第39話
スペンサー王が降伏を決断した当初の王宮は、この世の終わりを告げられたみたいな混乱の極みと言った無秩序な状態だったが、予想外な反乱者達の紳士的とも言える対応によって現在の王宮は以前のような落ち着きを取り戻している。
しかしそれは遠目に見ればそう見えるだけで、王宮で働く人たちの顔には刑の執行を待つ囚人のような強い不安と恐れが入り混じった表情が浮かんでいた。
「スペンサー王と王妃殿下を除く、スペンサー王家に属する王子殿下、王女殿下の保護先が決定した」
スペンサー王が王子や王女の避難先として最初に提案したのはクレイン王国だったが、王子や王女が持つスペンサー王国の継承権がクレイン王国の介入を与える事になると、反乱者達の強い反対にあって廃案になった。
ということは、王子、王女の避難先に国外を選ぶことは出来ないと言う事だ。
人づてに聞いた話では、競売に掛けられた貴重な宝石を競り落とす様に、誰がどの王子や王女を引き取るか取り合っていたらしい。
「第一王子ディアート殿下の身柄は、王弟オックス公爵の預かりになり、第二王子エドワード殿下の身柄は、将軍フリューゲル侯爵の預かりとなった。第一王女カリーナ殿下と第二王女ソニア殿下は、前王妃殿下の御実家ルーシャ―辺境伯が預かる事になった」
王女たち以外はバラバラか。
「王族と言っても、親がいなきゃ親戚に引き取られる平民も同然だな」
僕は頷いてロニーに同意した。
「以前にも告知したが、我々は殿下たちの身柄が引き取り先に問題なく移送されるまで見届けなければならない」
僕達の役目は外交団の護衛だから本来ならそんな事をする必要はないのだけど、その護衛すべきドゥイッチ補佐官が、スペンサー王から殿下の移送が正しく行われたことを証明する証人に指名されたから、僕達はドゥイッチ補佐官を護衛するために殿下たちの移送に同行しなければならなくなった。
「現状、問題が起きる可能性は低いが、それはあくまでも、今のところはだ。いつ何があろうと対応できるようにしっかりと抜かりなく準備をしておけ」、
ホッチス隊長の訓示を最後に、毎朝行われている朝食後の通達会が終わり、その後は所属している小隊ごとに集まってその日の予定が知らされる。
僕はホッチス隊長の直属なので、その日の予定はハリス曹長から知らされる。
「午前中は第二小隊の戦闘訓練に参加して、午後からは手足の切断手術の実演講義を行います」
僕は昼食を食べ過ぎないように気を付ける事にした。
クレイン王国を発って一か月。予定では帰国しているはずの僕達は、スペンサー王国の第二王子のエドワード殿下と二人の王女を移送する輸送団の一員としてスペンサー王国の王宮を出発した。
事前の予定では、王弟オックス公爵が預かる事になっている第一王子のディアート王子も今回の移送に同行する事になっていたが、それは直前になって取りやめになった。
二人の王子を手にした貴族達が反旗を翻すのではないか、と恐れた反乱者達の強い反対にあって。
「だったら最初からそうすればいいのに」
「そしたらスペンサー王が降伏はしないとか言い出すかもしれないだろ。だからこの断りたくても断れない状況でディアート王子を人質に取ったんだよ」
断りたくても断れない状況というのは、この機会を逃したら二度と安全な場所には逃げられないだろう状況を指す。
それが王子や王女だけなら、話が違うとまだ強気な対応が出来たかもしれない。
だが今回の移送には、王宮に努めていた貴族や役人、その家族たちも同行している。
彼ら彼女達はこの機会を逃したら、次にいつ安全な場所へ逃げれるか分からない。これが最後のチャンスかもしれない。そんな人たちの命運が懸かっている状況で、誰がそのチャンスを駄目にするような事を言えるだろう。
「卑怯な連中だ」
勝つためならどんな汚い手段でも使う。
「でもそれが戦争だ」
誰かを助けるためには誰かを犠牲にするしかない。
「間違っているよ、こんなの……」
だけど、誰にもどうする事が出来ない。王国側の人間であろうと、反乱者側の人間であろうと、ディアート王子に犠牲になってもらうしかないのだ。
