第40話

 ——現在、我々と王国と反乱者達の代表が集まって話し合いをしている。が、その状況は最悪だ。

 それはそうだろう。あのクソ野郎がした事は、スペンサー王国と反乱者双方の信用を裏切る行為なのだから。

 ——だから我々は最悪に備える。

 「ウィル。お前はいい。お前は一つでも多く治療に必要な物を持っていけ」

 予備の銃弾を受け取る列に並んでいた僕はその列を離れると、医薬品や治療に必要な道具が乗っている馬車へ向かい、背嚢と肩下げバッグに詰め込めるだけの物を詰め込んだ。

 ——我々はこの丘に陣取り、我々に危害を加えようとする勢力からドゥイッチ補佐官を連れて退却してくる隊長たちの支援をする。

 「俺が許可するまで絶対に撃つな。たとえ撃たれたとしても、絶対に俺の許可なく悲鳴を上げるな。分かったか?」

 暗闇の中でも良く見えるモンタンス伍長の三白眼に睨まれた僕を含む四人は、無言で頷いた。

 「はぐれたと思ったら動くな。野良犬に噛みつかれようと、クマに襲われようと、俺が迎えに来るまで絶対に動くな。いいな?」

 僕達は頷いた。

 「よし。それじゃあ……行くか」

 僕達はモンタンス伍長の尻から生えた尻尾のように一かたまりになって歩き出した。

 (本当なのか?本当に僕達は戦うのか?嘘じゃないよな?)

 そういう想定の訓練をしているみたいで実戦という感覚がない。

 (本当に……本当に僕達は殺し合うのか?)

 頭では分かっている。ティンバー中尉が言っていた事が本当なら、僕達が取れる選択肢は戦う以外に無いと。

 (戦うしかないのか?本当に…‥ないか)

 分かっている。降伏すれば誰も傷つかずに済む事は。しかしそれは出来ない。国家の代表である我々が無抵抗で降伏するなんてありえない。それは自国が何の抵抗も無しに無条件降伏をしたに等しい行為だ。

 (けど……)

 この移送中に出会ったスペンサー兵や自称革命軍の兵士達の顔が思い浮かんだ。

 (殺し合うのか、あの人達と)

 彼等に恨みはない。怒りも憎しみもない。

 (なのに僕は彼等を殺さなければならない……)

 怒りが沸いた。殺せと言われたら躊躇なく殺せるくらいの。

 (あのスカしたクソ野郎のせいで!)

 中隊の半数、話し合いに参加しているドゥイッチ補佐官とホッチス隊長を護衛する人員以外の中隊の約半数が五人一組に分散して、僕達の動向を見張っている王国兵や反乱者達の監視網を掻い潜り、野営地から歩いて約三時間の所にある小高い丘の上に集結した。

 「私は情報小隊緊急対策班のジャスパー中尉だ」

 情報小隊は諜報兵を使って派遣先の危険度を調査することを主任務にしていて、僕たち護衛兵が派遣先で目にする事はない。本拠地のベルバラード砦でも目にすることはまれだ。

 「伍長、貴官は部下を連れてレジー少尉の指揮下に入れ。レジー少尉はこの先の辺りで陣地構築の指揮を執っている」

 ジャスパー中尉は北側の暗闇を指差し、モンタンス伍長はその命令に従ってすぐに動き出した。

 「衛生兵は別だ」

 ジャスパー中尉は僕の左腕に付いている衛生兵を示す腕章を指差して言った。

 「ウィル一等兵だな?」

 「はい、ジャスパー中尉」

 「ハリス曹長には何処まで習った」

 僕はジャスパー中尉にハリス曹長から何を教わったかを伝えた。

 「素晴らしい。さすがはハリス曹長だ」

 「でも実際に人を治療した事はありません」

 「何も知らない人間が治療する事に比べれば、遥かにマシだ」

 「それは……そうですけど……」

 役に立つのだろうか。手解きを受けただけの技が。今すぐ治療しなければ死んでしまうような怪我に。

 「君に出来なければ誰にも出来ない」

 「……はい」

 「ここには君しかいない」

 「……はい」

 「ならば君がやる事は一つだ。最善を尽くせ」

 「……はい」

 「君の持ち場はここだ。そこにある馬車から天幕を下ろして、いつでも治療が出来るにようにしておけ」

 「はい」

 僕は言われた通りに馬車から降ろした天幕を張ると、近くにある馬車の中から患者を乗せる治療台と治療に必要な薬品や道具を乗せる台に仕えそうな野営用の組み立て式の長机を運び入れ、その上に持って来た薬品と道具を並べた。

