第12話

 革命軍が密かに使っている集合住宅の一室で、アルス少尉とベルナルド、マルコが一様に困惑した表情で顔を突き合わせていた。

 「信じているのか?あのガキ共が言っている事」

 懐疑的なアルス少尉の問いに、ベルナルドの眉間みけんの皺がより一層深くなった。

 「信じるも信じないも、何であいつらの口から、こいつの名前が出て来るんだよ?」

 アルス少尉に向いていたベルナルドの目がちらりとマルコの顔に向いた。

 「俺が知らないだけで、こいつは革命軍じゃ名の知れた有名人なのか?」

 いやそんなまさか、と否定するようにマルコの首が左右に揺れた。

 「じゃあ誰か名の知れた有名人や資産家の隠し子か?」

 再度マルコの首が左右に揺れた。

 「俺はただの孤児院出身の御者見習いで、誰かに名前が知られる様な事は一度だってした事が無いですし、孤児院に入るまでは血の繋がった両親と暮らしていましたから、誰かの隠し子ということも無いです」

 マルコの話を聞いたアルス少尉とベルナルドは、どういう事だという不可解そうな顔を見合わせた。

 「あのガキ共はマルコを殺す理由を言わなかったのか?」

 「あんな頼りないガキ共に本当のことを馬鹿正直に言うと思うか?」

 「言ったかもしれないだろ?何て言ったんだ?ちゃんと聞きだしているんだろ?」

 ベルナルドは不貞腐れている様にフンと鼻を鳴らした。

 「王女様の命を守るためだとさ」

 「王女様?スペンサーのか?」

 「この国にそれ以外の王女様がいるのか?」

 アルス少尉は更に訳が分からないというような困惑顔で首を傾げ、脳裏に浮かぶ疑問を独り言のように呟いた。

 「どういうことだ?王女様?王女様を守る?それが何故……マルコを殺すことにつながる?」

 呆れたようにベルナルドが舌打ちした。

 「何を真剣に考えているんだ、馬鹿が」

 「考える価値があるから考えているんだろうが、馬鹿が」

 「何だと、このブタ野郎」

 「なら聞くが、あのガキ共に指示を出した奴は、何でガキ共にそんな事を言ったんだ?他にそれらしい理由はいくらでもあるだろう?人前で酷い恥を掻かされたとか、愛していた女を寝取られたとか、もっともらしい理由はいくらでもあるだろ?なのに、何でマルコを殺す理由が王女様を守るためなんだ?」

 「あの年頃の奴はそういうのが好きだろ」

 「それは否定しないが、本当に実行する奴がいると思うか?」

 「いるからこんな事になってんだろ。それよりも……」

 見逃していた問題に気付いたようにベルナルドは苦々しい表情で口を閉じた。

 「これからどうするにしても、君が先ほど馬鹿にした疑問について考える必要があるだろ?誰が何のためにマルコの命を狙っているのか。分からなければ手の打ちようがないだろ?」

 アルス少尉に嫌味を言われたベルナルドの顔は更に苦々しいものになった。

 「あの、俺、考えたんですけど——」

 当事者なのに蚊帳の外に置かれていたマルコの発言に、アルス少尉とベルナルドは思い出したようにマルコへ意識を向けた。

 「——俺が居なくなれば二人は何の問題も無いんじゃないですか?」

 マルコの発言に、アルス少尉とベルナルドの顔に怒気が宿る。

 「何を言っているんだ、君は!」「何言ってんだ、馬鹿野郎!」

 「あ、いや、その、居なくなると言っても、お二人の迷惑にならないように離れるという訳ではなくて、その、あの、俺が居るからあの二人は俺達を尾行してきた訳じゃないですか?」

 「だから君を何処か安全な場所に隠せば、私とベルナルドが何処の誰か分からない連中に襲われるようなことは無い、と君は言いたいのかね?」

 「はい、そうです。何で俺なんかが命を狙われているのか分かんないですけど、狙われているのは俺じゃないですか。だから俺が居なくなれば、お二人は自由に動けると思ったんですけど……」

