第37話

 この一夜の出来事は、多くの国に影響を与えるだろうし、その影響が切っ掛けで世界が大きく変わってもおかしくない。

 「ハリス曹長、僕達はどうなるんでしょう。僕達は無事に国に帰れるんでしょうか」

 「それは反乱を主導した者達の考え次第ですが、おそらくは私達に手を出すことは無いでしょう」

 清々しい朝の空に幾筋の黒煙が上がっているのが窓から見え、羽虫のように舞った灰が王宮の庭に落ちていく。

 スペンサー王は、夜明けと共に降伏の使者を反乱者達に送った。

 「どうなるんですかね、この国は」

 国と国の戦いなら勝った国の王が統治を行うことになるのだろうが、スペンサー王が降伏した相手は、何処の誰とも知れない人間の集まりだ。

 「僕なら絶対に降伏なんてしないのに」

 国の統治は素人が出来るほど甘いものではないし、ましてや、そんな国を認めるような甘い国などあろうはずがない。

 「何を考えているんですかね、スペンサー王は」

 

 ****


 灰が舞い落ちる澄んだ青い空を、カルセルはぼんやりと見上げていた。

 (俺が本当にしたかったのは復讐なのか?)

カルセルの脳裏に、恐怖と暴力から解放されて安堵する人々の顔が浮かび、家族や友人、恋人を傷つけられたり殺された人々の嘆き悲しむ顔が浮かんだ。

 (俺は……俺は——)

 「そんな勝手な話があるかッ!」

 フリューゲル将軍の動向を探るために、ポンペルド曹長が王宮に残していた部下が知らせてくれた、スペンサー王が反乱者達に降伏したという話を聞いたのだろう。

 憲兵隊の騎兵隊長、ラインベルク大尉の砲声にも負けない怒声が、拠点にしているアパートの外にいたカルセルの耳にもハッキリと聞こえた。

 「隊長、どうしますか?」

 副官のポンペルド曹長に問いかけられたカルセルは、ぼんやりと空を見上げたまま言った。

 「これ以上どうしろって言うんだ?」

 見上げていた空からポンペルド曹長へ視線を移したカルセルは、冗談だと言う様に小さく笑った。

 「憲兵連中の動揺が大きい。一旦、レンガ工場まで引き下がるしかないな」

 「保護した住民たちはどうします?怪我で動けない者もいますが」

 「希望する者は連れて行く。自力で動けない者は、住民と憲兵に運ばせる。お前は小隊をひきいて退路を確保しろ。殿しんがりは俺が指揮する」

 「了解しました。すぐに取り掛かります」

 ポンペルドに敬礼を返したカルセルは、拠点にしているアパートの中に入って二階にいるラインベルク大尉の下へ向かった。

 「カルセル。お前はどう思う。こんな身勝手が許されると思うか?」

 目が合った瞬間にラインベルク大尉からそう問われたカルセルは、部屋の重苦しい空気を変えるような少しおどけた仕草で肩を竦めた。

 「ラインベルク大尉。今はそんな議論をしている場合じゃないでしょう?」

 何だと!とラインベルク大尉に睨まれたカルセルは、反論しようとしたラインベルク大尉に向かってその口を塞ぐように手を上げた。

 「俺達が居るのは王宮か?よく見ろよ、ラインベルク。何処に汗染み一つない服を着ている奴が居る?何処にお洒落なティーカップを片手に女のような甲高い声で喚く腰抜けが居る?」

 ラインベルク大尉に近寄ったカルセルは、ラインベルク大尉の足先から頭の先を見て鼻で笑った。

 「そんな汗くせえ使い古した服で、お高くとまっている連中の仲間に入れて貰えると思っているのか?」

 「…………」

 「俺達が今やるべきことは何だ?どうにもならない事についてぐだぐだと文句を言う事か?」

 カルセルはラインベルク大尉から視線を外して部屋の中を見渡した。

 「俺達はレンガ工場まで引き下がって、状況がどう動くか分かるまで様子を見るつもりだ。ついて来るなら、この負け犬みたいな面した連中を使えるようにしておけよ。うちは負け犬のお守りをするほど暇じゃねえんだ」

