第7話

 スペンサー王国の港に上陸して最初に感じたのは、平民達の迷惑な客が来たかのような視線。

 船から荷を下ろす荷役夫に至っては、今にも喧嘩を吹っ掛けて来そうな顔で僕達を睨んでいた。

 「何を考えているんだか」

 僕の呟きに、隣で馬の手綱を取っている御者のガンドルさんが同意するように頷いて言った。

 「全くだ。正気の所業じゃねえ。あいつら悪魔に憑りつかれてるんじゃねえのか」

 僕が上陸した港町で見たものは、至る所に吊り下げられた首に縄の掛かった老若男女の遺体だった。

 「チッ、やっぱ気に入らねえな、あの町の教会の連中はよぉ。町であんな事が起きているって言うのに、あいつらは一体何処で何をしてやがるんだ?揃って盲目なのか?したっけ、耳ぐらいは聞こえているだろうによぉ。どいつもこいつも石像みたいに固まっているって言うのか?」

 前を向いて罵倒していたガンドルさんが不意に僕へ視線を向けた。

 「俺はお前の味方だぜ、ウィル。誰が何と言おうとな。お前は何も間違ったことはしちゃいねえ。俺が隊長ならおめえに勲章をくれてやってるぜ」

 「じゃあ今度やる時は、ガンドルさんが隊長の時にやりますね。また鉄拳制裁を食らいたくはありませんから」

 僕は鼻に当てていたハンカチを外して、血が止まったかどうかを指で鼻の下を触って確認した。

 「フン、懲りねえ野郎だ。またやるつもりかよ」

 「ちょっと鼻血が出ただけですからね」


  ♦♦♦♦


 毎日の様に発生する暴動とそれに伴う鎮圧という名の虐殺と略奪の知らせに、カリーナ・ブライト・スペンサーは深く長いため息を零した。

 「民を根絶やしにして誰が麦を植えるというのですか。誰が布を織るというのですか。誰が荷を運ぶというのですか。誰が住まいを整えるというのですか。貴公が代わりにやってくれるというのですか?」

 スペンサー王の前で誇らし気に暴動鎮圧の成果を語っていた騎兵隊長は、それを遮って言った自身の行いを非難するようなカリーナの皮肉に、怒りを露わに彼女を睨みつけた。

 「戦場を知らぬあなたに何がお分かりか。悶え苦しみ死んでいく仲間の姿を見たことも無いあなたに、何がお分かりか!」

 凄惨な戦場を、過酷で理不尽な現実を経験した者にしか出せない気迫に、カリーナは自身の発言が誤りであったことを悟った。

 「暴動鎮圧をカルセル卿に命じたのは余である。その結果に不満があるのなら余に申すのが筋ではないのか、カリーナ」

 父王に問われたカリーナは、若い騎兵隊長カルセルに小さく頭を下げた。

 「世間知らずの若輩者が無礼を申し上げました。平にご容赦下さい、カルセル卿」

 若く美しい王女にそう言われては、騎兵隊を率いる一指揮官に過ぎないカルセルに謝罪を受け入れる以外の選択肢はない。内心では、何も知らない苦労知らずの小娘が何を偉そうに。謝れば何でも許されると思うなよ!と未だに腹を立てていたとしても。

 

 「フン、何が誰が麦を植えるかだ。こっちはいつ誰が死ぬか分からん戦場に居るっていうのに、そんな事を考える余裕なんてあるかよ!」

 「下々の事を考えてくれるお優しいお姫様なんだろうけど、所詮は雲の上にお住いのお人だからねぇ。きっと微塵も想像がつかないんでしょうよ、下々がどれだけ苦しい思いをして暮らしているのか」

 馴染みの娼婦の言葉に、カルセルは頷いて言った。

 「染み一つない服しか着たことが無い小娘に分かるもんか。土を耕す苦労も、血に塗れる恐ろしさも知らないお姫様に、俺達の何が分かるって言うんだ!偉そうに知ったような口を利きやがって!」