 アルス少尉とベルナルドの難色を示す顔色を見たマルコの言葉尻が小さく途切れた。

 「君の言う事に一理いちりはあるが……」

 「ある訳ねえだろ。俺達はお前の所を出た時から尾行されてるんだぞ。こいつが居なくなったからって、それで何処の誰だか分からん連中が俺達を見逃すと思うか?」

 「ではどうするつもりだ?いつまでも彼を守ることは出来ないんだぞ?彼を助けたいのなら今のうちに何か手を打つべきだ」

 「あの!あの、やっぱり、あの、俺は足手まといだから居なくなった方が良いと思います。俺が居なくても誰も困らないけど、アルス少尉とベルナルドさんがいないと困る人は一杯いるじゃないですか。だからもうほんと、俺のことはどうでもいいんで、俺なんかよりも皆に力を貸して上げて下さい」

 「チッ、馬鹿が。何言ってんだ、お前。そんな奴が何の役に立つって言うんだよ。どうしようもなくなったら仲間を見捨てていくような奴だぞ?お前はそんな奴に背中を預けても平気だって言うのか?お前は俺がそんな奴だって言いたいのか?」

 「いやそんな!思ってもいないです!俺は、ベルナルドさんもアルス少尉も本当に尊敬してて、だから、だから、俺なんかの為じゃなくて、もっとたくさんの人達のためにお二人は活躍するべきなんですよ」

 「マルコ、君の言いたい事は分かるが、まだ出来る事がきっとあるはずだ」

 「だけど革命の決行は今夜なんですよ?!その時にアルス少尉とベルナルドさんが現場に居ないなんて事になったらどうするんですか?!現場で指揮を執れるのはアルス少尉とベルナルドさんだけなんですよ?」

 「落ち着け、マルコ。時間はまだある」

 だから任せろというように笑みを浮かべたアルス少尉は、ベルナルドがまだ一言も口出しをしてきていないことに気づき、アルス少尉は咄嗟に顔色を真剣なものに変えてベルナルドに視線を向けた。

 「どうした?」

 アルス少尉の問いに、裏通りに面した閉じた木窓に耳を当てていたベルナルドの人差し指が、静かにと口に当てられた。

 

   ♦♦♦♦


 たとえ命を落とそうとも殺しはしない。それが男の信条だった。

 「ど、どど、どうしよう、叔父さん。本物の依頼者が来ちゃった」

 グラスの底を濡らす程度のブランデーにたっぷりと水を加えたブランデーの水割りをちびちびと飲んでいた男の部屋を、胸の谷間が見えるクールでミステリアスな装いをした、姪のリリーが怯えた様子で訪ねて来たのは三か月ほど前の事。

 「落ち着け、リリー」

 男は、手にしていた琥珀色のほぼ水のブランデーの水割りを、ゆっくりと一人掛けのソファの横にあるサイドテーブルに置いて言った。

 「そんなの無理よ、叔父さん!これを見てよ!これを見ても叔父さんはまだ私に落ち着けなんていうの?!」

 姪リリーが男に突き出したのは、赤いベルベットの布に包まれた一枚の古いコイン。

 「……本物なのか?」

 嘘であってくれと願う男の期待を裏切るように、リリーの神妙な顔がゆっくりと頷いた。

 「だからあれほどめろと言っただろ!」

 「本気にする人がいるなんて思わないじゃない!叔父さんだってそう思ったから口で注意するだけで済ませてたんでしょ?!」

 姪に真実を突き付けられた男は、隠していた罪を暴かれた容疑者のように目を見開いて仰け反った。

 「ふっ、このリリーを欺けると思ったのが、あなたが犯した最大にして唯一の過ち」

 勝ち誇ったように腕を組んで冷笑する姪のリリーに、男はおもむろにソファから立ち上がって右下段回し蹴りを食らわせると、がくりと膝を突いたリリーの頭を両手で掴んでカクテルボトルのように思いっ切り前後にシャカシャカと振った。

 「ふざけている場合か、この馬鹿娘があああ!」

 「ああー、やめてぇー!頭が!頭の中があああ!ぐちゃぐちゃになっちゃううー!」

 男は息が切れるまで姪の頭を振ると、用済みとばかりに姪の頭を床に投げ捨てた。


 男の名はビル。ビル・ギャレット。流行り病で亡くなった姉夫婦の一人娘、リリーを引き取るまではクレイン王国の憲兵部隊で潜入工作員をしていた、現在は王都の裏通りの隅っこにある小さな店で、効果の怪しい医薬品や薬草を売る薬品店の店主をしている。

