第6話

 僕たちは夜明けの少し前に起きて馬の世話をすると、宿舎の食堂で朝食を取りながら今日一日の段取りの確認を行っていた。

 「第一の奴ら、まだお前を探してたな」

 「目の前に居たのにね」

 「僕の顔を知っているのは、あの場に居た人たちだけだからね。それ以外の人がいくら探したって無駄だよ。よほどの確信が無ければ「違う」と言われたらそれ以上の追求なんて出来ないんだから」

 キャスパー王子は本気で僕を探す気があるのだろうか?未だに第一に僕を探させているから探す気はあるんだろうけど……馬鹿だからなぁ、あの王子。第一に命じれば至極当然のように僕が自分の前に引っ立てて来られると本気で思っているんじゃないだろうか。馬鹿だから。

 「居た」

 台詞を棒読みしたような感情の乗っていない少女の声に、食堂に居た全員の視線が一斉に声のした食堂の出入り口に向いた。

 「気をつけえい!」

 紳士たる第三近衛連隊諸兄が、女性を座って出迎えるなどという敬意に欠ける行為を行うなど決してありえない。

 「ん?消えた」

 しかし、第三近衛連隊に所属してまだ二年半と日の浅い僕は、諸兄たちのような紳士たるには未だ心構えが足りなかったようだ。

 間違ってテーブルの下にしゃがみ込んでしまった。

 「テーブルの下?」

 おっといけない。慌てて立ち上がったせいで、勢い余って椅子の上に飛び上がってしまった。

 「居ない?」

 何で君はそんな憐れむような眼で僕を見るんだい、ジョシュア?

 「ん?何処へ行ったの?」

 ブーツについた汚れをテーブルの下にしゃがんで拭いているだけで何処にも言ってませんよ。

 「お嬢さんレディ。失礼ながら何処のどなたかは存じ上げませんが、我々に何の御用でしょう?」

 「ウィルという人を探しに来たの。私にした事の責任を取って欲しくて」

 彼女がそう言った時の雰囲気を何と表せばいいだろう。困惑?不穏?嵐の前の静けさだろうか?いや、これは処刑場へ引っ立てられる寸前の静寂に包まれた牢獄のような感じではないだろうか。

 「説明しろ、ウィル一等兵。貴様はこのお嬢さんレディに何をした?一語一句たりとて嘘や誤魔化しをせずに答えろ」

 第三近衛連隊第一中隊の副隊長を務めるティンバー中尉の、凶悪犯を前にした裁判官の様な一切の情も慈悲も感じさせない問いかけに、テーブルの下でブーツの汚れを丁寧に拭っていた僕は、すぐさま直立不動の姿勢をとって「ハッ」と返事を返した。

 「あ、やっぱり居た」

 「他の者は仕事に取り掛かれ。ウィル一等兵は私の前に立て。お嬢さんはこちらに。おい、誰かお嬢さんにお茶をお持ちしろ」

 ロイと他数名が我先にと食堂の厨房に駆け出した。

 「素直に自白した方が罪は軽くなるよ」

 何で君はそんな楽しそうな笑みを僕に向けるんだい、ジョシュア?

 「ウィル一等兵!」

 「あ、はい!すみません!今行きます!」

 

 ♦♦♦♦


 風景の一部のようなモブの一兵卒なんかに虚仮にされてご機嫌斜めだったキャスパー王子に付き合って夜遅くまで飲んでいた国内外にその名を知られている天才銃器設計者アルベルト・グレイ・スミスは、いつもより一時間ほど遅い、窓から差し込む夏の暑い日差しに暑苦しさを覚えて目を覚ました。

 「おはようございます、スミス卿。ご機嫌はうるわしゅうございますか?」

 メイド兼護衛の美少女ジゼルとは似ても似つかない、何処か胡散臭い誠実そうな青年の声に、アルベルトの意識は一気に覚醒した。と同時に、細くて冷たい金属が首にそっと当てられる。

 「お忘れですか?僕は言いましたよね。一時撤退は戦いの常とう手段だと。もしかしてまだ士官学校ではお習いになっていませんでしたか?一時撤退がどのような意図を持って行われるか」

