第28話

 フリューゲル将軍に対する評価は、人によって大きく変わる。

 ある人は『彼は本当に頼りになる将軍だ』と褒め称え、ある人は『彼は私利私欲のために軍を私物化している』と非難をする。

 相反する評価ではあるが、フリューゲル将軍の評価としてはどちらも正しい。

 彼には国内各地で起きる反乱を誰よりも早く鎮圧してきたという実績があり、それによって助けられた人々から多くの称賛と信頼を受けている。しかしその反面、フリューゲル将軍は国王の命令や許可が下りる前に独自の判断で軍を動かすことがあり、国王の権威を軽んじる行為だと非難する人間も多くいる。

 だがそう言った評価は——

 ——奴の本性を見抜けていないお偉い間抜け共の評価だ。

 カルセルは震える手をぎゅっと握り締めた。

 ——ポンペルドには奴を殺すと言ったが……やるしかないのか?本当に俺がやるしかないのか?

 臆するカルセルの脳裏に、無慈悲に、残酷に、惨めに殺されていった仲間の悲痛な死に顔が浮かんだ。

 ——俺が……やるしかないのか?

 脳裏に浮かぶ亡霊に確かめるように言った問いかけに、誰かが「やるしかない」と言った気がした。

 ——そうだな……あいつを殺れるのは俺だけだ。残っているのは、もう、俺だけだからな。

 「隊長」と部下に呼ばれたカルセルは、居眠りから覚めたようにハッと顔を上げた。

 「考え事中にすみません。到着しました」

 「ああ」

 何処に居るのか確認するように顔を左右に振ったカルセルは、内心に抱いている恐れと不安を周囲の人間たちに気付かれないよう、急に呼び出されて機嫌が良くなさそうな不貞腐れた態度で馬から降りた。

 「お前達はここで待っていろ」

 一緒に連れて来た、ポンペルド曹長が選別した部下達にそう命じたカルセルは、視線で部下達に何をするか分かっているな?と問いかけた。

 「はい、了解しました。あ、でも、腹が減ったので、その辺で何か食ってても良いですか?」

 部下たちはカルセルの視線に任せて下さいと視線で返した。

 「周りに迷惑を掛けるようなことはするなよ。お偉いさんの機嫌を損ねて死ぬなんて間抜けな死に方はしたくないだろ?」

 「はい」

 「使用人用の食堂に行けば出来合いの物が食えるぞ」

 七番街にある憲兵所から一緒に来た憲兵隊の騎兵隊長がカルセルたちに近寄って来て言った。

 「お前達も一緒に行って食って来い。次にいつまともな飯が食えるか分からんからな」

 そう言って憲兵隊の騎兵隊長は連れて来た部下達に数枚の銀貨を渡した。

 「飲み過ぎるなよ」

 それを羨まし気に見たカルセルの部下達は一斉にカルセルに物欲しげな顔を向けた。

 「チッ。躾のなっていないクソガキ共め」

 カルセルは財布から一枚二枚と渋る様に銀貨を取り出すと、餌を待つ犬のようにお行儀よく手の平を上に向けて待っていた部下の手の平に叩きつけるように銀貨を乗せた。

 「ありがとうございます!」

 「喧嘩なんかするんじゃねえぞ」

 「はい!もちろんです!お任せください!」

 本当かよ、とカルセルは疑わし気に部下達を睨みつけた。

 「大人しくしてろよ」

 カルセルの念押しに、部下達は「ハッ」と元気よく返事を返した。

 「随分と過保護だな」

 一緒に来た憲兵隊の騎兵隊長が、憲兵士官特有の刀傷のある顔に揶揄からかうような笑みを浮かべて言った。

 「お偉いさん達に、躾がなっていないと怒鳴られるのは私ですからね」

 「馬鹿な犬ほど可愛いという事か」

 カルセルは言っている意味が理解出来ないと言った顔を憲兵隊の騎兵隊長に向けた。

 「半壊した酒場を見た後、馬鹿共がぎゅうぎゅうに詰まった留置場を見てもまだ可愛いと言えますか?」

 カルセルの返しが予想外な上に面白かったのだろう。

 憲兵隊の騎兵隊長は驚いたように眉を上げると、口を大きく開けて笑った。

 

 王城の西側にあるスペンサー王国軍総司令部は、大隊長以上の将校や将官が出入りする場所で、一介の騎兵隊長が気軽に出入り出来る場所ではない。

 「申し訳ありませんが、案内役の士官が来るまでここでお待ちください」

 土汚れ一つない大理石のタイルが張られた正面玄関に立つ、見上げるような屈強な歩哨にそう言われたカルセルと憲兵隊の騎兵隊長は、初めて来たこともあってそういうものなのかと邪魔にならないように玄関前の端へと寄った。

 「タバコは吸うか?」

 憲兵隊の騎兵隊長が差し出した木製のシガーケースには、紙巻の煙草が四本並んでいた。

 「普段は吸いません」

 そう言いながらもカルセルはシガーケースに並ぶ紙巻きタバコに手を伸ばした。

 「俺も普段は吸わない。うちの奥さんは煙草の臭いが嫌いだからな」

 憲兵隊の騎兵隊長はマッチ棒を擦って自分の煙草に火を点けると、カルセルの煙草にも火を点けてやり、手を振って消したマッチ棒の燃えカスを、場違いな連中だとでも言いたげな顔でカルセルたちの動向を監視するように見下していた歩哨の足元へ投げ捨てた。

 「汗染み一つない軍服を着ている軍曹がいるなんて言われて信じられるか?」

 「まさか。そんな軍服がこの世にあることすら信じられませんよ」

 「だよなぁ。ハハハ」

 カルセルと憲兵隊の騎兵隊長に馬鹿にされた見上げるような屈強な歩哨は、怒りで赤く染まった今にも殴りかかって来そうな顔で二人を睨んだ。

 「ああ?何だ、案山子カカシ軍曹。俺に文句でもあんのか?」

 憲兵隊の騎兵隊長は煙草を口に咥えると、今にも殴りかかって来そうな顔をしたカカシ軍曹のすぐ目の前まで近寄り、煙草の煙をカカシ軍曹の顔へ吹きかけた。

 「随分と気弱な案山子だな。そんなんじゃ小鳥すら追い払えないだろ。おじさんが喧嘩の仕方を教えてやろうか?」

 そこまで馬鹿にされて黙っていられる人間はよほどの人格者か臆病者だけだろう。

 カカシ軍曹は、すぐ目の前に立つ憲兵隊の騎兵隊長に、頭突きする勢いで掴みかかった。しかし憲兵隊の騎兵隊長はそれを前もって知っていたかのようにするりと横へ避け、カカシ軍曹の脇腹と鳩尾みぞおちに素早い左右のフックを叩き込むと、そのいくら鍛えても耐える事の出来ない急所を打たれた痛みに悶絶するカカシ軍曹を見下ろして笑った。

 「喧嘩の基本が何か知っているか?勝てない相手に、自分から喧嘩を売らない事だ」

 憲兵隊の騎兵隊長は口に咥えていた煙草を手に取ると、吸い込んだ煙を吐き出した。

 

 

 

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