第36話

 錆びた機械のようにガクガクと動く雪のように白い異形、私はこれを”凍死”と呼ぶが、この凍死の特徴は以下の通りである。

 闇夜の中でも良く見える、頭の先から足の先まで白粉おしろいを塗った様な真っ白い体。

 錆びた機械を無理やり動かしている様なぎくしゃくとした動き。

 歩行速度は常人の4割から6割ほどと遅く、今のところ駆けている姿は見ていない。おそらくだが、走れないのだろう。

 吐き出している白い息は、その息がかかった物を凍らせているように見える。しかしそれは一時的なようだ。

 触れるな!触れると、時が止まったように動かなくなる。おそらくだが、”凍死”に触れられた人間は、銅像のように固まって死ぬのだろう。いや、まだ死んではいないようだ。まだ魂が体内に残っている……のか?だとしたら、なんと恐ろしい事だろう。あれでは生きたまま氷漬けにされているようなものだ。

 「やっぱりあの骨野郎がこいつらを指揮しているみたいだな」

 聖父教会のローブを着た骸骨、アルス少尉が”笑う骨”と呼ぶこの異形を観察していたベルナルドが確信したような声で言った。

 「聖父教会の仕業だと思うか?」

 ベルナルドに問われたアルス少尉は、書き込んでいた手帳から思案するように顔を上げた。

 「聖父教会にこんな事をする理由があると思うか?」

 「無いとも言えないだろ?あいつ等はたまに俺達には理解出来ない理由で内輪揉めをするからな。それに——」

 ベルナルドは、異形の群れが向かう先、聖父教会の聖堂がある広場を指差して馬鹿にするような顔でフンと鼻を鳴らした。

 「——奇跡と悪魔祓いは教会の専門だろ?」

 アルス少尉は異形の群れをちらりと見下ろして言った。

 「今夜は大繁盛だな。在庫があればだが」

 「どうするんだ?奴らの奇跡はとっくの昔に品切れだぞ」

 「それは私達だって同じだろ」

 異形の異能は、どれ一つをとっても命取りになる上にどう抗えばいいのか分からない。何より恐ろしいのは、その異能を防ぐにはどうすればいいのか分からないと言う事。

 「ヒイィ。ヒイィ。ヒイイイイッ!」

 また誰かが異形の異能に掛かったのだろう。

 通りに面したアパートの玄関から、一人の身なりの良い男が何か恐ろしいものから逃げる様に飛び出してきた。

 「た、助けてくれ」

 酷く怯えた様子の男には、異形の姿が普通の人間に見えるのだろう。

 「あ、あいつが、あいつが俺のことお、おお?おおおお?!」

 男が助けを求めて近づいたのは、ミイラのように痩せ細った、アルス少尉が”ミイラ”と呼ぶ異形。 

 それに男が触れた途端、男は唐突に全身の力が抜けたみたいに倒れ込み、苦し気な顔でミイラへ手を伸ばした。

 「み、水。水を、くれ」

 ミイラはそれを見下ろして苦し気な泣き声で笑う。

 

 ****


 閉ざされていた将来が開ける。それも、果ての無い何処までも続く未来永劫まで。

 それが嬉しくないはずがない。楽しくないはずがない。

 自室で一人になったエーヴィス大司教は、無邪気な子供の様にはしゃぎ回って、それでも抑えきれない衝動を女を抱くことで発散させた。

 しかしそれでも胸のワクワクは治まらない。もう嬉しくって嬉しくって飛び跳ねたくてたまらない。

 (そうだ!私自らが争いを止めに向かえば、更により多くの賛辞を得られるのではないか?ああそうだ。そうに違いない)

 となれば今すぐに動かねばならんな、と思ったエーヴィス大司教は、脱ぎ散らかしていた服を急いで着て自室を飛び出した。

 「誰か。誰か居ませんか?急ぎの用です。誰でも良いので来て下さい」

 (好き勝手に暴れておる連中に計画の変更を伝えるのに掛かるは時間は如何いかほどだろうか?怪我の手当てが出来る者に準備をさせて、それらが乗る馬車と私が乗る馬車を用意をさせている間に伝えきれるだろうか?)

