第29話

 ——仲間が殺されたっていうのに、何でお前はそんな平気な顔が出来るんだ。

 「この見掛け倒しの木偶の坊はお前の部下か?」

 ——俺はもう頭がおかしくなりそうだ。

 「おいおい、部下に向かってそんな責めるような顔をするなよ、少尉。お前がちゃんと躾けてりゃこんな事にはなって無いんだからよお。ああ?」

 ——私は臆病な人間が好きだ。その上で口が堅いならなお良い。

 「何だその顔は?俺に何か文句でもあんのか?」

 ——正義や友情を語る奴らほど信用出来ない人間はいない。

 「おーい、行くぞー」

 火の消えた煙草をじっと眺めていたカルセルは、憲兵隊の騎兵隊長の呼び声に反応して顔を上げた。腹を押さえて苦悶の表情で膝を突いている、二十歳を過ぎたばかりだろう、若い少尉の襟首を掴んで無理やり引き起こしている憲兵隊の騎兵隊長が、カルセルに向かってにこやか笑みを浮かべているのが見えた。

 ——奴らは自分の正義のためなら平気で嘘を吐く。

 「憲兵は気に入らない人間がいたら締め上げずにはいられないのですか?」

 カルセルの問いに、憲兵隊の騎兵隊長は自慢げな笑みを浮かべて言った。 

 「それが仕事だからな」

 

   ♦♦♦♦


 王都のスラム街では数年に一回、救済という名の”孤児狩り”が行われる。

 「善意の協力者には、陛下の名のもとに報酬が支払われる」

 捕らえた孤児を運ぶための、罪人輸送馬車の御者席に立った役人がそう公言すると、街中の大人たちが歓喜の声を上げ、縄と棍棒を持った大人たちが我先と孤児たちを追いかけ回した。

 「駄目だ。指が折れてる」

 抵抗した際に棍棒で指を打たれたのだろう。痛みに涙を流す孤児の体を調べた役人が言った。

 「だから俺は違うって!俺は孤児じゃないって!」

 子供なら孤児かどうかなんて誰も気にしなかった。

 「今日はこれで終わりだ」

 そう言ってぎゅうぎゅうに詰まった馬車に最後の一人を無理やり押し込んだ役人は、扉に頑丈な鍵を掛けて馬車を走らせた。

 「逃げ出せると思うか?」

 「逃げ出せた奴に会ったことがあるか?」

 「……くそ」

 捕らえられた子供達は、義援金という名の出資額によって配分される。

 ある者は農地を耕す農奴に。ある者は狭い坑道から鉱物を運び出す鉱山者に。ある者は娼婦や男娼に。そしてある者は——


 「フリューゲル閣下は寛大な方だ。貴様等のような家畜にも劣る下劣な人間に家を与え、服を与え、腹一杯の食事を与えて下さる。だから俺は許せん。フリューゲル閣下の優しさに甘えて怠けるような奴は。俺は許さん。フリューゲル閣下から受けた恩に報いない奴は」