 「まったく、何処の誰だ?うちの馬鹿娘の作り話を真に受けてこんな物を寄こしやがったのは」

 ビルは床に転がった一枚の古いコインを指で摘まんで拾い上げて言った。

 

 ビルの手の平にある古いコインは、二千年も前に存在した、古今に比類なき世界最大の領土を持つ、ルーイン大帝国が僅かな期間だけ製造した、現在では非常に希少性の高い銀貨。

 通称『聖母ナディアの二分銀貨』

 聖母ナディアが生きていた時代に広く一般に流通していた、庶民も使う二分銀貨という事もあり、聖母ナディアがその手に取ったかもしれない貨幣として、コレクターだけでなく聖母を信仰している人達にも極めて人気が高い硬貨だ。

 しかし、二千年前の短い期間だけ製造された貨幣という事もあって、現存している数は非常に少なく、その価値は時が経つほどに上がり、現在では”聖母ナディアの二分銀貨”一枚で城が建つほどの価値があると言われている。


 「おい、リリー。起きろ。いつまでうずくまっているつもりだ」

 「うぅぅ~、むりぃー。頭が今にも破裂しそうなくらいガンガンするぅ~」

 「こいつを持って来たのはどんな奴だった?お前に何て言ってこれを渡したんだ?」

 「だから頭が痛くて無理だってぇー。もう何も考えられないんだってぇー」

 「何だって?もう一回振ったら思い出すって?」

 「あーやだやだやだ!言う!言うからもうめて!これ以上やったら中身が頭から飛び出しちゃう!」

 「なら今すぐ言え。これを持って来た奴はどんな奴だった」

 「あー、えー……あ!黒髪!黒い髪をしてた。私と同じ年ぐらいで、顔は……たぶんイケメン?」

 「たぶん、イケメン?イケメンと言えなくもない顔って事か?」

 「いや、たぶんイケメンだと思う。あ、それと何か服装が合ってなかった。借り物の服を着ている様な、普段自分が来ている服じゃない様な」

 「上等な服を着ていたのか?どんな服だ?貴族の使用人が着ているような服か?どこぞのボンボンが着ているような服か?」

 「ん-ん。普通の服。この辺の人がいつも着ているような」

 ビルは思案するように視線を右上に上げた。

 「そいつはお前に何て言ったんだ?」

 「あー、えーっとぉ……『これで依頼が出来るんだよな?不可能を可能にする伝説の不可視の暗殺者インビジブル・アサシンに』て言って、カウンターの上にそれが入った包みを置いたの。だから私は軽くあしらう様に言ってやったの。『こんな物を親に断りもなく勝手に持ち出すなんて悪い子ね。叱られる前に戻してきなさい、坊や』てね」

 恥ずかしいくらいに幼稚で馬鹿馬鹿しい会話を聞いたせいだろうか。何とも言いようのない苛立ちを覚えたビルは、目一杯に開いた手の平をリリーの顔に当てて握り潰す様に力を込めた。

 「くぅう、あああー!」

 「お前は今年でいくつになると思っているんだ?そんなんだからいい歳して未だに嫁の貰い手がつかないんだろうが、この馬鹿娘がっ!」

 「死ぬうううー!指がこめかみにめり込んで死ぬううー!」

 

 ♦♦♦♦


 「つまり君達は……クレイン王国で小さな店を開いている、何処にでもいる叔父と姪という事か?」

 アルス少尉は、ロープで手足を椅子に拘束されている壮年の男とそれより十歳以上若い女の前にかがみ込んで言った。

 「信じられないでしょうけど、嘘偽りのない事実です」

 ビル・ギャレットと名乗る三十代半ばらしき男が言った。

 「一緒に居た奴らは何者だ?クレイン王国の手の者か?」

 アルス少尉たちが潜んでいた集合住宅の裏通りで行われていた、襲撃の打ち合わせを盗み聞きしていたアルス少尉たちは、打ち合わせが終わって他の者達が打ち合わせ通りの行動を始めても何故かその場に残っていた二人を、ベルナルドの強襲で誰にも気付かれないようにさらった。

