第21話

 カリーナ王女とアルベルトとの間に起きたいさかいは、目立たない場所で僅かな時間だけ起きた揉め事だったが、他国に名を轟かせる異国の貴族と自国の王女の会話に誰も注目をしていないはずが無く、カリーナ王女とアルベルトの間で起きた問題は、あっという間にダンスホール中に広まった。

 その事に焦ったのか気にしていないのかアルベルトは周囲から向けられる不審な視線や不快気な視線に、言い訳するような困惑した苦笑いを浮かべた。不幸な手違いでカリーナ王女を怒らせてしまったようだと言うように。

 ——何と小狡こずるく浅ましい男か。

 非礼を働いておきながら謝罪をすることも恥じ入る事もせずその場しのぎの誤魔化しをするアルベルトの厚顔無恥な態度に、カリーナ王女は心底軽蔑している不快気が表情を浮かべた。

 「ねぇ、リーザ。何でこの図々しい無法者は、まだわたくしの前に立っているの?わたくしの声が聞こえなかったのかしら?」

 閉じていた扇子を開いて目元以外を隠したカリーナ王女は、未だに自身の目の前に立ったままのアルベルトを睨み上げて言った。

 「一度言っただけでは理解できないのでしょう。躾の出来ていた物覚えの悪い犬のような顔を見れば分かります」

 カリーナ王女の背後に控えていた侍女リーザはそう言うとダンスホールに響き渡る雷のような怒声を上げた。

 「退け、無礼者!」

 今にも胸倉を掴んできそうな勢いでアルベルトの前に立ったリーザの気迫に、アルベルトは目を見開いて仰け反った。おいおい何だよ。何ガチギレしてんだよ。俺はこの国の国賓だぞ、と。

 「クレイン王国は我が国を見下しに来たのか!」

 この馬鹿では話にならんとばかりに、リーザはアルベルトを無視して他に話が出来る人間はいないかと騒然となっているダンスホールを見渡した。

 「お待ち下さい!」

 遠巻きに事態を見守る人々の中から注目を浴びながら現れたのは、血相を変えたクレイン王国の外務次官オルカ・レイ・ベーデン。

 「お待ちください、カリーナ王女殿下。我が国は決して貴国を下に見たりはしておりません。その証左に我が国は——」

 楽団の演奏が止んだダンスホールにベーデンの恐縮した声が響いた。しかし響いたのはそれだけでは無く、窓の外で立て続けに鳴っている破裂したような音もダンスホールに響いた。

 「何だ?何の音だ?」

 誰もが思った疑問を代弁するかのように上がった誰かの声に答えるように「くそっ。始まっちまったか」としくじった事を悔しがるような顔でアルベルトが言った。のを目の前で耳にしたカリーナは、それはどういう意味かと問い詰めるような視線をアルベルトへ向けようとしてその意味をさとった。

 「捕らえよ!」

 顔を隠していた扇子をアルベルトに突き付けたカリーナは、自身の唐突な命令に驚き困惑する人々に向かって再度命じる。

 「こやつを捕らえなさい!」

 「え……?あ、いや、お待ちを!」

 アルベルトのしでかした失態をどうにか丸く収めようと必死に弁明をしていたベーデンは、カリーナの思いもよらない唐突な捕縛命令を耳にして頭の中が真っ白になった。

 「何を?!」

 どうにかせねばと思考が停止した頭で思ったのだろう。自らの手でアルベルトを捕らえようとしたカリーナを、ベーデンはアルベルトから遠ざけるように突き飛ばしてしまった。

 「このれ者め!」

 敬愛する王女殿下を突き飛ばされて激高したリーザは、自分のしでかしたことに驚き狼狽うろたえるベーデンを、いざという時の護身用にとドレスの腰帯に挟んでいた鉄扇で思いっ切り打ち据えた。

 


  ♦♦♦♦


 それは後だ。先にそれを積み込め。マーティンはどうした?まだか?弾薬の積み込みが終わりました!王城へ運びます!誰だ!こんな所にライフルを立てかけている馬鹿は!