 それは逃げる事も根を上げる事も許されない地獄の日々だった。

 「カルセル大尉ですか?」

 有力軍閥貴族の子息だろう若い少尉に案内された会議室に置かれていた軽食で腹を満たしていたカルセルの下に、浮ついた感じがしない本物の少尉が声を掛けてきた。

 「閣下がお呼びです」

 それだけでカルセルには誰が呼んでいるのか分かった。

 「気を付けて下さい。閣下の機嫌はあまりよろしくはありませんので」

 ——そりゃそうだろうよ。反乱軍の討伐で名を上げた将軍を恐れるどころか、そんな奴いたかと無視するように目の前で大規模な反乱を起こされたんだからな。

 「カルセル大尉をお連れしました。どうぞ」

 案内してくれた少尉が開けてくれたドアから室内に入ったカルセルを出迎えたのは、顔をこれ以上ないくらいに腫らした若い女が裸で床に倒れている姿だった。

 「欲しいのなら持って帰っても構わんぞ」

 入浴後のような薄着でソファにもたれ掛かっているフリューゲル将軍が言った。

 「心配しなくても何の後腐れの無い下賤な洗濯女だ。遠慮せずに持っていけよ。お前、こういうの好きだろ?」

 フリューゲル将軍の両脇に立つ護衛の一人、フリューゲル将軍の甥であるダンケルがカルセルをあざけるようなにやけ面で言った。

 「ありがとうございます」

 カルセルは神妙な顔で深々とフリューゲル将軍に向かって一礼した。

 「何をしていた?」

 「憲兵と共に七番街の掌握を行い、隣接する街区の状況を偵察しておりました」

 「フランク大佐はお前の警告を無視したか」

 「はい。閣下の警告であればフランク大佐も耳を傾けたかもしれませんが、申し訳ありません。私の判断が間違っておりました」

 「嫌になるな。無能な味方というのは……あんの、役立たず共が!」

 手に持っていた銀杯を壁に叩きつけたフリューゲル将軍は、近くにあったサイドテーブルを持ち上げて何度も床に叩きつけた。

 「殺してやる!殺してやる!殺してやる!」

 「閣下も警告してたんだよ。近衛の連隊長に」

 不愉快そうに顔をしかめたダンケルが言った。

 「あの間抜け野郎、口では感謝申し上げますなんて殊勝な事を言っていたが、腹の中じゃ閣下の事を馬鹿にしてやがったんだ。そんな事が起きる訳ねえ、ってな」

 その結果が王都の防衛を担う近衛連隊の半壊。このまま手をこまねいていれば朝には近衛連隊は壊滅しているだろう。

 「近衛連隊には野砲があります」

 「そうだ。それが奴らの狙いだ」

 サイドテーブルをバラバラにして怒りを鎮めたフリューゲル将軍がカルセルの発言に反応して言った。

 「城攻めに大砲は欠かせないからな」

 かといって、反乱軍が城攻めに必要な数の大砲を誰にも気付かれずに持ち込むことは不可能だ。それ以前に、それだけの大砲を誰にも気付かれずに買い集める事すら出来ないだろう。どの国の諜報機関も大砲の製造数と保有数の把握に最大限の注意を払っているからな。

 「奴らの手に渡る事だけは絶対に阻止せねばならん」

 城にも大砲はあるが、それで反乱軍が奪い取った大砲の全てを破壊するまで、あの城門が耐えられるか?

 カルセルは貴族街に繋がる城門の姿を思い浮かべた。

 昔は四人がかりで開け閉めしていた分厚い木製の観音扉は、今では一人で開けられなくもない床板並みに薄い観音扉に変わっており、築城当時は三枚あった鉄製の格子門は、万が一のために残された一枚のみ。

 ——十発も耐えられたら奇跡だな。

 「しかしそのための兵が足りん」

 カルセルは同意するように頷いた。

 全ての憲兵部隊を統括する憲兵隊本部総監フランク大佐がカルセルの警告に耳を傾けていれば、カルセルの提案通りに憲兵たちに厳重な警戒をさせておけば、王都郊外にある近衛連隊を襲撃した反乱軍に反撃するだけの余力もあっただろう。

 しかしそれで反乱軍に対して有効な一撃が与えられたかは分からない。

 「たとえ足りたとしても、兵の指揮が取れん」

 夜の闇の中では、数歩先の仲間の顔も分からない。それ以上になれば、敵味方の判別すら出来なくなる。その上、鳴り響く銃声でまともに仲間の声が聞きとれない。

 そんな中で出せる命令なんて、横一列に並べた兵士達に、ただひたすらに前へ進んで人影を見つけ次第誰彼構わず撃てという命令ぐらいだろう。

 「だがそれでもどうにかするのが誇り高き軍人の務めだ」

 ——務め?無抵抗の村人を皆殺しにすることの何処が誇り高い務めだ!

 「カルセル!」

 怒りに我を忘れかけていたカルセルの意識をダンケルの鋭い呼び声が引き留めた。

 「何だその顔は!」

 怒り顔でカルセルに詰め寄ったダンケルは、その勢いのままカルセルの顔面を思いっきり殴りつけた。

 「それが大恩ある閣下に向ける顔か!この恩知らずの恥知らずが!」

 二発三発とダンケルの左右の拳がカルセルの顔を交互に殴りつける。

 「誰のおかげで今のお前があると思っている!この虫けら以下の害虫が!」

 「もうよい。その辺しておけ、ダンケル。話が進まぬ」

 「ですが、こいつは大恩ある閣下を睨みつけました」

 「聞こえなかったのか、ダンケル。私はもうよいと言ったのだ。お前は私の命令が聞けないと言うのか?」

 「いえ!そのようなことは……」

 「なら護衛は護衛らしく黙って控えておれ」

 「はっ……」

 フリューゲル将軍の脇まで戻ったダンケルは、カルセルを恨めしい目で睨みつけた。

 ——まさか、こんな所でカッとなって我を忘れそうになるなんて……いよいよ俺もあいつ等のように正気を保てなくなってきたか…… 

 

 

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