 

 ****


 王宮は上も下も大騒ぎをしており、一部では略奪行為が起きているらしく、争っているような声も聞こえる。

 「眠い……」

 スペンサー王国の内輪揉めに巻き込まれることを危惧したホッチス隊長は、王宮に用意された部屋を引き払ってクレイン王国の関係者全員を護衛用の外来宿舎に集めた。

 「暇。面白い話して」

 スペンサーの王女殿下に無礼を働いて軟禁された、アルベルトとかいう馬鹿の護衛兼メイドをしている少女ジゼルさんは、アルベルトの馬鹿が軟禁されてからはクレイン王国から派遣された使用人達の所に居たらしく、使用人の人達と一緒に宿舎へとやって来た。

 「暇なら使用人の人達の仕事を手伝ったらどうです?」

 「私は護衛。クレインの使用人じゃない」

 とはいえ、何もせずにいるのは居心地が悪いのだろう。宿舎で一番人目のない医務室を見つけた彼女は、それからずっと自分の部屋のような我が物顔で医務室に居座っている。 

 「面白い話は?」

 「そんな余裕がある様に見えます?」

 ハリス曹長が仮眠している間に、僕は10種類の薬品と8つの薬の効能と処方について完璧に暗記して、仮眠から目覚めたハリス曹長の口頭試験に合格しなければならない。でなければ僕の仮眠は口頭試験に合格するまでお預けだ。

 「居眠りしてた」

 「暗唱していたんです」

 「首がガクッてなっていた」

 「記憶に御座いません」

 「寝てたから?」

 「…………」

 「チクられたくなかったら面白い話をしろ」

 「……御意」

 とはいえ、ジゼルさんが面白いと思えるような話があるだろうか?

 「僕が幼い時に出会った、自称竜殺しの騎士ウィリアム・ヴィー・ホークスの話なんてどうですか?」

 「ほう、竜殺し?うむうむ、苦しゅうない。苦しゅうないぞ」

 僕はジゼルさんの家来じゃありませんよ。

 

****


通りを闊歩かっぽしていた異形は朝日を避けるように姿を消し、通りを飾るオブジェのように立ち並んでいた異形の被害者たちは、拘束から解かれたようにその場に崩れ落ちた。

 「どうする?」

 聖堂の中に入った、異形を主導しているとみられる聖父教会のローブを着た骸骨、”笑う骨”がまだ聖堂から出て来ていない。

 他の異形のように朝日を避けるように闇に消えたのだろうか?

 「まさか見に行くなんて言わないよな?」

 ベルナルドの問いに、アルス少尉は持っていた手帳をベルナルドに差し出して答えた。

 「スパーダ王国のジェノスという港町に”白夜”という魚介料理を出す食堂がある」

 「もしもの時はこれを持ってそこへ行けって?」

 アルス少尉は首を横に振った。

 「今から行ってくれ」

 ベルナルドは何でだ?と言いたげに眉根を寄せた。

 「私が戻って来ないと、君は私を助けに行こうとするだろ?」

 否定できないのだろう。ベルナルドは居心地が悪そうに視線を彷徨さまよわせた。

 「何も無ければ翌日には追い付く」

 アルス少尉はベルナルドの手に自身の手帳を持たせると、さあ行けとその背中を押した。

 

 ****


 「誰だ?」

 カルセルに連れられてレンガ工場にある物置の一つに入ったラインベルク大尉は、簡素な長椅子の上に横たわっている見た事のない将校らしき軍服を着た初老の男を見てカルセルに耳打ちした。クシャール