 「ご武運を」

 準備が整ったのでジャスパー中尉に報告しようと治療所の隣にある指揮所に入ると、ジャスパー中尉とティンバー中尉が敬礼しあっている所に出くわした。

 「終わったか?」

 僕に気づいたジャスパー中尉が言った。

 「はい、終わりました」

 「よろしい。では後はティンバー中尉の指揮に従え」

 「はい」

 ここの指揮権がジャスパー中尉からティンバー中尉に移ったのだろう。ジャスパー中尉が指揮所を出て行くのを見送った僕は、ジャスパー中尉の指示で指揮所の隣に治療所を設営したことを副中隊長のティンバー中尉に報告した。

 「足りない物はあるか?」

 「一通りの物は揃っています。ですが……分かりません。どれがどのぐらい必要なんかなんて……」

 そんなの僕に分かる訳ない。僕は何の経験も実績もない一兵卒だぞ。

 「そうだな。今更どうしようもないか。後衛の馬車が置いて来た物資を運んでくる。もし足りなくなったらそこから補充しろ」

 「……はい」

 「不安か?」

 「そりゃ、不安ですよ。不安にならない方がおかしいでしょう?ティンバー中尉は不安にならないんですか?素人が怪我の手当てをするんですよ」

 「じゃあ他に誰がいる?お前より怪我の手当てに詳しい奴が他に居るなら言ってみろ。変えてやる言ってみろ」

 「…………」

 居る訳ない。僕以外に怪我の手当てが出来るのはハリス曹長だけなんだから。

 「お前しかいないんだ。お前がやるしかないんだ。逃げる理由を考える暇があるなら自分に何が出来るかを考えろ。それ以外は無駄だ。捨てろ」

 「……はい」

 「聞こえなかったのか?俺は捨てろと言ったんだ。今すぐそのしみったれた考えを捨てろ!分かったか!」

 「はい」

 「ああ?何だって?」

 「はい!捨てます。捨てます!」

 「そうだ。捨てろ。お前はやるしかないんだ。お前がやるしかないんだ。分かったら今すぐやる事をやれ」

 「はい!」

 治療所に戻った僕は、天井から吊り下げているカンテラに火を入れて、治療台の上にハリス曹長にから教わった事を書き留めた紙束を広げた。

 (やるしかない。もうやるしかないんだ。だからもう、逃げるのはやめろ!どんなに怖くても僕がやるしかないんだ!)

 「ウィル。ブリーフィングだ」

 治療台の上に置いていたライフルを手に治療所を出ると、東の空が陽が昇る少し前の明るさになっていた。

 「時間が無いから詳しい話は省くが、我々は殿下たちがフリューゲル侯爵の領地に逃げるまでの時間稼ぎをする事になった。期限は二日だ」

 予定では一日だった。敵の足を朝から晩まで止めたら、僕達は昨夜のように闇夜に紛れて先に逃げた仲間たちが築いた防御陣地まで逃げる事になっていた。そしてそこで一休みしたら仲間が足止めしてくれている間に更に先へと進み、防御陣地を作る。そして足止めしてくれていた仲間が来たら今度は僕達が敵の足を止める。

 「二日……ここで足止めをする」

 つまり僕達は、あのクソ野郎がしでかした不祥事の尻拭いのために捨て駒にされたと言う事か。

 「殺してやる」

 誰かがぽつりと言った。

 「敵の数は一個騎兵小隊約20騎と一個歩兵中隊約120名。大して我々の総兵数は103名。その内の一個騎兵分隊4騎と一個歩兵分隊10名はベーデン卿の護衛のためにスペンサー王都へ残してきた」

 残りは89名。

 「ドゥイッチ補佐官の護衛のために一個騎兵分隊4騎と一個歩兵班20名」

 残り65名。

 「先発としてここへ来たのが44名」

 後発はドゥイッチ補佐官を守るために追撃してくる敵を迎撃する。

  当初の予定通り、我々だけで逃げたのなら、後発組が受ける危険はそれほど大きくは無かっただろう。しかし——

 「どれだけの仲間がここへたどり着けるか分からない」

 あの亀のように遅い大所帯を連れて逃げるとなると、後発組が受ける被害は甚大なものになるだろう。

 「状況は想定以上に深刻だ」

 全滅もあり得る。

 「だがそれでもやるしかない。やる以外に選択肢はない。弱気になるな。弱気にさせろ。怯えるな。怯えさせろ。強いのは誰だ。奴らか?」

 「「俺達だ!」」

 「恐ろしいのは誰だ。奴らか?」

 「「俺達だ!」」

 「そうだ。俺達は死ぬほどきつい訓練を受けた命知らずの本物の兵士だ。革命軍?愚痴愚痴と不平不満を垂れ流す連中が何だって?ふざけるな!何が革命軍だ!手加減はいらん。死ぬまでしごいてやれ!」

 「「はい!ティンバー中尉!」」

 

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