第19話

 背格好の分別はついても前を歩いてくる顔見知りの顔の分別は出来ない夕闇の中を、待ちに待った日暮れが来たかと獲物を求めて巣穴から這い出た獣のように革命軍は動き出した。

 「革命万歳!」

 住宅街を巡回していた憲兵分隊の頭上から突如として降りそそいだ石礫いしつぶての雨に為す術もなく倒れひるんだ憲兵分隊に、憲兵たちの背後を付け狙っていた革命軍が棒っ切れを頭上に振り上げ襲い掛かる。

 「殺せ!」「一人も逃がすな!」「全員殺せ!」

 反撃を受けて死ぬかもしれない恐怖に駆り立てられている革命軍の情け容赦ない執拗な殴打を受けた憲兵分隊は、五分にも満たない短時間で直視に堪えない無残な姿に成り果てた。

 「ざまあみろ!」「おい!その銃は俺んだぞ!何勝手に取ってやがるんだ、クソガキが。ぶち殺すぞ!」「おい早くしろ!標的はまだまだいっぱいいるんだぞ!」

 最初に革命軍の攻撃を受けたのは巡回中の憲兵部隊だったが、その直後に攻撃を受けたのは、王都の各所に設置された憲兵隊の分屯所。

 その出入り口で歩哨に立っていた兵士を通りすがりの一般人を装った革命軍兵士が隠し持っていたナイフで襲い掛かり、その仲間がランプの火を使ってけた火炎瓶を分屯所の中に投げ込んだ。

 「何だ?!」「火だ!火が投げ込まれた!」「消せ!消せ!」「死ねクソ野郎!」

 不意の一撃で刺し殺した歩哨から奪ったライフルを開けっ放しになっている玄関に向けて狙いをつけずに撃った革命軍兵士は「何やってんだ!早くもっと投げろ!」と叫び、それに呼応した火炎瓶が一つ二つと分屯所の中に投げ込まれ、火に包まれた分屯所から生きたまま焼かれる憲兵たちの身の毛がよだつ絶叫が上がり、通りに革命軍兵士達の歓声が響き渡った。

 

 ♦♦♦♦


 底意地の悪い年増とのファーストダンスを恥を掻かない程度に何とか踊り切った俺は、大きく疲弊した気力に一息入れようと内心の疲れを笑顔で誤魔化しながらダンスエリアから退場しようとした。

 ——くそっ。何でよりにもよってあんな性格の悪いクソババアがカリーナ王女の代わりに出て来るんだよ。俺は悲惨な最期を迎える王女を危険を犯して助けに来ているんだぞ。それを異国の若い貴族だからって軽く見やがって。

 「素晴らしいダンスでしたよ、スミス卿」

 陰湿なこの国の貴族や王家に対して沸々ふつふつと怒りを募らせていた俺の前に、内務卿を任されているフラン侯爵が娘と思われる15、6の若い娘を連れて現れた。

 ——Dはあるな。

 「大変失礼ではありますが、あのバルデ卿を相手にまさかスミス卿があそこまで軽やかに踊るなんて思いもしておりませんでしたので、娘共々驚きに目を見開いてスミス卿の踊りを見ておりました」

 「優雅さに欠ける踊りだったと恥ずかしく思っていたので、フラン卿にお褒め頂けて少しほっとしております」

 「ふふっ。あまりご謙遜が過ぎると、次に踊る時に今以上の踊りを披露しなければならなくなりますよ」

 「それはご容赦ください。先ほどの踊りはバルデ卿のフォローあってのもので、実際の私の力量は皆様と同じかそれよりも劣る程度しかありませんので」

 「ははは。それを聞いて私の娘も安心している事でしょう。娘は踊りが上手くないとスミス卿に相手にされないのではと気にしておりましたから」

 フラン侯爵の視線に釣られて、フラン侯爵の隣に立つ、胸元の開いた大人びたドレスを着た小柄な赤い髪の娘に視線をやると、顔を赤くした娘が慌てて口元を隠していた扇子で顔を覆い隠した。

 ——E?

