第20話

 ——まずいまずいまずい。調子に乗って踊り過ぎた!

 内務卿を任されているフラン侯爵家の二女ミリシャ・ルー・フランとのダンスを終えた俺を待ち構えていたのは、ロリ系やクール系清楚系などの色とりどりの美女たちからのダンスの誘い。

 ——それを断れる男がこの世にいるだろうか?いやいない!いる訳がない!

 ということで次から次へと十人十色の美女たちを抱き寄せてその感触と温もりを味わっていた俺は、窓から見える薪が真っ赤にゆらゆらと燃える熾火おきびのような街明かりとそこから立ち昇る幾筋の煙を目にして、ようやくこんな事をしている場合じゃないと、急いでカリーナ王女を探した。

 「このホールで一番の美女を見逃すとは、今宵の紳士たちはあまり目が良くないらしい」

 ダンスフロアを囲い談笑する紳士淑女の背後で我関せずと言った態度でダンスフロアを遠目に眺めていたカリーナ王女を見つけた俺は、初対面のカリーナ王女の興味を惹くために何だこいつはとクスリと笑ってしまうような、如何にもなキザな台詞を少しおどけた感じで言ったのだが——

 「申し訳ありません。不躾でしたか?」

 ——その思惑は逆効果だったらしい。

 カリーナ王女は何だこの不愉快な男はというような顔で俺を睨み上げ、そう言えばクレインから国賓が来ているんだったなと思い出したように取り繕う様な笑みを浮かべた。

 「いいえ、不躾なことなど何一つとして御座いませんわ、クレインの方。スペンサー王国へようこそ。歓迎致しますわ」

 「ありがとうございます、誰よりもお美しいカリーナ王女殿下。おれ、私はアルベルト・グレイ・スミス。クレイン陛下から伯爵の爵位を賜っております」

 俺の名乗りにカリーナ王女は大袈裟なくらいに目を見開いて驚いた。

 アルベルト・グレイ・スミスが若いとは聞いていてもこんなに若いなんて思ってもいなかったんだろう。

 カリーナ王女はへぇ~と感心するように俺を見上げ、固く閉じていた口をやわらげて小さな笑みを浮かべた。 

 「まあ、お若いとは聞いておりましたが、わたくしとさほど歳の変わらないお方だとは思いもしておりませんでしたわ。それに、とても美男子でいらっしゃる。御国ではご令嬢たちが一時も放っては置かないのではないですか?」

 「ええまぁ、私の顔云々うんぬんはあまり関係ないでしょうけど」

 銃器関係で大金を稼いでいる上に貴族の中でも上位の爵位である伯爵位を持つ俺は、たとえ不細工でも今と変わらないくらいにモテるのは間違いないだろう。

 「ですがそのおかげでダンスの腕は随分と上がりましたよ。よろしければ一曲踊ってみますか?笑い話の一つにはなるかもしれませんよ」

 俺の自虐と謙遜を含んだ誘いに、カリーナ王女は悠然ゆうぜんと微笑んだ。

 「わたくし、人を笑い者にして楽しむ趣味はございませんの。笑い者になられたいのなら他の方をお誘いになって」

 ——……は?

 「お待ちください」

 まさか断られるとは思っていなかった俺は、つい反射的に立ち去ろうとしたカリーナ王女の行く手を腕を上げて塞いでしまった。

 あり得ない程に無礼なマナー違反をしてしまった俺を、カリーナ王女の怒りで吊り上がった眼が睨み上げる。

 「非礼は重々承知しておりますが、もう一度私に話をする機会を下さい。少しで構いません。大事な話なんです」

 まずいと思った俺は、さり気なくカリーナ王女をダンスに誘うことを諦め、重要な話があるから聞いて欲しいとカリーナ王女をダンスに誘ったのだが——

 「わたくし、力づくで女を従わせようとする殿方と交わす言葉は一言だって持っておりませんの」

 ——と言って、カリーナ王女は口元を隠していた扇子で何の躊躇も遠慮も無く俺の腕をしたたかに打ち払った。

 「お退きなさい、無礼者。邪魔ですわ」


 ♦♦♦♦


 城から聞こえる優雅で華やかな音楽に羨ましさは感じないけど、楽しそうな雰囲気を感じながら一人カンテラの小さな明かりを頼りに調理場の裏にある洗い場で汚れた手術道具の手入れをしていると、自分がどうでもいいちっぽけな人間に思えて、惨めとまではいかないけど、何で僕はこんな所でこんな事をしているんだろうと遣る瀬無い気持ちにはなる。僕は大きく息を吸って、無駄な仕事に徒労感を感じている様なため息を吐いた。

 「本当に羨ましくも妬ましくも無いんだけどなぁ……」

 貴族のはしくれである木っ端男爵家の更に端くれである僕ではあるが、一応貴族家の一員という事で一度だけ舞踏会に参加した事がある、けど……木っ端の更に木っ端だったからなぁ……

 誰にも相手にされなくて死ぬほど惨めな思いをした事を思い出した僕は、遠い過去を懐かしむような苦笑いを浮かべた。

 「気持ちは分かるけどね」

 未婚の女性にとって舞踏会は優良な嫁ぎ先を自身の魅力で勝ち取れる唯一の場だ。だから僕みたいな一考の余地すらない雑兵の相手をしてくれないのも仕方ない。時は金なり!だからね。

