第31話

 仲間だけが知っている隠れ場所。水路に面した、大人は入れない大きさの今は塞がって下水が流れない排水路で、クリスは身を挺して自分を逃がしてくれた仲間が戻って来るのを、猫のように膝を抱えて待っていた。まだかまだかと。

 「バルジ……フィッシャー……何でだよ……何で……」

 何で俺を助けたんだよ。何で俺を見捨てて逃げなかったんだよ。何で仲間外れにした俺を助けに来たんだよ……帰って来いよ。早く帰って来いよ。何でお前らは帰って来ないんだよ。夜になるまで何処かに隠れているから帰って来れないのか?だったらもう帰って来れるんだろう?外はもう夜だぞ。何やってんだよ。早く帰って来いよ。俺は、俺はもう……いつまで待てばいいんだ。

 クリスは口を堅く閉じて、ぐっと目に力を込めた。

 泣くな!泣くな!!泣いたらあいつ等が帰ってきた時に笑われるだろ! 

 そうやって二人が帰って来るのを今か今かと待っていたクリスだったが、それももう限界だった。

 こらえていた涙がクリスの眼にじんわりと染み出しあふれ流れ落ちた。

 何で、帰って来ないんだよ……ばかやろう……

 クリスは悔しかった。

 何でなんだよ。何であいつ等なんだよ。悪いのは俺だろ?スチュワートのクソ野郎に騙された俺だろ?!なのに、何で俺が無事なんだよ!何であいつ等がひどい目に遭うんだよ?!

 怒りが沸いた。この世の全てに怒りが沸いた。

 あいつ等が何をしたっていうんだよ?「あいつ等が何したっていうんだよ!」

 親がいないから何だよ?盗みを働くから何だよ?生きる価値の無いゴミクズだから何だよ?!

 「俺達には働ける場所が無いんだよ!俺達には食う物を買う金が無いんだよ!だから盗めしかねえだろ?!苦しいんだよ。腹が減って苦しいんだよ!食わなきゃ死ぬほど苦しいんだよ!何が意地汚いだ。何が醜いだ。お前らの方がよっぽど意地汚くて醜いだろうが!どいつもこいつも俺達の事を馬鹿にしやがってよ!親がいねえから何だ。ガキだから何だ。ふざけんじゃねえ。舐めんじゃねえ!俺の仲間に手を出しやがって。絶対に許さないからな。絶対に、絶対に、絶対に許さねえ!殺してやる。一人残らず殺してやる!」

 力がみなぎった。未だかつてない、軽く石を握り潰せそうな力が、突風の様にクリスの体に沸き上がった。

 「ウアアアアアアア!」

 コロシテヤル。ナカマニ、テヲダスヤツハ、コロシテ、ヤル。コロシテヤル!コロシテヤアアアアア!


 ♦♦♦♦


 「アオオオーン!」

 「人狼ウェアウルフ……?」

 下水道から地上に出たアルス少尉は、大都会で聞こえるはずの無い狼の遠吠えを聞いて驚きに目を見開いた。 

 「あーくそっ。臭いが染みついてやがる」

 靴底に着いた汚れを石畳に擦りつけていたベルナルドは、袖の染みついた臭いを嗅いで顔をしかめた。

 「これは奴らが狙ってしたことなのか?この制御不能の状況を?何のために?そんな事をして奴らに何の益がある?」

 「どうした?想定外のことでも起きたのか?」

 想定外?

 「……そうだな。それなら腑に落ちる」

 しかしそうなると、この状況は奴ら以外の誰かが起こしたと言う事になる。

 誰が?何の目的で?