 いつ何が起きても対応できるように完全装備で待機している医務室の窓から見える蜂の巣をつついたようなというたとえがぴったりと当て嵌まる宿舎の様子に、僕は言いえて妙だなと他人事のように感心した。

 「戦闘になると思いますか?」

 僕の問いに、机に置かれたランタンの明かりを頼りに書き物をしていたハリス曹長が顔を上げた。

 「私達が反乱軍と戦う事はありませんよ。私達は外遊団の護衛であって援軍ではありませんからね」

 「王城の中に反乱軍が入って来てもですか?」

 「私達とスペンサー王国の区別ができるだけの理性が反乱軍にあれば私達を攻撃することは無いでしょう」

 「あると思いますか?」

 「あればいいですね」

 どちらに転んでも大差は無いといった感じのハリス曹長の態度に、僕は見知らぬ土地に何の助言も無く放り出された様な不安を覚えた。

 「やるべきことをやるだけですよ」

 求めていた明確な答えを得られなかった僕の不満げな視線に、書き物を再開したハリス曹長はもう一度手を止めて言った。

 「何があろうと、やるべきことをやるだけです。君がやるべきことは何ですか?どうなるか分からない事に思い悩むことですか?」

 「……いいえ」

 分かってはいる。何がどうなるか分かった所でどうしようもない事は。

 「君が恐れているのは何です?」

 「え……?」

 「銃で撃たれる事ですか?」

 僕は答えに窮した。

 ——そりゃ銃で撃たれることが怖いかと言われたら怖いけど、それは軍に入る前から分かっていた事だし、それを今更怖いと答えるのはなぁ。

 「仲間を失う事ですか?」

 そう問われてロニーとジョシュアの顔が思い浮かんだ僕は、崖から落ちそうになった時のように肝を冷やした。

 「君が為すべきことは、そうなったらどうしようと怯えている事ですか?」

 「いいえ、違います」

 窓際から離れた僕は、自分の机に置いてあるランプにマッチを擦って明かりを灯した。

 「僕は役に立てるでしょうか?為すべきことを為せるでしょうか?」

 「君がそう望み、そのための努力を惜しまなければ出来る事はあるでしょう」

 僕はクレイン王国から持って来た人体解剖図が載っている本を開いた。

 ——本当に僕は役に立てるんだろうか?慌てふためいて何の役にも立たないんじゃないのか?

 

  ♦♦♦♦


 

 「聖父教会の誰に何を頼まれた?」

 罪人の家シナー・ハウスにふらりと現れて、そこにいた人でなしのならず者と性悪の娼婦を皆殺しにした、バーテンにカルセルと呼ばれた病人のように頬が痩せこけた長身の男に問われた三人の浮浪児達は、恐怖に唾を飲んで顔を強張らせた。

