いたベルナルドは、ナイフに付いた血を男の袖で拭き取る。

 「両手の指が使い物にならなくなる事か?」

 男のまだ無事な左手が、捕らえられた手から逃げる魚のように暴れた。

 「俺にとっての最悪は、あなどる事だ。だから俺は赤ん坊が相手でも決して侮らない。馬鹿げていると思うか?」

 ベルナルドは男の左膝にナイフを刺し込み、そこにある靱帯を断ち切る。

 「喋る事も自力で歩くことも出来ない赤子の、何を恐れる必要があると思うか?」

 男の頬をつらぬいたナイフが、その先にある歯茎はぐきに突き立つ。

 「だからお前達はたった一人の男に言いようにやられるんだ。どうしてか分かるか?」

 男の歯茎に突き刺さったナイフが魚の身を背骨に沿って剥がす様に前後に動くと男の口からくぐもった悲鳴が上がり、口に詰められた布が赤く染まった。

 「厳しい訓練を乗り越えた精強精鋭のタフガイがたった一人にやられるなんてありえないと思っていたからだ。図星だろ?精強精鋭気取りの大間抜け野郎」

 あまりにひどい痛みに気を失ったのか絶命したのか、動かなくなった男の顔からナイフを抜いたベルナルドは、その隣に同じ様に椅子に手足を拘束されている男の目隠しを取った。

 「良く見えないか?」

 ベルナルドはそう言うと、動かなくなった男の背後に回って目隠しを取った男の正面へ椅子を引き摺って移動させた。

 「握り締めていた右手にナイフを刺し込んだ後に左膝の靱帯を切って、それから顔のここに刺し込んだナイフをここまでこうやって切り裂いてやった」

 動かなくなった男の背後から手振りを加えた説明をしながらベルナルドは目隠しを取った男の表情をつぶさに観察して一つの仮説を立てる。

 「救われると思っているんだろ?」

 怖ろしい拷問をされると怯えてはいても、男の眼には無謀な試練に挑む修道士のような気概があった。

 「神の御許みもとに行けると思っているんだろ?」

 ベルナルドは動かなくなった男の背後から、目隠しを外された男の背後へと回った。

 「よく見ろ。これが神に選ばれた人間の姿か?お前達が信じている神は、たった一人の男に手も足も出ずに捕まったこの間抜けを両手を広げて迎え入れてくれるのか?」

 否定をしたのか反論をしたのかは分からないが、目隠しが外されている男はベルナルドを睨みつけてくぐもった怒鳴り声を上げた。

 「お前達が信仰している神が、寛大な神なのか分別のない無節操な神なのかは、俺とお前では意見が分かれるだろうが、どっちにしても迷惑な神だ」

 猿轡さるぐつわ越しに更に怒鳴り声を上げる目隠しを外されている男の顔を、その怒声が消えるまでベルナルドはじっと見つめる。

 「落ち着いたか?なら、話の続きだ」

 ベルナルドは拷問を受けて動かなくなった男の背後に回ると、果物の皮を剝ぐ小さなナイフを目隠しをしていない男に見えるようにかかげた。

 「何で俺がこんな意味のない事をしていると思う?」

 ベルナルドは、動かなくなった男の右耳を親指と人差し指でつまんで軽く横に引っ張ると、肉を切り分けるように右耳を頭から切り離した。

 「お前らが嫌いだからだ」

 切り取った右耳をベルナルドは向かいに椅子に拘束されている男の胸に投げつける。

 「他に理由があると思うか?」

 怯えと怒りが混じった、嘘を吐くな!俺から聞き出したいことがあるんだろう!と叫ぶ眼をベルナルドは鼻で嘲笑って、切り取った左耳を向かいに居る男の胸に投げつけた。

 「尋問されないのが不満なのか?」

 両耳を切り落とされた男の服でナイフの刃に付いた汚れを落としたベルナルドは、その刃をその男の鼻の下へ当てて、木を削る様に下から上へと刃を滑らせて鼻をそぎ落としていく。

 「本音を言うと、俺もこんな事はしたくない。じゃあ何でこんな事をしているのかって?」

 向かいの椅子に拘束されている男の胸に削ぎ落された鼻が当たり、男の股の上の切り取られた左右の耳の上に落ちる。

 「お前らが嫌いだからだよ」

 ベルナルドは両耳と鼻を切り取られた男の肩を起こす様に軽く叩く。

 「次は目をえぐる。その後は二度と声を出せないように喉を潰す」

 ベルナルドは向かいの椅子に座る目隠しを外されている男に小さな果物ナイフを向ける。

 「それが終わったら、次はお前だ。安心しろ。殺しはしない。お前もこいつも生かしてやる」

 ベルナルドの、尋問をするわけでもなぶり殺しにするでもない言動に、目隠しを外されている男は訝し気に眉間に皺を寄せ、そんなはずは無いと疑わしい視線をベルナルドに向けた。そんな男に、ベルナルドは底意地の悪い笑みを浮かべる。

 「神の御許に行けなくなるんだろう?自ら命を絶つと」


 ♦♦♦♦


 一度も洗ったことが無いのではと思うほど酷い臭いをさせる浮浪者ほどではないが、それでも顔をしかめずにはいられない臭いをさせた軍服を着た男が下水道から出て来たことに気づいた兵士は、踵から頭の上まで真っ直ぐに体を伸ばして敬礼をした。