 「見ての通り、娘は奥手な性格をしているものですから、代わりに私がこうしてお願いに来たのですよ」

 俺は分かりましたと言う風にフラン侯爵に頷くと、扇子で顔を隠しているフラン侯爵の娘に優しく話しかけた。

 「お初にお目にかかります、お麗しい方。私はクレイン王国で伯爵位をたまわっておりますアルベルト・グレイ・スミス。分不相応だとは思いますが、私にあなた様の御名とお声をお聞かせ下さい」

 「あ、いえ、わたくしの方こそ、高名なスミス卿にお会いできて光栄で御座います」

 ——うわ、マジかよ。滅茶苦茶庇護欲をそそる小動物系の声じゃん。

 「わたくしは、ミリシャ・ルー・フラン。フラン侯爵家の二女で御座います」

 ——うわー、マジかー。

 「出来る事ならもっと早くにお会いしたかった」

 「っ……?!」

 幼さの残る顔に透き通るような白い肌。優しく撫でたい細い首筋にゆっくりと指を這わせたい鎖骨。小柄で細身の体に魅力的な曲線を描く揉み応えがありそうな豊かで柔らかそうな胸。

 ——これが革命軍の好き勝手にされるのか……

 「わ、わたくしも……」

 ——惜しいなぁ……もっと早くに知っていたら助けられたのに。どうにかならないかなぁ。いやー、んー……さすがに、今から誰にも話さないように説得するのは難しいか。たとえ彼女が話さなかったとしても、彼女の周りがどんな反応をするか分からないし、もしそれが原因で計画が失敗したら、ソニアやカリーナ王女も革命軍に捕まって彼女と同じ目に遭ってしまう。そうなったら何のためにこの国に来たか分からないし、そのために用意した人も物も無駄になってしまうからな。 

 「せめて……せめて今夜だけでも、あなたと出会えた喜びを私に頂けませんか?」

 俺はそう言って軽く一礼をしてミリシャとの距離を縮めると、頬を赤く染めた上目遣いで俺を見上げるミリシャにそっと左手を差し出した。

 ——どうせ助けられないなら、せめてその温もりと感触だけでも味合わっておかないと勿体もったいないからなぁ。


  ♦♦♦♦ 


 ——今夜の出来事は、間違いなく歴史に刻まれるだろう。その指揮を執った私の事は何と書かれるのであろうか。

 革命軍の指揮の全てを統率するクシャール将軍は、その冷徹そうな顔に皮肉気な笑みを浮かべた。

 ——間違っても私を英雄と書いてくれるな。

 「近衛が動きだしました」

 王都近郊に広がる小さな森に革命軍主力と共に潜んでいたクシャール将軍の下に、偵察に出ていた副官の一人がやって来て言った。その副官が手にしている暗幕で明かりを最小限に抑えたカンテラを少しの間見つめたクシャール将軍は、ゆっくりと椅子から立ち上がって各隊の部隊長を集めると命じた。

 「現在時より一時間後に総攻撃を行う。各自、万事抜かりなく準備を整えよ」

 「「革命万歳」」

 ——フン。何が革命万歳だ。

 陽が落ちて隣に立つ人の顔も見えない森の暗さを良い事に、クシャール将軍は本心をさらけ出す唾棄するような嫌悪の表情を浮かべた。

 ——資本家共ブルジョワのまやかしの理想に踊らされている愚か者共め。

 「クシャール将軍、ベルナルドが報告してきた懸念については如何致しましょう?」

 副官の一人が誰にも聞こえないように耳打ちした言葉に、クシャール将軍は

 「捨ておけ。奴の言っている事が事実だとしても今更どうにもならん」と返した。

 

  ♦♦♦♦ 


 「将軍は動くと思うか?」

 「動けると思うか?」

 ベルナルドに問い返されたアルス少尉は、心労を吐き出す様な小さなため息を零して「いいや」と言った。

 「何でも出来るようで何も出来ないのが将軍だからな」

 将軍は全ての兵士に死ぬまで戦えと命じることも強要させることも出来るが、それが出来るのはそれが勝利に必要な場合だけで、将軍だからと私利私欲や個人的な心情で兵を動かすことは許されない。平時であれば多少は見過ごされるかもしれないが、今は一瞬のよそ見が勝敗が決する戦時。確たる証拠の無い話に兵を割く余裕などあるはずがない。