 驚きに見開いたアルベルトの目に映ったのは、キャスパー王子を虚仮にして行方をくらませた名も無き一兵卒。

 「負けを御認め下さいますか、スミス卿?」

 そう名も無き一兵卒に問われたアルベルトは、起死回生の手段を模索しているのだろう。アルベルトの青い目が前後左右に揺れていた。

 「まだお分かりになっていないのですか?これが実戦なら、あなたは寝ている間に殺されていたのですよ」

 名も無き一兵卒はそう言ってアルベルトの首からサーベルの模擬剣を外すと、それをアルベルトの腹の上に置いた。

 「キャスパー王子にお伝えください。おごり高ぶった負け知らずの剣の達人は、しがない一兵卒に寝首をかかれて負けました、と」

 名も無き一兵卒はアルベルトを嘲笑う様に口の片端を吊り上げて一歩下がると、思い出したように言った。

 「あーそれと、ご自身のみっともない敗北のご様子と一緒に、キャスパー王子にもう一つお伝えください。決着はついたので、もう僕を探す必要はありませんよ、と」

 名も無き一兵卒は、ベッドに横たわったまま呆然とした顔を向けるアルベルトに慇懃に一礼をして頭を上げると、くるりと儀仗隊のような教練通りの回れ右をして部屋を出て行った。

 

 ——あなたに何の抵抗も出来ずに気絶させられたせいで私の価値が下がった。責任を取って欲しい——

 宿舎の食堂に突如現れたエプロンドレスを着た少女の話を聞いていたティンバー中尉と僕は揃って首を傾げた。何言ってんの、この子、と。

 「あの、ジゼルさん。それは、僕の責任というより、あなたの雇い主の責任ではないでしょうか?」 

 ジゼルを名乗る少女は首をかしげた。

 「どういう事?」

 「考えてもみて下さい、ジゼルさん。最初にあなたの存在を僕にバラしたのは誰ですか?もしあの時あの人があんなあからさまな視線をあなたに向けなければ、僕はきっとあなたを王宮の給仕係と思い込んでいたままでしたよ」

 「私の偽装は世界一」

 ジゼルさんは誇らし気に顎を上げて胸を張った。

 「ええ、全くその通りです」

 僕が立っているテーブルの向かいに座るティンバー中尉が、僕を胡散臭そうに見上げた。

 ——何ですか?僕は思った事を言っただけですよ。

 「もしそうなっていたら、どうなっていたでしょう?僕がもしジゼルさんの偽装に気づいていなかったら」

 「私が背後からグサッてしてた。間違いない」

 「えっ?あー……そうですね。グサッと刺す振りをしてましたね」

 「振りなんてしない。こう、グサッと背後から刺してた」

 逆手に持ったナイフを首元に刺すように、ジゼルさんは振り上げた腕を勢いよく振り下ろして言った。

 「間違いない」

 僕の向かいのテーブルに座るティンバー中尉が、憐れむように僕を見上げた。

 ——嘘ですよね?本当は刺す振りをしただけですよね?

 ティンバー中尉はジゼルさんをちらりと見た後、僕に向かって小さく首を左右に振って口を動かす。

 ——ま・ち・が・い・な・い

 僕は血の気が引くようにくるりと目を回して天井を見上げた。

 マジかぁ……

 

 「ご協力に感謝申し上げます、ジゼル嬢」

 自惚れ屋のいけ好かない馬鹿で間抜けのアルベルトが宿泊している王宮の豪華な寝室から出た僕は、部屋の前まで案内してくれたジゼルさんに深々とこうべを垂れた。

 「うむ、苦しゅうない」

 ——ジゼルさんの家来になった覚えは無いですよ。

 

 ♦♦♦♦

 

 スペンサー王国へは、王都から馬車で一日北上した所を流れる大河、ウルド川を最新鋭の技術で造船された王家所有の蒸気船に乗って東に下っていく。日数は予定では十日。

 一日かけて蒸気船に積み込まれたのは、二台の二人乗りの馬車、馬車を引くための大型馬八頭、護衛が騎乗する軍馬三頭、荷馬車六台分の荷物。

 

 「異常な~し」

 「う~い」

 荷役夫が去った船の中をくまなくまわって不審物や不審者が居ない事を確認した僕と他五名に与えられた任務は、翌朝の出航まで船に不審者が侵入しないように監視する事だった。