 「大将様だよ、反乱者共の」

 「……そんな奴が何でここに居る」

 事実だとしても信じがたい話だ。

 「あの爆発で怪我を負って身動きが取れなかった所を捕まえた」

 「……何で黙っていた?お前がその事をおおやけにしていれば——」

 「反乱者共が降伏したかもしれない?」

 「そうなれば——」

 「陛下が反乱者共に降伏することも無かった?」

 その通りだとラインベルク大尉に睨まれたカルセルは、その視線を簡素な長椅子に横たわるクシャール将軍に向けて言った。

 「どう思う。降伏したと思うか?」

 「時間稼ぎにはなるだろうが、降伏するほどのことではないな」

 「…………」

 「考えてもみろ。こんな事をしでかした奴らが、降伏したからと言って死罪を免れられると思うか?」

 「…………」

 理解は出来る。理解は出来るが、もしかしたらという淡い期待が、ラインベルク大尉の納得をはばむ。

 「お前はそいつを王宮へ連れて行くべきだった。たとえそれで結果が変わらなかったとしても、お前はこの国を守る軍人としてやるべきことをやるべきだった。お前のしたことは裏切りだ。この国に住む全ての人間に対する裏切りだ」

 カルセルは、頓珍漢な物言いを笑う様に鼻を鳴らして口の端を皮肉気に吊り上げた。

 「そうだな。そんな奴が国に仕えていたんじゃ、そりゃ国王様も国民を裏切るだろうな」

 降伏の知らせを聞いて憤慨していたラインベルク大尉は、カルセルの皮肉を聞いて気まずそうな顔で視線を彷徨さまよわせ押し黙った。

 「クシャール将軍、反乱者共はこの後何をする予定なんだ?」

 「予定も何も、喧嘩に負けた奴がどうなるかは憲兵なら十二分に知っているだろう?」

 「止められないのか?いくら陛下が降伏するといっても、貴族共の機嫌を損ねたらまた争いになるぞ」

 カルセルが言った。

 「そしたら降伏交渉で余計な譲歩をしなくて済むから、あいつ等にはその方が都合が良いかもな」

 「だがそうなると、王都の救援に来た軍と戦う事になるぞ。どうするんだ?当てにしていた近衛の武器と弾薬は吹き飛んじまっているんだぞ」

 「それならそれでやり様はいくらでもある。たとえば、王都の住民を人質に取って籠城するとか、救援に来た軍の兵士や指揮官を懐柔して寝返らせるとか。そもそも、救援なんて本当に来るのか?平民の反乱に負けて降伏した王なんかのために」

 降伏なんて馬鹿な事をしなければ、救援は間違いなく来ただろうし、反乱者共の懐柔になびく人間も出なかっただろう。

 「あんたなら止められるか?」

 「止められると思うか?罵倒する事すら出来なかった貴族連中を好き勝手に出来るチャンスなんだぞ」

 「その結果が泥沼の内戦でもか?」

 「私は金で雇われた将軍だ。この国がどうなろうと知った事ではない」

 クシャール将軍と会話をしていたカルセルは、呆然と二人のやり取りを見ていたラインベルク大尉に顔を向けた。

 「ラインベルク。俺はこいつを連れて反乱者共の説得に行ってくる」

 「……説得?」(何故?どうして?何でお前がそんな事をする?)

 「お前は王都に戻って家族と仲間を守れ」

 (何を言っているんだ、こいつは?)

 「煙草はまだあるか?」

 「あ、ああ。司令部で分捕ってきた、上等な奴が」といってラインベルク大尉は懐から取り出した真鍮製の煙草ケースを開いてカルセルに差し出した。

 カルセルはそこから二本の紙巻き煙草を手に取り、その内の一本を口に咥えると、簡素な長椅子に横たわっているクシャール将軍の口にもう一本の煙草を咥えさせ、マッチを擦ってクシャール将軍と自分の煙草に火を点けた。

 「良い煙草だな。もう一本貰ってもいいか?」

 「ああ。ただで手に入れた物だからな。何本でも、好きなだけ取れよ」

 

 

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