 「援軍が来るのは将軍が王城を攻め落とした後になるだろう。そんな余裕があればだが」

 ベルナルドの口振りは全く期待していないようだった。

 「王都の住民がいくら死のうが革命の成否には何の関係もないからな」

 ——理解はする。理解はするが……納得は出来ない。

 「お前の話を聞いて腑に落ちた事がある」

 暇つぶしの手遊びのように暗殺者たちから奪った連発銃をいじっていたレオナルドがその手を止めて言った。

 「なぜ革命の決行が夜なのか。軍に居た事のあるお前なら分かるだろ?それがどれだけ無謀で危険な行為なのか」

 アルス少尉は小さく頷いた。

 「敵味方の区別がつかない夜間の戦闘は、いくら訓練を積んでも同士討ちが発生する」

 「厳しい訓練を長年受けた軍人でそうなら、素人の集まりでしかない革命軍が敵味方の区別がつかない夜間に戦闘なんかしたらどうなると思う?」

 「だから私は交差路に陣地を構築してそこにこもるつもりだった。私が陣取った交差路に近づかないように近隣の部隊を指揮する指揮官にも話を通していたし、少しでも敵味方の識別がつきやすいように交差路の各通りの先には明かりを置くつもりだった。だがそれでも同士討ちが発生するだろうとは思っていた」

 「おかしいとは思わなかったのか?」

 「思ったさ。だけど、何かそうするしかない理由があるんだろうと思っていた。君もそうだろ?」

 「馬鹿げているとは思ったが……あの野郎」

 「将軍もエーヴィス大司教の企てに加担していると思うか?」

 「それは無いだろう。将軍は聖母会の信徒だし、俺の知る限り、エーヴィス大司教と将軍に繋がりがあると聞いたことは無い。しかし、その上にいる奴らなら関わりがあってもおかしくない」

 「民衆の党か」

 「奴らは貴族の圧政から民衆を救うとうたっているが、その実態は労働者を安い賃金で奴隷のように扱き使う資産家ブルジョワ共の傀儡かいらいだ。聖父教会が持つ権益のうまみをほんの少しでもチラつせればいとも簡単によだれを垂らして尻尾を振るだろうよ」

 「となると、味方にも奴らの手先が居るという事か。将軍は本当に知らなかったと思うか?」

 「奴らが何かを企んでいる事は知っていただろうが、所詮は雇われの将軍だからな、あの野郎は。雇い主にやれと言われればどんなに無茶な作戦であろうとやるしかないんだろう」

 「懐柔されている可能性は無いのか?」

 「ほぼ無いな。あいつは勝つためなら手段を選ばないし、兵の犠牲も厭わない最低な野郎だが、勝利に寄与しない己の欲を満たすための戦いをした事は一度だってない。たぶん、今頃怒り狂ってるんじゃないか。下らん理由で余計な邪魔をしやがって、と」

 馬鹿にするようにベルナルドは鼻を鳴らした。

 「あいつは如何に敵を倒すかにしか興味の無い戦争狂だからな。大金を使って懐柔しなくても、騙すのも言いくるめるのも簡単だったろうよ。でもだからと言って、あいつは騙していい人間じゃあない」

 何故か分かるかとベルナルドは視線でアルス少尉に問いかけた。

 「君の話を聞くに、将軍は善良な人間でも尊敬を集める人間でもないのだろう。となると、将軍はかなり厄介な性格をしているんじゃないか?怒りや恨みを持っている人間に対しては、特に」

 正解だという風にベルナルドは口の端を上げて笑う。

 「俺の知っている限り、あいつを虚仮にして生き残っている奴は一人もいない」

 銃声が鳴った。弾薬庫に火がついたかのように。激しい雨が降り始めたかのように。

 「始まったか……火を灯せ!作戦開始だ!」

 

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