 「強行騎兵中隊総員89名いつでも出撃可能です、カルセル隊長」

 「俺は個人的な私闘だとミゲルに伝えさせたはずだぞ。なのに何故全員揃っている?無理強むりじいでもしたのか、ポンペルド。他の奴等はその事を分かっているんだろうな?」

 「勿論全員分かっております。だから命じて下さい。俺達は何処の誰をぶっ殺せばいいんです?」

 カルセルは呆れたとくるりと目を回すと雲一つない空を見上げてため息を吐いた。

 「覚悟は出来ています。だから俺達も一緒に連れて行ってください」

 ——死にたがり共め。

 見上げていた空から、カルセルは精悍な顔立ちをしているポンぺルド曹長へ顔を向けた。

 「名誉も正義も無い戦いだぞ?」

 「そんな戦いが一度でもありましたか?」

 いいや、無い。そんな言葉は命懸けで戦った兵達の気持ちを思うと口が裂けても言えない。だが、無いものをあるとも言えない。

 口をつぐんだカルセルに、ポンペルド曹長は口の端を軽く上げて、あなたを責めている訳ではないと言う様に首を左右に小さく振った。

 「俺達は一蓮托生でしょう?俺達を置いて一人で行かないで下さいよ」

 カルセルが知らずに下げていた視線を上げると、どんな命令でも喜んで承諾すると言いたげなポンペルド曹長の笑みがあった。

 「話はミゲルから聞いています」

 「なら知っているだろ。いいのか?相手は俺達の同類と聖職者だぞ」

 「今までで一番殺しがいのある連中ばかりじゃないですか」

 「ハンッ。死にたがり共め。そんなに早く地獄に落ちたいか?」

 「肩身が狭くなったこの世より、戦友の居る地獄の方が居心地が良さそうですからね」

 

  ♦♦♦♦ 


  椅子に拘束されている拷問を受けた男達の傷口を布できつく縛って止血していたベルナルドは、反乱軍が密かに借りている一室に近づくかすかな足音を耳にした。

 ——誰だ?このアパートメントの住民か?いや、この足音は……

 大工道具の入った腰袋から抜いた釘打ちハンマーを手に、ベルナルドは足音を殺して玄関に向かう。

 集合住宅の中央にある回り階段を上がっていた足音が、ベルナルドが居る一室の階で止まる。部屋の数は四つ。全て反乱軍が借りていてベルナルドが居る階に人が住んでいる部屋は無い。

 足音が再び歩き出し、ベルナルドの予想通りベルナルドの居る一室の玄関の前で足音が止まった。

 「一人で来たのか?マルコと捕らえた二人はどうした?マルコ一人を置いて来たのか?」

 「マルコは……あの二人に託した」

 「託した……?俺が捕らえたあの二人にか?」

 ——どういうことだ?

 玄関ドア越しにアルス少尉の気が重そうなため息がした。

 「マルコは無事だ。よほどのことが無ければ死ぬことは無いだろう」

 「どういうことだ?何が遭った?」

 言い淀んでいるのか、考えているのか、少しの間を置いてアルス少尉はベルナルドの問いに答えた。

 「こんな事を言うと頭がおかしい奴だと思うだろうが……この世界には、見る事も感じることも出来ない存在が居る。正確には、極めてまれだが、見えたり感じることが出来る人間が居るが……」

 「おい待て待て。一体何の話をしてる?俺は何であの二人にマルコを託したのかを聞いているんだぞ?」

 「意味が分からない事を言っているとは思うが、最後まで聞いてくれ。この話をしないと、何で私があの二人にマルコを託したのかが説明できないんだ」

 アルス少尉は仕切り直す様に一呼吸おいて話始めた。

 「人に良い人間と悪い人間がいるように、それにも良い存在と悪い存在が居る」

 「天使や悪魔みたいにか?」

 「そうだ。人はそれを天使や悪魔、あるいは聖霊や悪霊と呼んできた。だがあいつ等は天使でもなければ悪魔でもない。そう自称する存在もいるが、大抵は詐欺師のような連中で、たとえ天使を名乗る存在であっても全く信用に値しない。中には助言や手助けをするために自称する存在もいるから一概にすべてが悪いという訳ではないが、まぁとにかく、奴らは基本的に自分達を天使や悪魔とは言わない。では奴らは自らを何と呼ぶかというと、これが千差万別で、個々の呼び方は個々の存在が自身の存在をどう定義しているかで変わる。たとえば、ある存在は自らを亡霊ゴーストと呼び、ある存在は自身を記憶メモリーソウルと呼ぶ」

 「俺が居ない間に何が遭った?今のお前は……誰だと言いたいぐらいに別人だぞ。あの二人を助けに来た仲間に幻覚剤でも飲まされて頭がおかしくなっちまったのか?」

 ベルナルドは左右に頭を振って、アルス少尉以外の隠れている気配がないかを探りながら言った。

 「君と同じ立場なら私も間違いなくそう思うだろうが、信じてくれ。私は正気だ」

 「だとしたら、余計に厄介だろ。明らかにおかしなことを正気な状態で言っているんだからな」

 まるで別人のような言動をするアルス少尉に苛立ち始めたベルナルドに、玄関ドア一枚隔てたアルス少尉のほくそ笑むような鼻笑いが聞こえた。

 「論より証拠だよ、ベルナルド」

 ベルナルドは驚きに目を見開き、玄関のドアを凝視ぎょうしした。

 ——どういうことだ……?あの野郎の……気配が……消えた?そんな馬鹿な!

 玄関のかんぬき錠を外して玄関のドアを一気に開けたベルナルドは、更に驚愕の表情を浮かべた。

 ——馬鹿な……ありえない……俺に気づかれずにいなくなるなんて、ありえない!

 回り階段の廊下の左右を見渡したベルナルドは、下りの階段へ走り、次いで上りの階段へ走り、階段の先をじっと見つめ目に見えないその先の気配を探った。

 ——ありえない。こんな……ありえない!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る