 「何だ……?銃声?」

 ぱん、ぱん、ぱぱ、ぱん……ぱぱん、ぱぱぱん、ぱん、ぱん。

 闇夜に鳴り響く、一方向だけでなく多方向から聞こえる銃声に、僕の体はゾクリと波打って水袋に穴が開いたようにスッと血の気が引いた。

 「何だぁ?何の音だぁ?」

 洗い場のすぐ側にある調理場の裏口から顔を出した料理人らしき青年と目が合った僕は、今すぐ逃げろと言いたかったのか緊急事態だと知らせたかったのかは分からないが、声を出そうと開いた口は「あっ……」としか言わなかった。

 しかしそれでも僕が言いたかった事は、料理人らしき青年には通じたらしく、顔を強張らせて調理場に顔を引っ込めた。

 その閉じられた調理場の裏口を数秒眺めていた僕は、思い出したかのようにどうしようどうしようと慌て始めた。

 ——手術道具の手入れがまだ終わっていないけど……どうしよう。今すぐ宿舎に戻るべきか。手入れを終わらせてから戻るべきか。ああ……どうしよう……どうしよう……

 冷静に考えれば手術道具の手入れなんて宿舎でも出来るのだから、迷うことなくすぐに戻るべきだったのに、動転していた僕は宿舎に帰る事も手術道具の手入れを再開する事も無く、只々右往左往していた。

 「ウィル?そこに居るのはウィルか?!」

 非番で宿舎に居るはずのロニーの声に僕は「ロニー?!」と安堵と驚きの混じった声を上げた。

 「お前何でこんな所にまだ居るんだよ?今がどんな状況か分かってるだろ。何ですぐに戻って来ないんだよ、この馬鹿野郎」

 ロニーのぐうの音も出ない正論に、僕は居心地の悪さを誤魔化すような苦笑いを浮かべた。

 「笑ってる場合かよ、ったくもう。さっさと戻るぞ」

 洗い場に並べていた手術道具を専用の道具入れに手早く入れて肩掛け鞄に仕舞った僕は、洗い場に置いていたカンテラを手にしてロニーと共に宿舎へと駆け出した。

 「どうなると思う?」

 戦闘になるのか、ならないのか。なるとしたら僕達はスペンサー兵と共に戦うのか。何処でどう戦うのか。その結果僕達はどうなるのか。

 漠然と脳裏に浮かぶ疑問の全てを一つの主語の無い曖昧な言葉にして問いかけた僕に、ロニーは「俺に分かると思うか?」と素っ気ない声で答えた。

 「ホッチス隊長にだって分からねえよ、そんな事」

 僕の無思慮な質問に苛立っているからのか、僕と同様にロニーも訳の分からない焦燥感に駆られているからなのかは分からないけど、ロニーは僕の下らない質問に突き離す様なトゲのある声を上げた。

 いつもの僕なら肩を竦めて、『あらら、怒らせちゃた』と苦笑いを浮かべていただろうけど、今の僕にそんな心の余裕は無く、僕達は喧嘩をした後のように無言で宿舎まで走り続けた。

 「あークソッ!」

 宿舎の玄関の前で足を止めたロニーが苛立ちを吐き出す様な声を上げて後ろを付いて来ていた僕に振り返った。

 ——何だ?まだ僕に腹を立てているのか?ったく、めんどくさい野郎だな。これ以上文句を言うつもりなら僕も黙っていないぞ。

 「何で俺はこんな下らねえ事に腹を立ててるんだ」

 僕を少しだけじっと見つめたロニーは、自分を嘲笑うように鼻で笑った。お前もそう思うだろ、と。だから僕は笑みを浮かべて言ってやった。

 「まったくだよ。こんな事で腹を立てるなんてどうかしてる。後少し気づくのが遅れていたら僕に殴られていたよ」

 「はあ?ついさっきまで泣きそうな顔でべそかいてた奴が随分とでかい口を叩くな。虚勢ってやつか?」

 「べそなんて掻いてないよ。泣きそうな顔もしてないし。嘘は良くないよ、ロニー」

 「嘘なもんか。俺が呼んだら迷子のガキみたいにろにぃーって情けない声出してただろ?」

 「そんな声出してない。風評被害だ。謝罪を要求する」

 「どうなるのかなぁ~?」

 僕を馬鹿にしたおどおどした口調でロニーは言った。

 「最終通告だ。それ以上僕の名誉を汚すようなら、僕は君と絶交するぞ」

 ロニーは冗談だろという顔で僕を見たが、僕が本気なのが分かったのだろう。ロニーは半ば呆れた顔で僕に言った。

 「だったらムキになるなよ。余計に見透かされるぞ」

 ロニーの優しい忠告に、僕は嬉しくもあり恥ずかしくもあったが、それ以上に劣等感を感じた。だから僕はロニーにどういう反応を返せばいいのか分からなかった。だから僕は「行くぞ」と言って両開きのドアの片側を開けたロニーの、その後ろ姿にありがとうと声に出さずに言った。

 

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