 「顔の腫れは引いたか?」

 「もうとっくに引いてますよ。知ってるでしょ?」

 外遊団のメンバーが仰々ぎょうぎょうしく馬車に乗り込むのを、荷馬車の御者席に座る御者の影に隠れて眺めていた僕を目ざとく見つけたキャスパー王子は、「そこにいたか!」と大声で僕を呼び出し、皆の見ている前で思いっ切り僕の頬を平手打ちした。それからというもの、僕は事あるごとにその事で皆に揶揄からかわれている。

 「暇だな」

 「代わりますか?」

 船室の出入り口横に置いた椅子に座って居るより、甲板の上をぐるぐると回っている方が楽しいですよ。

 「足が疲れるからやだ」

 「三周でいいので交代しません?」

 「……三周だけだぞ」

 ああ~、三時間ぶりの椅子は最高だ。

 「お前、向いてないよ、この仕事」

 「何ですか、唐突に」

むくんだ足の裏をマッサージするついでに靴下を変えよう。

 「お前、キャスパー殿下に平手打ちされた時、めちゃくちゃ睨みつけてただろ?」

 「一瞬だけですけどね。良く気付きましたね」

 「狙撃手だぞ、俺は。一瞬だって見逃さねえよ」

 甲板を流れる涼しい夜風に、靴下を脱いで自由になった足の指を広げて蒸れた足を乾かす。

 「マストの天辺てっぺんに登ってみました?」

 「あそこからなら船に近づく奴らを船に到達する前に皆殺しに出来るな」

 「自覚はしてますよ。だけど、転属願いが出せるのは伍長以上でしょ」

 「うちだけじゃない。軍に向いてないんだよ、お前は」

 「……かもしれないですね」

 「辞めろと言っている訳じゃないぞ」

 「他に行く当てがないですからね、僕らみたいなのは」

 「俺は金が貯まったら新大陸に行くつもりだ。あそこなら貴族云々は関係ないからな」

 「棄民の国ですか。噂じゃ無法地帯って聞きますよ」

 「馬鹿王子に平手打ちされるよりマシだろ。よし、三周終わり。さっさとブーツを履いてそこをどけ。俺様の椅子だぞ」

 「えっ?ちょっと待って下さいよ。まだ一歩も動いてないじゃないですか」

 「知らなかったのか?伍長になると一歩も動かずに三周出来るんだぞ」

 これ見よがしにビリー伍長は自分の袖に縫い付けてある伍長の階級章を僕の顔に突き出して見せつけた。

 「いいだろ?」

 ——くそったれめ!

 

 クレイン王国とスペンサー王国の間にはベルツ帝国という国が存在する。その国土はクレイン王国より三割ほど大きく、帝国という国体からして如何にも強そうに見えるが、その実態はただの小国の集まりに過ぎない。もちろん帝国を名乗っているのだから寄せ集めの小国の上には皇帝が存在する。何の権力もないお飾りらしいけど。

 「私はクレイン王国外務次官オルカ・レイ・ベーデン。貴国内の航行許可を願います」

 「私は国境保安隊隊長ミルコ・フラン・ボーウィー。アルゼ王は貴国の航行を許可なされております」

 「アルゼ王の寛大な御心みこころに感謝申し上げます」

 ベルツ帝国内の小国に入国する度にこんなやり取りが行われており、本日はこれで三度目だ。

 「帝国ならうちの実家でも王を名乗れそうだな」

 「なら村長は伯爵様か?」

 僕達は甲板の上に夏には暑苦しい儀礼用の軍服で整列して、無駄としか言いようがない外交儀礼が終わるのを小さな声で駄べりながら待っていた。

 「事前に貰っていた皇帝の航行許可は何だったんだ?」

 「博覧会の入場券さ。会場に入る権利はあっても会場にある展示物を見る権利は無いってね」

 「お前行ったの?」

 「半額で譲ってやると言われたから喜んで行ったよ。まさかそんな仕組みになっているなんて知らなかったからさ」

 「あ~……何か見たのか?」

 「新大陸にしか生息していない獣のはく製とか、原住民の装飾品とかを見たな。3シリルで」

 平大工の月の稼ぎが10~13シリルで僕の月の給金は1シリルと80キルト。

 伍長でようやく大工の半分程度。

 「3シリル?!お前、そんな物に3シリルも払ったのか?」

 「女の前で何も見ずに帰るなんてダサい真似出来ないだろ?」

 「いやまぁ、そうだけどさぁ……」

 「それが一番安かったんだよ」

 「あぁ、そいつは……どうしようもないな」

 「気をーつけえーい!」

 無駄としか言いようがない外交儀礼が終わったらしい。

 賓客が船を下りてその姿が見えなくなった所でホッチス大尉は僕達に解散を命じた。

 

 ——正直言って、とても驚いているよ。

 どうりで臭い訳だ。クソでも漏らしたか?