 「見返りは何だ?下働きにしてやるとでも言われたか?」

 図星だった。それは三人の浮浪児たちの何で知っているんだという顔にも表れている。

 「信じているのか?」

 馬鹿にするでも疑うでもないただ事実を確認する様な問いかけに、三人の浮浪児達は一様に不審な人物を見るような怪訝な表情を浮かべた。

 「そんな奴居る訳ねえだろ」

 何を頓珍漢な事を言ってやがんだと言う風にバーテンのバクスは鼻で笑うように言った。

 「頭の悪いろくでなし共の相手しかした事が無い老いぼれのバーテンには想像もできないだろうが、真に悪辣な人間は清廉潔白の善人面をしているんだよ」

 そう言ってカルセルと呼ばれる男はバーカウンターに置いたままだったサーベルを手に取って鞘に仕舞った。

 「か、帰るのか?」

 バクスの期待が透けて見えるぎこちない口元の笑みに、カルセルと呼ばれる男は鼻を鳴らして言った。

 「見当がついたからな」

 バクスに向いていたカルセルと呼ばれる男の視線が三人の浮浪児達に向き、その三人と自分達は関係ないと言う様に少し離れた所に固まっている浮浪児達に向く。

 「こいつらはくれてやる。だからきっちりと片付けておけよ?」

 三人を除く浮浪児達は、思いがけない報酬に目を見開き、ニヤリと口元を吊り上げた。

 「上に誰かいるのか?」

 シナー・ハウスの二階には、娼婦が商売をするためのベッドがあるだけの狭い部屋が三部屋あった。

 「え?あー……どうだったかな。たぶん居ないと思うが……誰か覚えているか?」

 バクスに問いかけられた浮浪児達は、餌を前にした犬のように床に転がる死体から目を逸らさずに首を横に振る。

 「調べて来てくれるよな、バクス」

 「……ああ、もちろん」

 カルセルと呼ばれている男に拳銃を突き付けられたバクスは、恐る恐る二階へ上がる階段を昇って行き、その後をカルセルと呼ばれている男がつづく。

 「待て」

 カルセルに問い詰められた三人の浮浪児達の一人が、立ち上がろうとした仲間の腕を掴んで止めた。

 「何だよ」

 止められた浮浪児が苛立った声で止めた浮浪児を睨みつけた。

 「今動いたら気づかれるだろ」

 「気づかれたら何だよ。そんなの外に出ちまえば関係ねえだろ」

 「あいつ一人とは限らねえだろ。外に仲間がいたらどうするんだよ」

 そう問われてその可能性に気づいた浮浪児は、自分のミスを素直に認められないのか不服そうに口を尖らせて自分を止めた浮浪児から視線を逸らした。

 「でも早く知らせねえとスチュワートさんが危ないぞ」

 二人のやり取りを聞いていたもう一人の浮浪児がそう言うと、引き止められた浮浪児はここぞとばかりに引き止めた浮浪児を責め立てた。

 「そうだそうだ。スチュワートさんがあいつに殺されちまったらどうするんだ。お前はあの人が俺達にしてくれた事を忘れたのか?」

 それを言われると引き止めた浮浪児は何も言い返せなかった。

 「どうなんだよ、バルジ。忘れちまったのか?」

 「……覚えてるよ、ちゃんと」

 「だったら何で俺を止めた?ああ?」

 「おい、クリス。早くしねえとあいつが戻って来るぞ」

 「おお、そうだな」

 スリを生業にしている浮浪児らしい即断即決で立ち上がった二人に、バルジと呼ばれる浮浪児は仲間に責め立てられて意気消沈していた事もあって数瞬遅れで立ち上がった。

 「お前は来んじゃねえ」

 立ち上がった所をクリスと呼ばれる浮浪児に突き飛ばされたバルジは、一歩二歩とよろけて床に転がっている死体に足を引っかけて転んだ。

 「臆病者はそこで一生震えてろ」

 仲間に捨て台詞を吐かれたバルジは、死体の上に倒れ込んだまま呆然と仲間が立ち去った出入り口を見つめた。

 「あれだけ銃声がしたっていうのに、誰も様子を見に来る者がいないなんて、随分と良い店だな、バクス。鼻高々だろ?」

 カルセルと呼ばれる男の声に振り向いたバルジは、バクスを先頭に二階から下りて来るカルセルの姿を見てすぐに死体の上から退いてさっきまで居た壁際に引っ込んだ。

 「仲間割れか?」

 三人いたはずの二人が消えて残った一人の服には死体の上を転がって付いたであろう血が付いている。見ていなくてもカルセルには三人の間で何が起きたのか容易に想像できた。

 「二人が何処に行ったか知っている奴は居るか?」

 カルセルの問いに、バーテンのバクスは呆れた鼻息を吐き、浮浪児達は互いの顔色をうかがった。

 「答える訳ねえだろ。知ってるだろ」

 犯罪で生きている浮浪児達にとって告げ口は最も嫌われる行為だ。たとえそれが敵対している相手でも告げ口をしないのが浮浪児達の不文律で。もしそれを破るものがいれば、浮浪児達は敵味方関係なく排除し粛清する。

 「倫理観の欠片も無い連中を相手にしていると確めたくなるんだよ。守るべき最低限の倫理観はまだこの世界に残っているのか、と」

 浮浪児達を見渡したカルセルは、仲間外れにされて一人だけでいるバルジに近づいて言った。

 「まだ仲間だと思っているのか?」

 バルジは眉根を寄せていぶかしむ。何でそんな事を聞くんだと。

 「今夜、革命軍が行動を起こすつもりなのは知っているか?」

 カルセルの問いに、バルジは答えても大丈夫なのかと他の浮浪児達の顔色を窺った。

 「知ってるだろ?」

 カルセルは他の浮浪児達にも問いかけた。

 「バクス。お前も知っているだろ?」

 カルセルに問われたバクスは知っている事をとぼけるような顔で肩を竦めた。

 「スチュワートに何を頼まれた?」

 バクスは驚きに目を見開いた。

 ——何で知っている?!バクスの野郎が教えたのか?!