 「ここに突っ立っているのがここに来た理由か?」

 「いいや。だが状況が想定していた状況と違う」

 「だからどうした。導火線に火が付いている状況に変わりはないだろ?だったらやる事は二つだ。導火線が火薬に引火する前に消すか、安全な場所まで全力で逃げるか。ただ突っ立っているなんて馬鹿で間抜けな腰抜けがやる事だ」

 違うか?とベルナルドに問われたアルス少尉は、胸に抱いていた不安を見る様に下を向き、それでもやるしかないというように顔を上げて歩き出した。

 「気を付けろよ、ベルナルド。この先は君が見た事の無い本物の化け物の巣窟だぞ」


 ♦♦♦♦ 


 革命軍のクシャール将軍を捕らえたカルセルたちは、誰にも見つからないように闇夜に紛れて移動していた。その最中……

 「ん?何だ?」

 「うわっ?!」

一触即発の敵味方の区別がつかない夜間の隠密行動中に上がった声に、カルセルたちは誰だ!という鋭い視線を向けた。 

 「い、生きてる。生きてるぞ、こいつ!」

 「おま、馬鹿。黙れ」

 怯えた声を上げた兵の口を近くに居た兵が慌てて塞いだ。そしてその兵士が指さす先を見て目を見開き身を凍らせた。

 「え、何ですか?どうして私は縛られているんですか?」

 運んでいる途中で落とさないようにロープで担架に縛られていた、カルセルに頭を撃ち抜かれて死んだ学者然とした青年が何事も無かったかのように手足を動かし喋る光景は、その場にいた全ての者に息が止まる程の恐怖を与えた。

 「あの……聞こえてます?」

 頭を撃ち抜かれて何も無かったかのように平然としている人間を相手にどうすればいいのかなんて誰が知っているというのか。

 「取りあえず、これ、縄を解いて欲しいんですけど」

 そう言われて誰が素直に縄を解くと言うのか。かと言ってこのまま見ていてもどうにもならない。しかし、どうすればいいのか。

 兵達の視線が自然と部隊指揮官であるカルセルに向いた。

 どうするんですか、と。

 兵達の視線を一身に受けたカルセルは、胸中で毒づいた。

 そんなの俺だって分かんねえよ、と。

 —だいたい何で頭を撃ち抜かれて生きていられる?俺の見間違いか?いや、それはありえない。確かに俺はあいつの頭を撃ち抜いた。もし仮に俺が間違っていたとしても、誰も気づかないなんて……ありえるか?

 兵達と一緒に担架に縛り付けられている学者然とした青年を遠巻きに見ていたカルセルは、このままじゃ埒が明かないと、担架に横たわる青年へ近寄ってその撃ち抜かれたはずの顔を覗いた。

 「カルセル隊長、これはどういう事なんですか。何で私を拘束しているんです?」

 記憶が確かなら、後頭部から入った銃弾は鼻と上顎を吹き飛ばした。しかしこいつの頭にも顔にもそんな痕跡は見当たらない……

 「お前は……何者だ」

 俺一人なら記憶違いだったかもしれないが、こいつの鼻と上顎が吹き飛んでいるのを俺以外にも見ている状況でそれはありえない。かといって何事も無かったかのような無傷の顔が目の前にある以上、それを否定することもありえない。

 「答えろ。お前は何者だ」

 カルセルは学者然とした青年の顔に撃鉄を起こした回転式拳銃を突き付けた。

 「私にこんな事をしてただで済むと思っているんですか?」

 カルセルは拳銃のグリップで学者然とした青年の顔を殴りつけた。

 「答えろ。お前は何処の誰だ」

 「……馬鹿な事をしましたね。人がせっかく穏便に済ませてあげようとしたのに」

 カルセルは拳銃の引き金を引いた。

 「警戒しろ。近くにこいつの仲間が居るかもしれん」

 カルセルの部下達は一斉に銃を周囲に向けた。

 「死にましたか?」

 部下の一人が言った。

 「死んだ。死んだが……死んでいたはずだ」

 「俺達は夢でも見ているんですか?」「どうなってんだよ。これは現実なのか?」「現実だと思うか?人が生き返ったんだぞ?」「だったら何だってんだよ?これが夢だってのか?」「じゃあこれが現実だって言うのか?頭を吹き飛ばされた奴が生き返ったんだぞ?」

 「黙れ。俺が一言でもお喋りをしても良いと言ったか?夢だろうが何だろうが俺の命令に従え。逆らう事は許さん」

 「俺達は夢の中でも隊長の飼い犬かよ」と部下達は肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

 

 

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