 「ちょっと、声が大きいわよ。憲兵が来たらどうするの。私まで巻き添えを食らうじゃない」

 馴染みの娼婦に叱られたカルセルは、バツが悪そうに視線をはぐらかせた。

 「それより、考えてくれたの?」

 「え?あー……まあ、な」

 「早く決めた方が良いわよ。旗色が決まってからじゃ遅いんだから」

 「いやまぁ、そりゃあ……分かってるけどよ……」

 「あなた自分が何をしたのか忘れたの?このままだと間違いなく殺されるわよ」

 「いやでもよぉ……本当なのか?本当にあいつらは俺がした事を問い詰めたりしないのか?」

 「知らないわよ、そんな事。私はあいつらに頼まれてあなたに話を通しただけなんだから……でもあなたも知っているでしょ?今がどんな状況か。のんびりしている暇はないわよ。いつ何時何が起こってもおかしくないんだから」

 「……そうだな」


 ♦♦♦♦

 

 「大丈夫か?」

 「ええ、大丈夫ですよ。この世の全ての輪郭が二重に見えるだけなので」

 隣で馬の手綱を取っているガンドルさんにそう答えると、ガンドルさんから呆れ果てたため息が聞こえた。

 「お前ほどの頑固者は見たことも聞いたことも無い」

 「ガンドルさんのお知り合いは素直な人たちばかりなんでしょうね」

 「ぬかせ。休む暇もなくあちこちと旅をする御者に知り合いなんかいねえよ。せいぜいが顔見知りだ」

 「じゃあ僕はガンドルさんの初めての知り合いですね」

 「馬鹿野郎。一度仕事をした事がある程度の知り合いなんて一々いちいち覚えてられるかよ。俺が一年でどれだけの人間と会うと思ってんだ」

 「ガンドルさんは、こんなに顔を腫らした人間と覚えきれないほど会うんですか?」

 「んな訳ねえだろ。ったく、ほんとお前は減らず口が減らねえ野郎だなぁ」

 「あ、そういえば知ってますか?最近は道中記というのが流行っているらしいですよ。ガンドルさんも書いてみたらどうです?」

 「俺にそんな文才がある訳ねえだろ。がらでもねえしよ」

 「そうですか?僕は好きですよ、ガンドルさんが話してくれる旅の話」

 「そりゃお前が世間知らずの田舎もんだからだろ」

 「世の中の大半が世間知らずの田舎もんですよ。昔と違って、最近の貴族はよほど裕福でもないとそう簡単に旅なんか出来ないんですから。だから売れると思いますよ、ガンドルさんの道中記」

 「……そうかあ?まぁ、お前がそこまで言うなら、試しに書いてみてもいいけどよぉ」

 「もし出版する事になったら教えて下さいね。喜んで買いますから」

 「そんな必要ねえよ。そん事があるとは思えねえが、そん時はお前に一冊送ってやるからよ」

 「本当ですか。ありがとうございます。ガンドルさんもご存知だと思いますけど、僕の給料は大工の見習いよりも少ないですから。送って頂けるならほんと助かります」

 「フン、まぁ期待せずに待ってな」

 

 スペンサー王国の港町に上陸した僕達はそこから南へ六日掛けて下り、スペンサー王の居る王都へ到着した。

 「戻らなくていいんですか、ジゼルさん」

 馬の手綱を取っているガンドルさんを真ん中に、御者席の右に僕が座り、その反対側には馬鹿で間抜けなスミス卿の護衛兼メイドをしているジゼルさんが座っている。

 「先生の話を聞く方が大事」

 ジゼルさんに先生と呼ばれているガンドルさんは肩を竦めて苦笑した。

 「雇い主に愛想尽かされても知らねえぞ、お嬢ちゃん」

 「それは好都合。キモイにやけ面で意味もなく頭を撫でられるのは、もうご勘弁なすってのすけの朝帰り」

 ガンドルさんが変な語り口をするからですよ、と視線で問うと、ガンドルさんは覚えがねえなととぼけるように首をかしげて僕から視線を逸らした。

 「でもいいんですか?戻りたくないお気持ちは分かりますけど、今を逃したら王城に着くまで雇い主の所には戻れませんよ」

 スペンサー王国の王都に到着した僕達は、王城に至るまでの道のりが封鎖されるのを、ガンドルさんの旅の話を聞きながら待っていたが、周りの様子からそろそろ動き出すのではと思われた。