 「どうしたんですか?誰も居ないのですか?」

 (何でよりによって、こんな急いでいる時に誰も居ない!今夜の側役は誰だ?これは許しがたい怠慢だぞ!)

 「誰か!誰か居ないのですか!」

 (まったく。どいつもこいつも、大司教である私を置いて何処で何をしているんだ?!)

 「居りますよ、エーヴィス大司教。何の御用ですか?」

 エーヴィス大司教が歩いていた明かりの灯る通路と交わる、明かりの無い修道士たちの居住部屋に通じる通路から聞こえた声に、エーヴィス大司教は叱責の声を上げようとしたが、声の主が誰かに気づいて叱責しようと吸った息を安堵のため息に変えて吐き出した

 「丁度良い時に来てくれました。急ぎの用です。今すぐあの荒くれ共と繋ぎをとって下さい。この私が……」

 「この私が、何ですか?」

 「ヒイイッ!」

 修道士たちの居住部屋に通じる明かりの無い真っ暗な通路から姿を現したのは、所々が焼けただれ炭化した、一目で有り得ないと分かるエーヴィス大司教の密偵の一人であるローランの顔だった。

 「これはまた随分と若返られましたね」

 「やめろ。近づくな。近づくな!」

 「二十代、いや、十代後半くらいでしょうか?」

 「誰か!誰か来てくれ!」

 「嗚呼、嗚呼……私が愚かだったばかりに、また死ななくてもいい人を死なせてしまった。嗚呼ああ、嗚呼、嗚呼、嗚呼」

 「何をしている!早く来い!私がどうなってもいいのか!」

 「また一つ償わなければならない。しかしそれに何の意味があるのだろうか?それが犠牲になった人々の救済になるのだろうか?嗚呼、嗚呼、結局、私のしている事はただの独りよがりなのだ。罪滅ぼしという名の自己満足なのだ」

 ローランに一歩一歩と追い詰められたエーヴィス大司教は、通路の行き止まり、その壁に背中をぶつけた。

 「来るな!来るうああああああ!」

 黒く炭化した皮膚と肉がボロボロと落ちて骨だけになったローランの手がエーヴィス大司教の顔に触れた瞬間、エーヴィス大司教は目を見開いて絶叫した。

 「でもそれでも罪はあがなわなけばならない。許しが無くとも、永遠の苦痛にもがき苦しもうとも、つぐなわなければならない」

 エーヴィス大司教の身分を示す上質な衣服が燃え上がり、シミ一つない白い肌が赤く焼け爛れ、グツグツと煮え立った脂肪が、その赤く焼け爛れた皮膚と肉をカリカリに揚げていく。

 その痛みが想像を絶することは、エーヴィス大司教の絶叫を聞かずとも誰にでも分かる事だろう。

 「嗚呼、虚しい。こんな事をして何の意味があるのだろう?これで犠牲になった人達の心が癒されるのだろうか?救われるのだろうか?嗚呼、虚しい。虚しい……」

 嘆くローランの下に、何処からともなく現れた光球が慰めるように寄り添い、励ます様に光り輝いた。

 「嗚呼、嗚呼、止めて下さい。私はそんな人間ではありません。私は臆病で卑怯な人間なのです。だから、だから……憐れまないで下さい。許さないで下さい。私は許されていい人間ではないのです。憐れみを掛けられていい人間ではないのです。ですから皆さん。どうか、どうか私のことは気にしないで下さい。気にせず放って置いてください。いやいや、おやめください。この罪は私一人が負うべきものです。皆さんが負うべきものではありません」

 ローランの側を漂っていた光球が、一つまた一つとローランの中へと入って行く。   

 「嗚呼、どうか、どうかお止めください。私は皆さんが思っているような人間ではないのです。私は、私は……」

 ローランの体がカラカラと哀し気に鳴った。

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