第30話
フリューゲル将軍の命令で集められた騎兵たちは、作戦の下達を受けて貴族街の端にある南門に集合していた。
「耳当ては足りていますか!」
馬用の耳当てが入った籠を背中に背負った兵士が、声を張り上げてカルセルの前を通り過ぎていく。
——近衛連隊の駐屯地にある火薬庫を爆破する。
フリューゲル将軍の発言を聞いてカルセルが最初に思ったことは、誰がそれをやるかだった。
まさか俺達にやらせるつもりじゃねえだろうな。
闇夜に紛れれば、誰にも気付かれずに火薬庫に辿り着くことは十分に可能だったが、問題はその後だ。
どちらが火薬庫を確保しているかは分からないが、近衛にしろ、反乱軍にしろ、火薬庫に近づく者は味方であっても
仮にそれを始末して火薬庫に爆薬を仕掛けたとしても、それが爆発するまでに安全な場所まで逃げ切れるかどうかは、その時になるまで予想もつかない。全くの運任せになるだろう。
——安心しろ。お前達の役目はその後だ。
その後?
——私は火薬庫が爆発した混乱に乗じて、集めた騎兵を奴らの中枢に突撃させるつもりだが、おそらく、それで戦況がひっくり返ることはないだろう。
夜襲は敵を大いに動揺させ、その戦意を挫くことが出来るが、暗闇の中の突撃という事もあって敵に与える損害はそれほどでもない。
——そこでお前達には、奴らの首魁とその側近を始末してもらう。
南門横の警備所の前に立つ歩哨に、カルセルはフリューゲル将軍から渡された通行を許可する命令書を渡し、静かに開いた南門を潜って王都の外に出た。
「では、ついて来て下さい」
フリューゲル将軍から紹介された、おそらくは軍人ではない学者然とした青年の後を追って馬を走らせたカルセルたちは、近衛連隊の駐屯地の近くにある小さな森に辿り着いた。
——大丈夫なのか?
王都から来る援軍を警戒する反乱軍の見張りを気にする事無く、観光地の案内をする様に部隊を森の中へと先導する青年に、カルセルは強い不安を覚えていた。
カルセルの部下達も親を探す迷子のようにしきりに周囲を見渡している。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。この辺りの反乱者達は我々の味方ですから」
——何者だ、こいつ。
少なくともフリューゲル将軍の手の者ではないだろう。
もしこの学者然とした青年がフリューゲル将軍の配下で反乱軍に味方がいるというのが事実なら、フリューゲル将軍が王都で反乱が起きる事を知らないはずが無いし、こんな成功するかどうかも分からない作戦を行う必要も無かったはずだ。
同様に、反乱に対して何の対処も出来ていない王国の関係者でもないだろう。
「ここからは気付かれないように慎重に行きますので、馬はここに置いていきます」
「ビシュー、お前はここで監視をしていろ」
連れて来た部下の中で一番若い部下にそう命じたカルセルは、馬に乗せていた装備を背負って森の中を更に進む。
——他国の間者でもないだろう。
誰よりも自国を礼讃しているフリューゲル将軍が、他国の手を借りるとはカルセルには到底思えなかった。
——そんな事をするぐらいなら、あの男は間違いなく全滅を選ぶ。
では、カルセルたちを先導する青年の正体は何者だろうか。
——反乱軍に手を貸している貴族の手先、ということならこいつが反乱軍の動向に通じているのも納得できるが、そんな売国奴とあの傲慢な自国礼賛主義者が手を組むか?有り得ない。他国の手を借りるよりも有り得ない。
「この辺りでいいかな」
前を歩いていた青年が足を止めて言った。
「あんまり近いと爆発した時に怪我するかもしれませんからね」
そう言って微笑んだ青年から視線を外したカルセルは、背後に居る部下達に爆発する方向とおおよその距離を教えると、命令があるまで木の幹を背にして伏せていろと命じた。
「何があろうと絶対に動くな。耳栓も外すな」
「標的はこの方向に居ます」
カルセルのすぐ隣に並んだ学者然とした青年が、木々に覆われて星明り一つ見えない暗闇を指差して言った。
——本当か?
