第35話

 結局のところ、僕達のような下っ端に出来る事は何もないんだ。たとえそれが明らかな間違いだったとしても。

 「それは本当なのか?」

 ホッチス隊長に情報を拾って来いと部屋から追い出されたドゥイッチ補佐官は、逃げ場のない崖っぷちに立たされて絶望しているような顔で戻って来て言った。

 スペンサー王が反乱者達に降伏をすると決められたようです、と。

 「本当です。スペンサー王からじかに告げられました」

 ホッチス隊長は、なんて馬鹿事をと言いたそうな顔で天を仰ぎ、自分が何を言ったところでもうどうしようもないかと言った諦め顔でため息と共に言った。

 「何てことだ……」

 「それで、要請をされました。反乱者達と交渉する場に同席をして欲しい、と」

 譲歩しなければクレイン王国が黙ってはいないぞ、と暗に示すことで交渉を有利に進める為だろう。

 「受けたのか?」

 「いえ、まだ受けてはおりません。受けてはおりませんが、受ける以外に選択肢はないでしょう。何せずにいたのでは、周辺国からどんな非難を浴びても言い訳のしようがありませんからね」

 「諸侯はスペンサー王の決断に納得しているのか?」

 「明言はされておりませんが、誰にも他言しないようにと言われましたので、まだ諸侯たちには話していないのではないでしょうか」

 「翻意ほんいをさせられると思うか?」

 「それはお止めください。我が国の信用に関わります。それに、おそらくですが、スペンサー王の決意は諸侯たちが何を言っても変わることはないでしょう」

 「そんな勝手な話があるか。降伏すると言う事は、この国の全てを差し出すと言う事だぞ?それをたった一人の判断で決めるなんて、到底許される事ではないぞ。そもそも、降伏の決断が早すぎる。確かに今は劣勢だが、そんなものは援軍が到着すれば簡単にひっくり返せる程度の劣勢で、降伏を選ぶほど危機的な状況じゃないだろ。なのに、何で降伏なんて言葉が出て来る!スペンサー王の周りには案山子かかししかおらんのか?!」

 ホッチス隊長がスペンサー王に怒りを覚えるのも無理はない。僕だってスペンサー王に「ふざけるな!」と言ってやりたいくらいにムカついているんだから。

 「これは助けを待つ国民や今も命懸けで戦っている兵たちの信頼を裏切る反逆行為だ!」

 これが降伏以外に打つ手が無い状況なら、僕もホッチス隊長もスペンサー王の決断に腹を立てたることはしなかっただろう。

 「断固として抗議するべきだ。我々はそんな無責任な判断は許すことは出来ないと」

 「ホッチス隊長は、私が何の抗議もせずに唯々諾々とスペンサー王の話に耳を傾けていたと思っているんですか?あなたには私がそういう人間に見えるかもしれませんが、私はそこまで臆病な人間じゃない!他人事だからと見て見ぬ振りをする様な腰抜けでもない!私は何度も何度も抗議をしたんです!そんな事をすれば、この国は隣国から攻め滅ばされることになるぞと警告もしたんです!それが一国の王がする事かと非難もしたんです!それでも、それでもスペンサー王の決意は変わらなかったんです!」

 まさかのドゥイッチ補佐官の怒鳴り声に、僕は大いに驚き、ホッチス隊長も目を見開いて驚き、口の端を僅かに上げて小さな笑みを浮かべた。

 「私は私に出来る限りを尽くして止めようとしたんです……」

 

 ****


 レンガ工場の煙突から立ち昇る白い煙を見上げて、憲兵隊の騎兵隊長、ラインベルク大尉は憲兵士官特有の刀傷のある顔をニヤつかせた。

 「こんな時間にこんな所で何を燃やしてるんだ?」

 「大きな窯一杯に積まれたレンガに火を点けるのが子供の頃からの夢だったんですよ」

 下らない冗談だと思ったのだろう。ラインベルク大尉は、冷ややかな顔でフンと鼻を鳴らした。

 「嘘じゃありませんよ。少しの間ですが、ここで働いていた事があるんですから」

 どういうことだと眉根を寄せたラインベルク大尉は、カルセルの出自に思い至った顔をした。

 「あそこに見える土の山にある土をふるいに掛けて土の中にある小石を取り除くのが私の仕事でした」

 山脈のように盛り上がった影を指差したカルセルは、ラインベルク大尉へ視線を向き直って口の端を上げた。

 「何を燃やしているか知りたいなら、仕事が終わった後に教えて上げますよ」

 「報告いたします!」

 ラインベルク大尉を引き連れて戻って来たカルセルを出迎えたカルセルの部下が、馬上のカルセルに敬礼をして言った。

 「当地の警戒任務異常なし。現在、ポンペルド上級曹長以下十六名が、王都十番街近郊で偵察行動を行っております」

 (あんの馬鹿野郎!待ったいろと言っただろうが!何を勝手な事をやってやがるんだ!)

 「随分と躾が行き届いた部下達のようだな?」

 ラインベルク大尉の揶揄からかいじみた皮肉に、カルセルは胸中で思いっ切り舌打ちした。 

 「すみませんが、準備ができ次第すぐに出発します」

 「気にすんな。こっちははなからゆっくりするつもりなんてねえんだ」

 ラインベルク大尉はそう言って王都から響く悲鳴を睨みつけた。


 ****


 「誰も生かすな!」「火を掛けろ!」「赤子は殺すな。我らが父に捧げるために生かしておけ!」

 スラム街にある聖父教会で恵まれない浮浪児達の手助けをしていた老修道士のスチュワートは、かつてない高揚感と幸福感を感じていた。

 (これが我らが父の望みだったのだ。これが私に与えられた使命だったのだ!)