 バルジに射殺すような視線で睨まれたバクスは、俺じゃない!と必死に弁明するように首を左右に振った。

 ——お前じゃなかったら、何でこの野郎がスチュワートさんの名前を知ってるんだよ! 

 「スリ……いや、案内か?」

 そうだろう?とカルセルに視線で問われたバルジは答える事を拒絶するように顔を横に振った。

 「なるほど。下水を使うつもりか」

 ——嘘だろ?!何で分かるんだよ?!

 顔に出さないように必死に表情を殺していたバルジだったが、誰にも話してはいけないとスチュワートに口止めされていた秘密が体をすり抜けるように次から次へと暴かれ、内心では絶体絶命の危機に瀕している様に焦っていた。

 ——嗚呼、どうしよう。このままじゃスチュワートさんとの約束が守れない。

 「狙いは何処だ?」

 ——早く何とかしないとスチュワートさんが約束してくれた下働きの仕事が無くなってしまう。

 「貴族街か?ああ、それであの覆面の司祭は俺に平民街を襲えと言ったのか。一番のご馳走を自分達だけで食らうために」

 バルジは万が一の時に使える!とクリスに突き飛ばされて死体の上に転がった時に見つけて隠し持っていた拳銃の撃鉄をカルセルに気づかれないようにゆっくりと引き起こしていく。

 ——こいつが死ねばいいんだ。そうだ。こいつが死ねば、スチュワートさんとの約束が守れるし、俺を臆病者と馬鹿にしたクリスたちを見返すことだって出来る。

 「俺が間抜けに見えたか?」

 油断したつもりも侮ったつもりも無かった。細心の注意を払って全身全霊でその動きの全てを見張っていたはずだった。なのに——

 「俺が床に転がっている間抜けと同じに見えたのか?」

 ——あっ!と気づいた時には銃を突き付けられていた。

 バアン!

 銃を突き付けられた恐怖で震えた指が後少しで引き切れそうだった撃鉄から滑り、バルジが隠し持っていた銃は耳をつんざく音を立てて床板を撃ち抜いた。

 それをバルジは自分が撃たれたのだと錯覚して盛大な悲鳴を上げて気絶した。

 「……はぁ」

 カルセルは起こしていた拳銃の撃鉄を元に戻してホルスターに仕舞うと、バルジが背後に隠し持っていた拳銃を拾い上げて他の浮浪児達に見せるように掲げた。

 「こいつはこれが無くても俺を殺そうとしたと思うか?」

 カルセルは拳銃の円筒形をした弾倉から全ての銃弾を抜くと、それを浮浪児達に向けて撃鉄を起こして引き金を引いた。

 「こいつの扱いは簡単だが、こいつの持つ恐ろしさはお前らに扱えるほど簡単なものじゃない」

 カルセルは拳銃に銃弾を一発込めて足元の死体の頭に向かって発砲した。

 「お前らならどうする?こんな簡単に人を殺せる武器を何をしでかすか分からないクソガキが持っていると分かったら。黙って見逃すか?俺なら殺してでもそいつから取り上げる。だからどうしても欲しいなら、普段から持ち歩くのは止めて必要な時が来るまで誰にも見つからない場所に隠しておけ」

 そう言ってカルセルは手に持っていた拳銃と拳銃から抜いた銃弾を足元に落とした。

 「おい、殺してでも取り上げるんじゃねえのかよ」

 バクスが非難の声を上げた。

 「まだ持ってない奴からどうやって取り上げろって言うんだよ?」

 皮肉気にカルセルは口の端の片側を上げて小さく笑った。

 

   

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