 「私に二言は無い。どうせ戻った所でキモイにやけ面を見せられる以外にやることも無し、としょんぼり顔の奥さんの朝帰り」

 「なら、いいですけど。でもそれは許さんとやって来る成金の介の女房探し」

 「げっ、キモ。ここはとんとん、ずらずらと荒れ果てたハゲ街道」

 「たぶん、見つからないと大騒ぎするんじゃないですか?やっぱりお前が一番だの介の朝帰り」

 「むむむ……すけは女の敵。いずれ殺す」

 飼い猫を探す飼い主のようにジゼルさんの名を呼ぶ、いずれ殺されるかもしれない女の敵アルベルトをジゼルさんは非常にうんざりした顔で少しの間眺めて御者席から飛び降りた。

 「世知辛えな」

 何で15にもならない少女が命がけの護衛なんかやらなければならないのか。

 「腹立たしい限りです」

 それがまかり通る世の中にも、何もしてやれない自分にも。無論、一番腹立たしいのは、彼女を護衛も出来るペットのように扱う、お優しいご主人様気取りのクソ成金野郎だけど。


 僕達はスペンサー王の居城を目指して大通りを進む。裏路地に通じる角にはライフルを持った兵士が数人立っており、その奥には、大通りから締め出されて迂回を余儀なくされた人々のひしめき合う姿が見えた。大通りに面した建物の屋上にはやたらと周囲を気にしている狙撃兵と思われる兵士がぽつぽつと立っている。

 「まるで占領されたばかりの街みたいですね」

 「それなりに長いこと御者をやっているが、さすがにここまでやべえ雰囲気が漂っている街は初めてだ。気を付けろよ、ウィル。特に頭の回る奴の言う事は、絶対に鵜呑みにするな」

 「負けると分かってくみする人間は、損得勘定が出来ない馬鹿か損得勘定のうまい裏切り者のどちらかですからね」

 

 ♦♦♦♦


 若き騎兵隊長に失言をしたカリーナ王女は、スペンサー王に後宮での謹慎を命じられていた。

 ——歯痒はがゆい。

 今すぐ何とかしなければならないのに、と後宮の私室で焦燥感を募らせていたカリーナは、私室を訪ねて来た異母妹ソニアの話を鬱陶しく聞き流していた。

 「お姉さまはクレイン王国の天才銃器設計者アルベルト・グレイ・スミス卿をご存知?」

 「耳にした事はあるわ」

 「クレイン王国一の美男子と言う噂も?」

 「あなたと違って私は殿方の美醜に興味なんてないわ」

 「そうは言っても、醜いよりは美しい方が良いでしょう?」

 分かっているとでも言いたげなソニアの訳知り顔に、カリーナの持つ扇子が小さくきしんだ。

 「あー、そう言えばクレインから来た兵に一人面白いのがいましたわ。きっとお姉さまもお気に召すんじゃないかしら」

 ソニアはちらりと悪戯っぽい笑みをカリーナに向けた。

 「その兵の顔がとっても面白いのよ」

 ——また品の無い話を。

 人の顔を笑い話にしようとするソニアに、カリーナの眉が不快気に寄った。

 「私、思わず二度見しちゃいましたわ。だって、その兵の顔、元がどんな顔をしていたのか分からないくらいに腫れているんですもの。人間に化け損なった化け物が入って来たのかと思いましたわ」

 「ソニア。その話の続きがしたいなら私の部屋の外でしなさい」

 カリーナのさげすむ様な不機嫌顔に、ソニアの顔から笑みが消えた。

 「お姉さまは潔癖過ぎるのよ」

 「人を笑い者にするよりはマシだわ」

 「私には違いがあるようには思えないわ。だってそうでしょ。人を笑い者にするのも、人を下劣と蔑むのも、人を見下している事には変わりがないんだから」

 「っ!帰りなさい!」

 「では最後に一つ。私はその兵に王家の紋章が入った緋色のスカーフを与えました」

 去り際のソニアの台詞に、カリーナは目を見開いた。

 王家の紋章は国に多大な貢献をした者に下賜される物で、決して王女の一存で下賜出来る物ではない。つまりそれは「その兵に下賜する事を、その価値があるとお父上が御認めになられた、と言うこと……?」

 ——どうして?国の行く末を左右するような役目も国内外に轟く名声もない、ただ要人の護衛のためにやって来ただけの兵……ではないの、かしら?

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