 「ハハハハ!私は間違っていなかった!私は間違っていなかったのだ!」

 手懐けた孤児たちを隠れ家へ連れ込んでは、じわじわと甚振いたぶって殺していたスチュワートは、自身の後ろ暗い行いの全てが肯定されたのだと思った。

 「我らが父に報いよ!」

 思い通りに動く、疲れ知らずの活力に満ちた体。恐怖に震える微かな息遣いを聞き取る耳。暗闇の中でも振り下ろした棍棒の動きを鮮明に捉える眼。

 「悔い改めよ!」

 手に走る肉を潰し骨を砕く衝撃。また一つ正義を為したという手応え。命乞いをする悪を見下ろす優越感。

 「我らが父の教えに背いて好き勝手に生きておいて、まだ生きていたいなんて随分と図々しいお願いですね?」

 (私はお前らが快楽に溺れている時も守っていたのだぞ。それなのに)

 「都合が良すぎると思いませんか?今更改心するなんて」

 (私はずっと、ずううっと、ずうううっと守っていたのだぞ!なのに)

 「許されると思っているんですか?」

 (散々、好き勝手に生きてきたお前らが)

 「オオオオーン!」

 (真摯に教えを守っていた私達を馬鹿にして笑っていたお前らが)

 「何だ?うわあああ?!」

 (許されると思う事自体が、すでに許しがたいほどに烏滸おこがましいというのに)

 「この身の程知らずが!」 

 「どうし、こらああ!何やってんだ、このイ、ヌっ……ひいぃぃ!」

 「恥を知れ!恥を知れ!恥を知れ!」

 「クマだ!クマがいるあああ!」

 「……何だ?」

 仲間の悲鳴を聞いたスチュワートは、振り上げた棍棒を下ろして悲鳴のする方へと走ると、路地の角からそっと顔を出してその先に見える大通りの反対側にある裏通りの様子を覗いた。

 「……クマ、か?」

 成人男性よりも頭一つ小さいクマらしき影が、倒れた人間に覆い被さり、顔を守ろうとして咄嗟に掲げたのだろう腕に噛みついて頭を左右に振っている姿が見えた。

 (しかしクマにしては……ん?)

 何処か違和感のある光景に眉根を寄せてじっと観察していたスチュワートは、違和感の正体に気づいて首を傾げた。

 (服を、着ているのか?)

 何故、どうしてと頭一杯に疑問が浮かんだスチュワートは、さらに良く見ようと潜んでいた路地から出て、そーっと忍び寄った。

 (スラム街の誰かが飼っていたのか?誰にも気付かれずに?それはさすがに無理だろう。小柄なクマなのかまだ成長途中のクマなのかは分からないが、誰にも気付かれずに飼うなんて出来るはずがない)

 「これでもくらえ!」

 スチュワートからは見えない裏通りの何処からか投げられた火炎瓶が、仲間を襲うクマの側で燃え上がった。

 (ん?えっ?)

 スチュワートは、目についた建物と建物の間の小さな隙間に素早く潜り込むと、今見た光景を思い返して困惑した。

 (見間違いか?いやだがあれは……どういうことだ?何であの……何だあのオオカミは。あれはオオカミなのか?オオカミが何で服を着ているんだ?あの服は……どういう事だ?)

 銃声がした。方角からして先ほど火炎瓶を投げた人間かその仲間が撃ったのだろう。

 「ひいぃ。来るな!来るなあああああああ!」

 声が痛みに絶叫するような悲鳴に変わった所して、銃を撃った人物はあの化け物に襲われたのだろう。

 そして悲鳴が途絶えた後、「ぐぅうあああ!ぐぅうあああ!」と誰かを呼ぶような声で吠えた化け物は、「グゥウアアア!」と先ほどとは違う、仇の名を叫ぶような怒りと憎しみに満ちた声を上げた。

 (あいつだ。あいつに間違いない)

 根拠はないが、あいつが狙っているのは間違いなくお前だと本能が告げていた。

 スチュワートは心臓が締め付けられる様な感覚がして、血の気が引いた。

 手に持っているのは棍棒が一本。腰にナイフがあるが、それでアレを撃退できるとは到底思えない。

 (見つかればただでは済まない)

 スチュワートは息を殺して化け物が遠ざかるのを待った。

 (大丈夫だ。大丈夫だ。私が死ぬはずがない。我らが父に愛されている私が死ぬはずがない)

 夜風が吹いて、じんわりと掻いていたスチュワートの汗を冷やした。

 「グゥウアアア!」

 見つかったと思った。間違いなく獲物を捉えた声だと思った。しかし

 (それがただの勘違いだったらどうする?まだ気づかれていなかったのに、逃げようとして気づかれたらどうする?) 

 「ウウウウウ!」

 「あっ……ああ、あああ!ああああ!」

 牙を剥いてスチュワートが隠れていた建物と建物の隙間を覗くオオカミ顔を目にしたスチュワートは、酷く怯えた声を上げながら狭い隙間を半身になって駆けた。

 だが、それを追う化け物は、スチュワートの何倍も速かった。

 「止めろ!止めろ、クリス!止めてくれ!」

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