誰かと連絡を取って確認したわけでもないのに、間違いないというように迷いなく暗闇を指差した青年を、カルセルは
しかしその指示に間違いはなく、爆発の衝撃で視界がぐらぐらと揺れる中を青年が指し示した方向へ進むと、草むらに寝転んでいる将官らしき衣服を身に着けた五十過ぎの男を見つけた。
「誰か煙草を持っていないか?」
「お前がこの反乱の首謀者か?」
「いいや。私はただの日雇い労働者だ」
後ろに撫でつけられた長い髪、綺麗に刈り整えられた側頭部。長く伸びた左右対称の口ひげ。無精ひげの無い顎。
カルセルは鼻で笑った。
「ずいぶんお洒落な日雇い労働者だな」
「むさ苦しい恰好だと将軍に見えないだろ?」
「間違いありません。彼が反乱の首謀者です」
草むらに仰向けで寝ていた自称日雇い労働者の顔をしゃがんで覗き込んでいた青年が言った。
「殺してください」
カルセルはホルスターから回転式拳銃を抜いてその撃鉄を起こした。
「間違いないのか?」
「間違いありません」
カルセルは引き金を引いた。
「祈りが通じたか?」
まさか自分が撃たれるとは思っていなかったのだろう。学者然とした青年は、撃たれる寸前で時が止まったかのような表情で地面に横たわった。
「通じたと思うか?」
カルセルは、銃口から
「いいや。むしろ地獄に叩き落されたと感じる」
カルセルは起こしていた撃鉄を元に戻してホルスターに拳銃を仕舞った。
「まだ私に生きろと言うのか」
「それが俺達に与えられた罰だからな」
♦♦♦♦
我らが聖なる父よ。その偉大な力と慈悲で我が子をお守りください。
「神と言えど、その力は無限ではない。故に人はその力に我先にと
私こそが生かすに値する人間だと。
探偵を自称する聖父教会の諜報員ローラン・ゴートは、眼下に見える教会に避難してきた避難民たちを甲斐甲斐しく世話をする聖職達に向かって嘲笑うような笑みを浮かべた。
「お前達に
♦♦♦♦
鼻につくアンモニア特有の刺激にベルナルドはうんざりと顔を顰めた。
足を踏み出す度に足の裏に伝わるぐにゃりとする感触も不快だった。
「私達は奴らを”宿る者”と呼ぶ」
下水道に入って少し経った頃、カンテラを手に先を行くアルス少尉がふと思い出したように言った。
「見る事も感じることも出来ない奴らのことか?」
ベルナルドは、アルス少尉の部下マルコを殺しに来た暗殺者たちを拷問にかけている時に聞いたアルス少尉の思い出した。
「そうだ。そいつらの事だ」
ベルナルドはまた胡散臭い話を聞かされるのかとぐるりと目を回した。
「奴らは肉体に宿る」
その言葉を聞いたベルナルドの脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
「悪魔憑き」
ある日、ある時を境に人の性格や言動が別人のように変わるという話は、国や宗教、文化を問わず、原始的な生活をしている人々の中にも残っている。
「”流浪の騎士団”」
世界各地に残る悪魔祓いの伝承に必ずと言っていいほど出て来る、所属も由縁も成り立ちも分からない、本当に存在しているかのかすら分からない幻想のような騎士団。
「お前達が、そうだというつもりじゃないだろうな?」
アルス少尉は足を止めてベルナルドに振り返った。
「奴らは頭は悪いが、その頭の悪さを十二分にカバーできる人知を超えた能力を持っている」
アルス少尉は、下水が流れる地下道を照らすカンテラの火を消した。
「おい何、で……嘘だろ」
カンテラの火が消えた地下道は、陰影すら見えない完全な闇、になるはずだった。
「『逆行の光輪』魂が現世に戻ろうと抗えば抗うほどに強く光り輝く」
それはカンテラの火よりも強い光だったが、真っ黒なキャンパスに白い点が描かれている様に、陰影すら見えない暗闇をぼんやりとも照らさない。それが十数、捕縛しようとする手を振り払う様に右へ左へと揺れ動いていた。
「人が大地に眠る様に魂も大地に抱かれて眠る」
マッチを擦る音がして、カンテラに火が灯った。
「しかし荒ぶる魂は大地に眠ることなく現世を漂い、人に害をなす悪霊となる」
アルス少尉は再び歩き出した。
「祈りが必要だ。嘆き、悲しみ、
「従軍司祭だったのか?」
茶化す様にベルナルドが言うと、アルス少尉は何かに驚き慌てる声を上げた。
「待て!止めろ!行くな!」
♦♦♦♦
「我らが怒れる父よ、母よ、子よ、友よ、愛しき人よ。何ゆえ否定する?何ゆえ抗う?何ゆえ逆らう?その先に安らぎは無いぞ。その先に神の慈悲は無いぞ。それでも行くか?行くか。ならば私も共に行こう。我が魂尽きるその時まで」
ローラン・ゴートは逆手に持ったナイフを天高く掲げ、自身の胸に向かって勢いよく突き刺した。
「その神の威光を恐れぬ力で……救い、給え。為す術……無き……を……」
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