 「さあ、どうでしょう。先ほども言いましたが、私達は小さい店を開いているだけの人間なので、彼等がクレイン王国に関係のある人間かどうかまでは、分からないですね」

 二人はいとも簡単に、拍子抜けするほどに抵抗らしい抵抗もなく捕まった。

 「奴らに指示を出している人間が誰か分かるか?」

 だから腑に落ちない。

 「はい。それなら分かります。彼らが良く口に出していたので」

 何故ビルと名乗るこの男はこんなにも冷静でいられるのか。

 「誰だ?」

 「アルベルト・グレイ・スミス。クレインでは若き天才銃器設計者として有名なんですけど、ご存知ですか?」

 リリーと名乗る若い女の方は表面上は落ち着いているように見えるが、顔の強張りや視線の落ち着きの無さから、大なり小なりの不安や恐怖を感じているのが見て取れた。

 「ああ、知ってる。つい最近、この国に来たらしいな」

 しかしこのビルと名乗る男からは何にも感じ取れない。不安も、焦りも、恐怖も。

 「そのアルベルト・グレイ・スミスが奴らに指示を出しているんですよ」

 ベルと名乗る男の視線が、アルス少尉の背後に立つマルコに向いた。

 「彼を殺せ、と」

 ベルと名乗る男の視線に釣られるようにマルコへ振り返ったアルス少尉は、一拍置いてその視線をベルと名乗る男へ戻した。

 「彼を殺す事に何の価値がある?彼はごく普通の青年だ。誰かに殺される様な、少なくとも他国のお貴族さまに命を狙われる様ないわれは無いはずだ」

 「本人に直接聞いたわけではないですから、何で彼がそんな事を言ったのかは分からないですし、本人が本当に言ったかのかも分からないですが、アルベルト・グレイ・スミスは、彼を殺す理由についてこう言ったそうです。『彼を殺すことで、数万人のスペンサーとクレインの人々の命を救うことが出来る』と」

 「だろう、ではなく、出来ると言ったのか?」

 「はい。私の聞き間違いでなければ、彼は出来ると言ったそうです」

 アルス少尉は怪しげな話を聞いた時のように眉を寄せた。

 「アルベルト・グレイ・スミスは銃の設計だけでなく予言も出来るのか?」

 「さあ、どうでしょう。そんな話を聞いた事はありませんけど」

 アルス少尉は思案するように顎に手を当てて黙ると、唐突にリリーと名乗る若い女に話しかけた。

 「君の叔父さんは何者だ?」

 「え……?叔父さんは、叔父さんだけど?」

 「本当に?」

 「……え?叔父さんは叔父さんじゃないの?」

 リリーと名乗る若い女は、ビルと名乗る男に向かって訝しむような顔を向けて言った。

 「……はあ~。すみませんが、出来たら質問は私だけにして貰えますか?この子はちょっと……馬鹿なので」

 「はあ~?馬鹿は叔父さんでしょ。あの時すぐ動いていればこの人達に捕まることも無かったのに、何であの時馬鹿みたいにぼーっと突っ立っていたのよ。そのせいでこの人達に捕まっちゃったんじゃない」

 「黙れ、これ以上喋るな」

 「何よ、叔父さんが私を馬鹿にするのは良くて、何で私が叔父さんを馬鹿にするのは駄目なのよ」

 「分かった。悪かったよ、馬鹿にして。だからこれ以上喋るな」

 「いえいえ、喋って貰いますよ、彼女には」

 アルス少尉はそう言ってビルと名乗る男の首にナイフの刃を当てると、リリーと名乗る若い女に顔を向けて言った。

 「叔父さんについて、知っている事を全て話して貰えますよね?」

 リリーと名乗る若い女は声を震わせて悲鳴の様な声を上げた。

 「やだめて!叔父さんを殺さないで!」

 「君がこの「殺さないで!叔父さんを殺さないで!」だから君「殺さないで!お願いだから叔父さんを殺さないでええー!」いやだから「うわああーん!叔父さんが死んじゃうううー!うあああーん!」…………」

 知的で聡明そうなリリーと名乗る若い女性の、思ってもいなかった赤子のように我を忘れて泣く姿に、どうしたものかと対応に苦慮するアルス少尉に助け舟を出す様にビルと名乗る男が言った。

 「代わりに俺が全てを正直に話すから、そのナイフは仕舞って貰えるか。あの子の泣き声を聞きながら話をするのは嫌だろ?」

 ビルと名乗る男の提案に、アルス少尉は恥も外聞もない姿で泣くリリーと名乗る若い女をちらりと見やった。

 「頼むよ。これ以上、あの子の泣く姿は見たくないんだ」 

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