各々の大切な人や立場を守るためには。
「皆で歩いたら三倍は速く進めるのに」
「そりゃあんたら兵隊はそうした方が速いだろうよ。だけど、腹の突き出たお貴族様はそうはいかねえ」
四人乗りの乗車用馬車が十台。世話役の使用人が乗る荷馬車が六台。王子や王女の私物が乗った荷馬車が四台。武器弾薬・医薬品が乗った荷馬車が二台。これを機に王宮から逃げ出す貴族や役人たちの私物が乗った荷馬車が五台。水や食料が乗った荷馬車が二台の合計29台。これに護衛の騎馬や兵を乗せた馬車が加わるので、その列がどれだけ長いかは実際に見ていなくても容易に想像できるだろう。
そして更にこの長~い列の最後尾に加わるのが、スペンサー王国を
移動している道の前も後ろも視界の果てまで馬車と騎馬で埋まっている。
「あいつ等は鞭打たれたって半日も歩けねえよ」
長々と続く馬車の列は、尺取虫のように進んでは止まって進んでは止まってを繰り返し、一時間経っても僕の乗る馬車はスペンサーの王都から出られていない。
「この仕事は長いの?」
僕は、何気ない振りを装って聞いた。
「あ?あー、まぁ十年ぐらいだな」
「へー、じゃあもうベテランですね」
僕が聞いた話では、スペンサーではお貴族様や軍の荷物を運ぶには御者歴が15年必要らしいんだけど……どういう事かな?
と怪しんだ所で今から御者を変える訳にもいかないから、僕に出来るのは彼が何か悪さをしないか監視する事くらいしか無い。
「これじゃ、先が思いやられるよ」
「まったくだ。これじゃ、いつまで経っても到着できねえよ」
だから僕は嫌な予感がしていた。
でもそれは、いがみ合いや喧嘩といった気を付けていればどうにかなるような面倒な事が起きそうな予感ではなく、誰も予想していなかった天変地異のような事が起きるような予感だ。
そしてその悪い予感は、見張りの交代に来たホルス上等兵の強張った顔を見た瞬間、当たったんだと思った。
「今夜の夜食は……とにかく腹一杯食っとけ。うまいぞ」
夜食は一人一杯までで、普段なら決して腹一杯に食べることは出来ない。
何か言いたげな顔をしたホルス上等兵と見張りを交代した僕は、夜警の当直士官がいる部隊後列の指揮所に向かった。
「ご苦労。何か気になるような事はあったか?」
指揮所に入って来た僕に、居るはずのない副隊長のティンバー中尉が聞いた。
「いいえ。特に気になる事はありません」
「そうか……取りあえず、全員揃うまで隣の天幕で夜食でも食いながら待ってろ」
「はい。了解しました」
回れ右をして指揮所を出た僕は、僕が見張りにつく時には無かったその隣に設営された天幕の中に入った。
「ウィルか。他にまだ来ていないのは誰だ?」
ティンバー中尉が来たと思ったのだろう。僕が天幕の中に入った途端に静まり返っていた空間は、再びひそひそ声に満たされた。
「おい、ウィル。こっちだ」
呼べて行くと、「ほらよ」とシチューの入ったお椀とチーズの乗った平たいパンを渡された。
「何があったんですか?」
「あの馬鹿野郎が、ディアート王子を
「は……?いやでも、あのクソ野郎は——」軟禁されていたはず。なのに、「——どうやって……?」
「そんなことはどうだっていい。あの馬鹿が逃げただけなら監視していた奴らが間抜けだったで済む話だろ。問題は、反乱者共が人質に取っていたディアート王子をあの馬鹿が奪って逃げたって事だ」
あまりにも馬鹿げた意味の分からない非常識な話だったから思い至らなかったけど、冷静になって考えると、あの馬鹿がやったことは、皆がこれ以上延焼しないようにしている所へ、大量の油をぶちまけて消えかけていた火を盛大に燃え上がらせたようなものだ。
「あのクソ野郎……」なんてことしやがったんだ。「正気の沙汰じゃない」
これじゃ、全てが台無しだ。あのクソ野郎のせいで、抗戦派の貴族や強硬派の反乱者達を抑え込んでいた人達の努力が全て水の泡だ。
「俺達は全てを敵に回したんだ。この国の全ての人間を」
あの馬鹿がこんな事をするまでは、僕達は誰の敵でもなかったのに。
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