 ——ははっ。面白い冗談だ。私が最後にクソをしたのは百年以上も前だがね。

 なら今日はお祝いだな。百年ぶりにクソを漏らした気分はどうだ?最高か?

 ——私は多くの人間を見てきた。その中には古今に比類なき人類最強の戦士や聖人と呼ばれる類稀たぐいまれなる高潔な人間もいた。

 あ~、そういうの好きだよね、下っ端の小者は。俺は誰それにあった事があるんだぜ、すごいだろ?ってね。僕には何がすごいのかさっぱり分からないけど。でもあんたなら分かるだろ?小者のあんたならさ。良かったら教えてくれないか、何がすごいのか。

 ——賢者と呼ばれる人間に会ったこともある。

 百年ぶりにクソを漏らした奴には?あんた以外にさ。

 ——だが君ほど意固地な人間には会った事が無い。

 してくれ。そんなに褒められたら殺す時に手元が狂うだろ。

 ——お手上げだよ、君には。

 泣くなよ、大の大人が。見っともない。ハンデが欲しいのか?

 ——いやいや、結構だよ。君にはとことんまで地獄を味わって欲しいからね。

 あんた友達いないだろ?何でか分かるか?根が暗いからだけじゃないぞ。あんた性格も悪いだろ?馬鹿で間抜けなくせに頭がいい振りしてお高くとまっているしさぁ。自覚してる?

 ——その手はもう食わんぞ、ウィル・カル・アガト。

 そんな余裕ぶった態度は、ママにおむつを替えて貰ってからにするんだな、くそったれ。どうした?いい歳してクソを漏らしちまったことをママに知られるのが怖いのか?だったら気にしなくていいぜ。あんたがくそったれなことは、あんた以外の誰もが知っている事だからな。いい加減自覚しろよ、くそったれ。何時でも何処でもクソを垂れやがって。あんたのおむつを洗うママの苦労を考えたことがあるのか?

 ——もう止めたまえ、無駄な足掻きをするのは。見ていて見苦しい。

 僕だって見ていて見苦しいよ。身動きが取れない人間を相手にえつに浸る変態野郎を見ているのはさ。違うって言うんなら僕の拘束を解いてみろよ。出来ないだろ?

 ——…………。

 おや?もしかして、お高くとまった馬鹿で間抜けな変態の繊細な心を傷付いちゃったかな?

 ——その生意気な口を縫い付けて二度と喋れないようにしてやる。

 怖いのか?喋ることしか出来ない身動きの取れない男が怖いのか?それとも、僕の口から自分が如何に小者か思い知らされるのが怖いのか?どっちなんだよ、大物気取りの変態くそったれ野郎。あっ、もしかして両方か?

 ——黙れ!私はもう二度とその手には乗らんと言ったはずだ!

 ……あー、なるほど。あんたは僕に一度痛い目に遭わされたことがあるんだな?

 ——ッ……!

 ふーん……どうりでねぇ。ただの変態かと思ったけど……フフッ。僕にとことんまで地獄を味あわせると言ったのは、そういう事か。いや実にプライドだけは高い無能な小者がやりそうな事だ。どうした?また僕を殺して僕の記憶を消すのか?そのしみったれたプライドを守るために。

 ——ここに永遠に閉じ込めることも出来るんだぞ。

 そう言えば僕が泣いて許しを乞うとでも?

 ——いいや。だから今回は本当に閉じ込めるつもりだ、永遠に。

 ……お別れのハグは断ってもいいかな?あんたに抱きつかれたらあんたのクソの臭いが服につきそうだからさ。後、食後にはちゃんと歯を磨いた方が良いよ。離れてても真夏の残飯みたいな臭いがするから。あー、それと——

 ——ほんとに貴様はムカつく奴だな!

 え、そう?嘘を言わない誠実で素直な人間だってよく言われるんだけど。

 

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